その科学は魔法をも凌駕する。

神部大

第144話 ハイルの好奇心



「……あれは、何だ」


 魔族、魔物の襲来とやらもこの程度。
 強いて気になる事と言えば、次々と魔物を塵にしていくその渦の中心部か。

 王都の街を疾走したハイルは、遂に辿り着いたその元凶を目に入れ思わず呟いていた。




「ァァァァァァァ」



 唸るような低く静かな声は途切れる事なく続き、そこにいる者が確実に人間ではない何かだとハイルに確信させる。


 それは恐怖。

 それは悲しみ。

 それは暗黒。

 今や塵と化した魔物の欠片は正に闇となって眼前の少女に似たそれの元へ渦巻いていく。
 開かれたままの瞳は黒く、浮き出た血管はその黒紫色の髪と同様に染まっているようだ。

 悪魔族の類か、魔物は成長し意思を持ち始めると魔族と呼ばれ人と違わぬ形に姿を変える事ができると言う。


 ハイルは暫しそんな光景に息を呑んでいたが、何れ大きな魔と変貌するのでは無いかとそんな想像に危機感すら覚えていた。


「隙が有りすぎる……通ればいいんだけど」


 ハイルは眼前の魔を一断する事に若干の戸惑いを覚えたが、それでも今の内にこの根源を断つべきだと考えていた。
 中級程度の魔族ならハイルの一刀破断・極で十分。二足歩行型の魔族の核は大概にして下腹部。

 ハイルは眼前のソレから目を離さず、ゆっくりと背の大剣を引き抜き腰溜めに構えた。



――「ル、ナ……!?ど、これは!アリィ!!」

「!?」


 そんな刹那だった。
 背後から飛び込む女剣士を視界に留め、ハイルは思わず構えを解く。 
 B1階級、土竜のフレイはハイルを無視してその魔の元凶に走り寄っていた。


「ちょっ!?何してるんだキミ、それは」
「一体……おい、アリィ!!そん、な、アリィ!!ルナ?ルナなんだろう!?なんだその姿は……どうなってると言うんだコレは!!」


「ァァァァァォァ」


 魔の元凶の近くに転がっていた一人の赤髪少女を抱き起こし震えるフレイ=フォーレスは、その禍々しい魔族に必死で声を荒げている。
 ハイルはあまりに理解の及ばないそんな事態に思わず構えていた大剣を下ろしていた。
 


 一体なんだと言うのか。
 眼前で魔を集めるそれは明らかに魔族。

 その近くに転がる人間は恐らく目の前の魔族の犠牲となった都民であろう。
 こんな事態だ、犠牲の一人や二人は致し方ない事。心配する気持ちもわかるが、その場に倒れる二人の人間はどう贔屓目に見ても既に事切れていた。


 そんな人間の知り合いなのか、フレイはしきりに倒れた少女に叫び続ける。

 目の前にいる、おかしな魔の根源に向かっても。
 


「ハイルと言ったかっ!?直ぐにこの二人を本部へ運んでくれ!サニアなら応急処置が出来る!!」
「な、何を言ってるんだい?土竜のフレイ、そこの二人はもう駄目だ。君もA階級間近なギルド員だろう?見れば分かる、それにそこの――」
「いいから早くしろッッ!!」



 訳が解らなかった。
 だが土竜のフレイの剣幕を見るに、そうしなければこちらが斬られる。そんな殺気すら覚える程であった。
 身内の死を簡単に受け入れる事は出来ないのだろう、そう思いハイルは仕方なく大剣を背に背負い直しフレイの元へ歩みを寄せる。

 紫檀色の魔の塵を集める目の前のそれは、まさか人間だとでも言うのだろうか。

 未だ動く気配のないその少女マモノを視界に留めながらもハイルは既に事切れている少女と老婆を両肩に背負う。


「一体何があったと言うんだ……その姿、魔物の仕業か……どうすればいい、ルナ」
「土竜のフレイ、取り敢えずこの二人を運んでくるけど勝手な行動は控えるんだ。その……魔物、知り合いだったのかい?」


 思わず何かを言いたくなったハイル。
 だがその言葉は、振り返りこちらを睨むフレイを見れば明らかに間違いだったと気付かされた。


「何が、魔物だと……?この子は人間だ。お前の目は節穴か……いいから、早くその二人を、頼む!大切な私の仲間なんだ」
「そう……勘違いしたんだ、悪かった。でも、何かおかしいから気を付けて……すぐ戻る」


 怒りに震えるフレイを尻目に、ハイルは取り敢えずこの二人をギルドに持っていくのが先決かと考えていた。

 此処からギルドまでなら往復でも数分程度。その間にフレイの気持ちも整理がつくのではないかと。

 怪しげな魔に穢された少女は今やあらゆる闇の魔力を吸い続けている。このままでは何か強力な魔族として成長を遂げるのではないか、ハイルにはそんな気がしてならない。
 例えフレイの言う事が本当で、過去に人間であり、仲間であったのだとしても。

 今のあの姿を見て安心しろなどとはとても言えないものであった。












 閑散としていた筈のギルドには、各地区から都民の避難を完了させ一度待機と戻って来た上級ギルド員が数人詰めていた。


 背に大剣と両肩に二人の人間を背負うハイルはそんな者達の視線を一身に集めながら、ギルドの一角に血まみれの人間を静かに寝かせる。


「ちょっ!」
「怪我人なんだ。出来れば見て欲しい……と言っても僕が見る限りじゃ手遅れだろうけど」

「見せてッ!!」

 カウンターから慌てて駆け寄ってきた受付嬢のサニア。
 こんなただの受付嬢がどうにか出来ることでは無いだろうがと思いながらも、ハイルはフレイの意をくんでそう呟いた。


 腹部に風穴が空いているのだろう、その髪より鮮やかな鮮血に染まる少女。
 そしてその隣には既に血の気もない老婆の姿。
 ギルドはそんな不可思議な光景と、ハイルの佇まいにざわついていた。


「なんだ、何か問題でもあったのか?」
「ギルド長!」


 ギルド内に何か異常を感じたのか、ギルド長であるベイレルも受付へと顔を見せる。


「直ぐに止血しないと!ネイル、保管庫からクモイト取って来て!!凝固剤も!」

「え、え!?サニア?」
「早くしてッ!!」
「はぃ!!」

「意識も無い……体温も、血が足りない……」



 お淑やかで気丈。
 クールなイメージしかないサニアの変貌に驚愕していたのは、ギルド員だけでなかった。

 流石のハイルも、サニアのこの段取りには口を挟む隙もない。
 

「な、これは……ギルド員、ではなさそうか。都民の犠牲とあっては、不味いぞ」

「ギルド長、その発言はこの場においてはあまりふさわしくないかと思いますよ?」



 そんな様子を見ながら目を見開き驚くベイレル。ギルド員がこの騒動において犠牲を払ったと言う事ならこのギルドの評判はファンデル国でも盤石となる。

 だがこれが都民の犠牲となれば話は全く逆に動く。
 そんな保身と自らの昇進欲が出てしまったベイレルだが、事ここにあってはただ身内に敵を増やしただけである。


 やがて慌しくサニアの指示に従いあらゆる道具や材料を持っては、走り、持っては走りを繰り返すネイル。
 流石に見兼ねたギルド員もサニアにできる事は無いかと聞きながら率先して何らかの治療に当たっていた。



「サニア、助かるの?この子……この人も」


 そんな中あらかたの治療は施したのか、それがここで出来る限界なのか、動きを止めたサニアにネイルがそう呟く。
 ハイルだけで無くネイルも同様に血まみれの二人が助かる見込みは低いと見ているのかもしれなかった。


「……できる事は、やるわ。でもこのままじゃ、血が足りない。実家に行けば輸血用の器具がある」
「え、サニアの実家って」

「リトアニア大薬館、だったかね。サニア=ルーベウス嬢の実家は」


 そんな新事実にギルド員達は一同驚きの表情を浮かべるが、ベイレルは一人渋い顔をしていた。


「そ、そうだったの……まさかサニアがあんな大手の薬師館が実家だったなんて。知らなかったわ……でも取りに行くといっても、外はまだ」

「魔物が彷徨い歩いているね、僕も直ぐに戻らなきゃならない。ベイレルさん……ギルド長、あとお願いしますよ?」

「な、私か?ふぅむ……確かにそうだな。都民の命が助かるのなら……だがしかし手遅れのようにも見えるが、ふむ。いやしかし大薬館か」


 都民の生死が関わると言う事態だが、ベイレルの腰は重い。
 
 薬師とはファンデル、リヴァイバルだけに留まらないノルランドやレノアール共和国にまで広がる世界医療の発端である。
 
 そんな薬師を集め、薬師館として広めたのはこのファンデル国のリトアニアグループであり、その一号店とも言えるのがここファンデル王都のリトアニア大薬館だ。
 今や気安く都民が敷居を跨げるような場所ではなく、ファンデルギルド本部の長であってもそれは同様。

 ベイレルにあってはそんなリトアニアから独立しようと画策しているだけにその足取りは重かった。


 あまりに腰の重いベイレルに他のギルド員も冷たい視線を向けるが、それは他の人間も同じ事。
 だが外は未だ魔物、魔族が跋扈している。
 フレイの件が不安要素としてある以上、どうあってもベイレル以外に適任はいなかった。


 皆の視線と沈黙にいい加減ギルド長のベイレルが重い腰を上げようと声を上げた時だった。
 それに被せるようネイルが不安そうな声でふと呟いていた。


「あ、れ……何?あれも、魔族……なの?」
「な」


 ギルドの小窓から見えるそれは、明らかに家屋の屋根を優に越える程巨大。
 今まで幾つもの魔族と対峙してきたハイルでさえも、そのようなモノは見た事が無かった。

 ギルドには今、強者と呼ばれるA階級のメンバーが集まっている。
 だがその誰もがそんな巨大な魔族には唾を飲むのすら躊躇われている様であった。


「あそこは……まさか!ベイレルさん、こっちは任せますよ!」

「おっ!おい、ハイル!!待て」


 
 ベイレルの呼び止める声をそのままに、ハイルはギルドを飛び出していた。


 彼だけは理解したのだ。

 あの巨大な魔族が、恐らく例の少女が変貌したソレに違いないと。


 いつになく重い足。
 行きたくないと言う恐怖が身体をその場へ向かうことを拒む。


 それでも感じるこの胸の高鳴りは、恐怖よもハイルの好奇心を煽るのだった。

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