その科学は魔法をも凌駕する。
第126話 世界の循環
エミールの誕生は何時だったか。
薄っすらと残る幼きエミール=カズハの記憶。
側にはいつも母がいた。
優しい笑顔と温かい手は、カズハの心を、体を、いつだって癒やしてくれた気がする。
たまに帰ってくる父の顔はあまり記憶にない。
だがそれでも父が戻ってくる時の母の笑顔は、それだけで父がどれだけ母にとって大切な人かと言うのが判る程であった。
自分の頭に手を乗せて微笑む父。
そんな父と母が勇者と言われ、世界を救った選ばれし英雄だと知ったのはもう少し後の事。その時のカズハはただ自分の両親がいつになっても戻って来ない事を憂うだけだった。
耳長族と呼ばれる種族はノルランド皇国とレノアール共和国、その境にある不可侵領域でのみ存在する。だがそれを知る者は少ないし、むしろそこへ踏み入る事が出来る者すら限られている。
そんな不可侵領域である森は、母の温かい結界で守られていた。そしてカズハはそんな耳長族に育てられた。
長耳族が、訪れる髭長族が、獣族が、皆が皆そんなカズハの母と父を賛嘆する。だがカズハには解らなかった。
そんな事より、世界より、自分を見て欲しいと。
だがそんなカズハはいつからか、自然と自分の両親はこの世界を救う為に死んだのだと理解していた。
それに対して悲しく思う事はない。
周りにはいつも耳長族がいたし、薄々判っていた事だからだ。
そしていつしかカズハは外の世界へ旅立つ事を決めた。それは父と母の守ろうとした世界がどれほど美しいのか見てみたかったから。
十数年と言う月日。
カズハはこの世界が本当に、父と母の命を賭す程価値のある物か解らないでいた。
だがカズハは想う。
そんな世界でも、私は救いたいと。
それは亡き母の血か。
それは亡き父の血か。
それとも自分を育ててくれた、この世界の人間の殆どが存在すら知る事もない多種族の為か。
勇者ではない。
だが自分は勇者の子供、エミール=カズハ。
この世界を混沌に落とす訳にはいかないのだ。
過去の記憶を脳裏で思い起こしながら、エミールはただ走った。
何かが起きている、それは間違いようの無い事だった。
かつて魔族を纒め、この世をその手にしようとしたあの魔王を復活させようとしている。
それはあのダルネシオンの言葉から疑いようの無い事実に思える。
リトアニアがどうとか、国を乗っ取るつもりだとか、そんな次元の話ではない。ダルネシオンは、あの男は最早人間等の領域を超えている。
息を殺し、気配を消し、エミールは奔る。
この事を伝えなければならない。
ダルネシオンの企みを、正体を。
エミールは必死で走りながら脳裏で事態を必死に整理していた。
リトアニアと繋がったダルネシオンが、ファンデル王国をその支配下に置こうとしている。
その程度の話ならどうにでもなる。
だが事態は最早そんな子供じみた政略などで済むものでは無い。
そもそも何故この国に、この城の隠された地下に、闇の魔力結石が存在しているのかすらエミールには解らなかった。
そしてこれを説明した所で果たして国王がどうにか出来るような話なのかすら。
だが今はそれでも走るしかなかった。この事を、全力で、今までの自分が積み重ねた全ての信頼を持って国王へ伝える為に。
これほど大きな事実を一人で抱える事などエミールには出来無い。
エミールはS級のギルド員だがまだ若く、そして父や母と違い自分は勇者でも何でも無いのだから。
闇に落ちる回廊、そして城内の長い廊下に敷かれる絨毯は幾つかの魔力機による淡い光を吸収してエミールの進む道筋を示しているようだった。
(国王に、この事を……)
とにかく今エミールのすべき事は、王宮近衛兵として事態を伝える事。
先ずは大臣へ。
いくら先代勇者の子供だといえ、いきなり一兵隊であるエミールが国王の元へ行くなど許されない。
しかも刻は夜更けだ。
エミールは城内を駆け、王室への許可を貰う為謁見の間の横にある大扉を叩いた。
と言っても実際は扉に設置された魔力装置に触れ、自分の存在を大臣へ知らせるだけなのだが、その手は僅かに震え心臓は高鳴っていた。
「――エミール総長か、このような刻にとは由々しき事であるな」
「はい、早急にお伝えするべき国家の……いえ、世界の危機であると」
「入室を許可しよう」
少しの間をおいて開かれる大臣室の扉。
エミールは大の大人が数十人程度横になれる広さのその部屋、中央の大型クッション椅子で読物に耽る男を視界に入れ歩を進めたのだった。
◆
勇者召喚の儀とは。
それ即ち魔を打倒す道具である。
勇者戻還の儀とは。
それ即ち魔を作り出す悪罪である。
随分と昔から繰り返されて来たこの儀はある召喚士が創りだした秘術。
ファンデル王国南端に存在した召喚士一族、その者達が魔を打ち倒す為に、自らの生涯を賭して生み出したものだ。
時の国王は勇者によって魔を打ち倒した事に感銘を受けた。だがそんな世界を統べる程の力を危険だとし、召喚士に勇者をこの世界から返す、又は消すよう命じた。
だが召喚士には出来なかった。
気持ちの問題などではなく、召喚士に出来る事は喚び、招く事であるから。召喚は出来てもそれを戻し、還す事等出来はしないのだ。
しかし国王に歯向かえば自分も消されかねないと考えた召喚士は結果、苦肉の策である儀式を行なった。
その儀式は戻還のように見える――封印だった。
そんな事など知らず、王国は召喚術と一族の叡智を奪い召喚士をも歴史から消し去った。全てをファンデル王国のものとし、世界を牛耳るために。 
アトランティス=ランフォート。彼は召喚士一族の一人である。
彼はそんな過去の一族の歴史の全てを知る事となる。
先代の召喚士が創りだした叡智の全てを、その全てを奪われ歴史から消し去られた者達の悔恨も含めて。
そしてまた残された一族の長がそんな王国を憎み、魔物と手を組み自らの国を滅ぼし返そうとした事も知っていた。
だからこそ彼はそんな一族の代表として国から先代の叡智を取り返す為にファンデル王国の宮廷魔術師として取り入ったのだ。
だがそこで知り得た事実は、とても一族に伝えられようなものでは無い真実だった。
我ら一族の叡智こそが、悪の権化だったと言う事を。
伝えられぬ真実。
アトランティスは考えた。
先代の背負った責任は大きいが、それを伝え一族を汚すことは無いと。
此度の召喚で全てを無に返せばいいのだと。
ファンデル王国は過去魔族を利用し他国を牽制してきた。
そして復活する魔王を待って勇者を召喚する。その後召喚した勇者が魔族を倒し、ファンデル王国は魔を打ち倒した名誉を全てを手に入れる上、あまつさえ生き残った民からは救世の国と賞される算段。
全てはファンデル王国の手の内であった。
そんな画策に知らずとはいえ手を貸してしまった召喚士一族。そして中途半端な戻還術により次々と封印されて行った先代勇者は、黒き結石と化しこの城の地下に隠蔽された。
黒き結石、それは闇の魔力結石。
魔物を呼び起こす黒き原動力、魔を打ち倒した過去の勇者の怨念は皮肉にも魔を蘇らせるものとなる。
ファンデル王国は受け継がれるそんな召喚を続けた。同じサイクル、繰り返す魔物と勇者の戦い、繰り返すファンデル王国の救世と繁栄。
だがアトランティスは此度のそれで全てを終わらせるつもりだった。
自分の代で、この狂い過ぎたファンデルの歴史に終焉をもたらせる。
先代の秘術は今アトランティス=ランフォートの手に依り新たな召喚術を生み出した。
今まで封印されてきた勇者の怨念集まる闇の魔力結石を利用した勇者召喚。それは闇の勇者を喚び、生み出した。
闇の勇者がその存在を現している以上、闇の魔力結石はその魔力を消費し続けるだろう。
そして何れ闇の勇者は魔物を打ち倒す。
だが有効がその力を使えば使うだけ、魔を発生させる権化である闇の魔力結石は力を失う。
闇の魔力結石がその力を全て失った時、勇者の命は絶たれるが魔王が蘇る事ももう二度とない。
まさに一召三闇と言うべき最高の秘術だった。
魔物は勇者に消され、過去の勇者の怨念である闇の魔力も消え、それと同時に今代の闇の勇者も消える。
そして全ては歴史の中から完全に消しさられるのだ。
世界は平和になり、召喚士一族が迫害されるような証拠ももう無くなる。
これが召喚士一族、アトランティス=ランフォートの目論見であり、最後の希望だったのだ。
だが彼は知らなかった。
闇の勇者の力がむしろ魔を増幅させてしまう事を。
あまつさえ既にその勇者はこの星の外にある者に消されている事、それにより闇の魔力はもう消費されていない事を。
欲望がどこかにある限り、魔は絶えず増幅し、世界はつねに争い続けるのだ。
繰り返す循環。
それを全て無かった事にするには全てを同時に絶たなければならない。たった一つでも残ってしまえば、正しき循環は崩れ、壊れるのみ。
今、この世界の循環と均衡は崩れた。
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