二律背反のドッペルゲンガー

紅染 ナナキ

靴から始まる戦争

「あら、今日は靴は揃えないの?」
近所のおばさんに不思議そうに聞かれた。
「みんな、揃えてないわ」
あたしは視線を足下に下げて低い声でそう言った。
そこには泥がこびりついた男の子がよく履く黒や青色がメインの靴が、あっちを向いたりこっちを向いたり、酷いと靴の裏が上を向いた物まであった。
それに比べれば、あたしの靴はまだ可愛いものだと思う。
けれど、おばさんは不思議そうに首を傾げるのだ。
「ええ、そうね。そうなんだけど…」
「女の癖にー」
おばさんの息子が馬鹿にするように後ろから顔を出した。
おばさんは、こら!と短く怒っていたが、あたしはそれに小さな苛立ちを感じていた。
おばさんの息子よりあたしはいくつか年下で、お兄さんである相手にできないことを女であるというだけでどうして自分が馬鹿にされるのか。
「そんなんじゃ、結婚できねぇぞ!」
「そんな言うならまず自分がやればいいじゃん!」
「は?」
「自分が出来ないこと人に注意するとか、意味が分からない!」
「なんだと!」
おばさんのとこの息子は顔を真っ赤にして手を振り上げた。
だからあたしも負けじと右手を振りかざした。
ーーパンッ!
乾いた音が一度だけ鳴った。
おばさんの息子は、流石に年上らしくないと思っただろうおばさんに止められていた。つまりは宙に浮いたままだった。
そして、あたしの右手は。
「痛い!」
同じ年の男の子の頬を叩いていた。
何か用事があって玄関に来たのか、それとも騒ぎを聞きつけて顔を出してしまったのかーー体の大きい大人のおばさんや、年上のおばさんの息子の背後から出てきた同じ年の男の子の存在を、あたしは知らずに引っ叩いていた。
「あたし悪くないもん!急に出てきたそっちが悪いんでしょ!?」
驚き戸惑い、あたしは気づけば大声をだしていた。
「お前、最低だな!」
おばさんの息子が、相変わらず抑えられたまま怒鳴り散らした。
「二度と来るな!」
「わかった!もう来ない!!」
最低?狙ってないのに。わざとじゃないのに!
あたしは怒って、勢いよくおばさんの家を飛び出した。
年下ってだけで、女の子ってだけで、どうしてこうも馬鹿にされなければならないのか。男の子ばかりだからか、最近仲間外れにされているのにも腹が立っていた。
「どうしたの?今日は靴も揃えないし、具合でも悪かった?」
おばさんが困惑顔で玄関から顔を覗かせた。
「どうしてあたしが靴を揃えなきゃいけないの?どうしてあたしだけ!!」
「どうしてって……いつもヨミちゃん靴を揃えるじゃない」
「は?」
おばさんの言葉に、あたしは心底驚いた。
いつも?いつもっていつ?
怒りから一転、相手の意味不明な発言に相手の正気さを疑って、とにかく離れたい気持ちでいっぱいになった。
おばさん頭大丈夫かしら。頭ぶつけたりしたのかしら?
「帰る」
「おうおう、帰れ帰れ!」
「もう来ないわ」
幾分も落ち着いて、真顔でそう宣言した。
すぐに家に帰ると、靴を適当に踵で踏んづけ後ろに蹴り飛ばす。
振り返り、自分の靴を見て大きく頷いた。
こんなもんよ!
「よそのお家に行ったら、そのお家の他の人が帰ってきて靴が脱ぐ場所なかったら、どうしようって困っちゃうでしょ。だからね、うちの家はまだいいけど、よそのお家では靴を揃えるのよ。ヨミはいい子だから、できるね?」
ふと、脳裏に母親のそんな言葉が過った。
それに自分が馬鹿のように右手を垂直にピンと伸ばし、はぁーい、任せてと笑う幻覚を見たようでーー。
「知らないわ。あたしは、あたしよ!」
プイと靴に背を向けて、あたしはバタバタとわざと足音を立ててリビングへと向かった。
こんな最低の気分の時は、美味しいおやつでも食べるに限る。
あたしはそうやって、小さな違和感から目を逸らしたのだった。

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