碧き舞い花

御島いる

472:神と信者

「ある夜、立ち入った洞窟でのことです。他の子どもたちが寝静まったころに、それはもう際立って白く神々しかった。当然、目の当たりにした直後は開いた口が塞がりませんでしたが、それも束の間のこと。私の心は戦火、粉塵の中にありながらも、安らぎを感じ、幸福に満たされていきました。フュレイ様は私の心の中にあった澱みを見抜き、啓示をお与えくださいました。澱みを取り除く術を、その素晴らしく壮大な理想を!」
 ハンサンはどこか艶めかしく、息を吐き出した。
「この異空には神が、世界が、多すぎるのです。だから格差が生まれる。争いが生まれる…………。フュレイ様はそこに革新を起こすお方なのです! 唯一神! 唯一世界の絶対なる神っ!」
 興奮に嬉々として表情を歪めるハンサン。セラとネルは二人とも顔を顰める。ネルに関してはハンサンに対しての感情に合わせて、混迷する記憶や傷ついた身体がかける負荷も合わさってひどく辛そうだ。
「この世界を消すこともフュレイ様の描く理想への一歩にすぎません」柔和な表情に戻って淡々とハンサンは言う。「故郷だからといって、思うところなど毛頭ないのですよ。どこの世界だったとしても、消すことに変わりはないのですから」
 ネルは唇を噛み、ハンサンをただただ濡れた瞳で睨む。
「そんな顔しないでくださいよ、お嬢様。あなただって渡界人との差や世界に愛されし者という束縛を厄介だと感じていたでしょう? そういったものが、無くなるのですよ、フュレイ様の新世界では。……あぁ、そうですよ。どうですかお嬢様。この際、お嬢様もフュレイ様のもとへ来るというのは。今はまだこの地より離れることはできないでしょうが、フュレイ様が力を戻し、私や今後増えてゆくであろう信者たちによって理想が完成した暁には、あなたの些細な悩みなど消えてなくなります。それに命も、ここで失うことはないですし、なにより、あなたの愛したこの世界も新世界のはじまるその直前までは残ることになるでしょう。どうです? 我が神の力を戻すきっかけとなったお嬢様ならば、フュレイ様も受け入れてくれるでしょう。それにあなたの研究が今後も必要になることも考えられますしね」
 ネルは俯いた。
 セラは呟く。「ネル……」
 しばらくして涙を盛大に拭い、ネルは立ち上がった。刺された腹部が痛んだようで、強く傷口を押さえる。だが、その目は強い意思を湛えていた。そして、その意思が黄金の波動なって彼女から放たれた。トラセークァスの彼方まで。
「ごめん……あそばせ?」ネルは不敵に口角を上げた。「戯言にしか、聞こえませんわっ!」
「ネル!」
 友を信じていなかったわけではないが、ネルの心が全く傾いていないと知ったセラは喜びのまま彼女の名前を呼んだ。対して、ハンサンは愚かしいとばかりに首を振って、鼻を鳴らす。
「そうですか……哀れなことです」
「セラ!」ネルは友を呼び返した。そしてサファイアが強く交わり合う。「この邪神の遣いを、止めて。この空のために!」
「もちろん」セラは一際ヴェールを濃くして、頷いた。そしてまだネルから目を離さずに続ける。「ネルは、その傷を――」
「いいえ、セラ。それは後回しよ」
「ぇ?」
「わたし、みんなにお別れをしに行かないといけませんもの」
「……それは傷を治してからでも、ぁ!」
 集中によって鋭くなった感覚が、世界から薄れゆくいくつかの気配を感じ取った。城下町の方だ。
「わたしが気付いてしまったから……みんな、もう、行ってしまうの」優しく微笑みながらも、ネルは再び涙を零した。「今しか、ないの」
「わかった……」頷いて、セラは努めて冗談っぽく言う。「ネルも一緒に行かないでよね?」
「もちろんですわ。セラがいますもの」
 ネルは強く頷いて、弱々しくも確かな足取りで屋上から去っていく。
 その背を見送る二人。ハンサンが口を開いた。
「安心してください、セラさん。ネルお嬢様とはこれからも一緒にいられますよ。この異空でも新世界でもない場所で、ですがね」
「戯言ね」
 静かに構えられるオーウィン。その刀身を切っ先まで、エメラルドが漂い纏わる。

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