碧き舞い花

御島いる

471:二人の姫の共通点

 沈黙の姫たちに対して、ハンサンは鼻を鳴らした。
「駄目ですか……。鍵の力云々というより、お嬢様が拒んでいるのでしょうね。フュレイ様もこの世界に起きたことは、お嬢様の血統や特異な性質、そして想いが原因かもしれないとおっしゃていましたし」
 やれやれと首を振る。
「いいでしょう。では私が一押ししてあげましょう。元主への最後の奉仕、させていただきます。ネルお嬢様」
 ハンサンはまたネルの方へ向き直り、恭しく頭を下げてから口を開く。
「まず、セラさんへの訂正ですが。セラさん、あなたはこの世界の住人全員に鍵の力を使ったのだとおっしゃいましたが、それは違うのですよ。私が記憶に干渉したのはネルお嬢様ただ一人です」
「そんなはずあるわけ――」
「あるんですよ」ハンサンはセラを手で制した。「むしろ、それしかなかったのです。ネルお嬢様しか、鍵の力を行使できる生きた・・・人間がいなかったのですから。そう、これがお嬢様とセラさんの共通点、セラさんは唯一というわけではないですが……」
 セラは眉根を寄せる。「なにを……?」
 そしてハンサンは告げる。「故郷を攻撃され、生き残った者」
「……攻撃?」セラはただただ訝しむだけだ。「ここが?」
「ああっ!」
 入口でネルが悲鳴に似た声を短く上げた。セラが彼女を見ると、顔面蒼白で、頭を抱えていた。
「……うそよ、うそ、よ…………うそよ!」その瞳からぽろぽろと大粒の涙を零しながらも、なんとか冷静であろうと抗って見えるネル。「そんなことぉっ……そ、そうよ、これも、あなたが、記憶に手を加えたんでしょ! ねぇ、そう、でしょ?……ハン、サぁン」
「いいえ。思い出された通りですよ。それは偽りなき記憶です。事実としてこの世界に起こったこと。私が起こしたこと。『追憶の鍵』の使用は命に危険が及びかねないのです。数が少ないとはいえこの世界の全員に使うことはできない。ですので、必要なあなただけを残して、全員を、ね……。まあ、もとより滅ぶのも時間の問題だったのですから、フュレイ様の導く新世界へのわずかな犠牲ですよ」
「お父様、ワンザ、ニフラ、ミュキュア、ヨムール、イツナ、ロォム…………」
 ネルは呪文のように人の名前を連ねた。すがるような声で。
 セラは静かにオーウィンを握る手に力を入れた。到底理解が及ばないことだが、そうなのだろうと推測できた。
 ハンサンがトラセークァスを襲撃した。そしてその記憶をネルから抜き取ったのだと。
「また、それですか。鍵を使うときもそうでした。その様な状態で研究ができるのかと不安でしたので、約束の記憶の他に惨殺の記憶も抜き取ったという次第であります。そうするとどうしたことか、フュレイ様ですら驚くべきことが起きたのです」
 ハンサンは腕を広げて、天を仰いだ。
「世界が人々の幻影を造り上げ、私が一族抹殺にかかる前の姿に見せかけたのです」
 ネルの呼吸が早くなっていく。
「まるで惨劇などなかったかのように」
 荒々しい呼吸とともに、ネルは頭を揺さぶる。
「フュレイ様のお考えでは、世界に愛されし者であり、源流に近しい血統を持ったネルお嬢様だからこそ起きた奇跡とでもいうべき現象、だそうです」
「どうして、こんな、ことっ……」ネルの怒りと悲しみの瞳がハンサンを睨む。「生まれ育った、世界、なの、にぃ……」
「おや、あの時よりしっかりしているようですね。セラさんという支えができたからでしょうか」そう独りごちてから、ハンサンはネルに応える。「でしたら、しっかりと聞いてもらいましょう。前回は心神喪失でお話しできませんでしたからね。フュレイ様の導く素晴らしき新世界のことを」
 まるで自慢話でもするように、ハンサンは続ける。
「女王様、お嬢様の命を受け、あらゆる世界を見て回った私ハンサン・ゲルディは、各世界の格差を知ったのです。当初は各世界ごとに幸福の基準の違いがあり、各世界の住人たちは自らの世界で不自由なく暮らしているのもので、問題視する必要のない、異空にとって一つの事象にすぎないと考えていました。それに一定以上の水準に達している世界ならば、異空へ出る方法を持っていますから、不満があれば出ていけばいい。言ってしまえば各個人の問題だと。そう、考えておりました」
 セラは黙ってハンサンの言葉に耳を傾けながら、ネルに気を向け続けていた。ネルは正気こそ保てているようだが、額には汗を浮かべ、呼吸も荒いままだ。
「ですがある日、私がある紛争世界を尋ねたときのことです。元は長閑な田園の広がる場所だったその世界は、全く関係のない二つの世界の争いの舞台にされていました。危険地帯だったために早々に任を終え、立ち退こうとしていたのですが、私はその世界にもとより暮らしていた子どもたちを救いました。今まで戦火が届かなかった場所で遊んでいた彼らでしたが、その日は違った。いや、もしかしたら、フュレイ様が私と出会うために導いた運命なのかもしれません。そう、その子どもたちの中に、フュレイ様はいらしたのです。とはいえ、フュレイ様も出会った当初はあどけない子どもを演じておられましたがね」
 ハンサンは穏やかな笑みを、どこか不自然にその顔に張り付けた。
「そうして私が子どもたちを安全な場へと送り届けていた逃避行の中、私は神と対面したのです」

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