碧き舞い花

御島いる

470:執事の追憶

「シュリア女王様が渡界術を行うための研究をしていた。そのことをフュレイ様にお話しさせていただいたのがはじまりでした。フュレイ様はその事実に大層驚きになられて、その研究の資料をご覧になられたい、成果物をもたらすよう願われました。しかしです。先も申し上げました通り、研究は女王様によって全て破棄されておりました。私は無用なお話をしてしまったことを詫びました。しかし、我が神は寛容で、且つ、聡明なお方。才を継ぎ、同じく研究の道を進んでいる、娘であるネルお嬢様にその研究をさせればいいとお考えになられた。しかし女王との約束がありお嬢様が研究するとは思えなかった。そこでフュレイ様は知識をお与えくださった。鍵と扉の神が造った記憶を操る鍵の存在を。私はすぐさま鍵を手に入れるべく動きました。しかしいくらわたしといえども盗みは専門外。多少の扉くらいならば破る技術は持っておりますが、さすがに扉の森は容易くはありません。そこで、これもフュレイ様の加護のおかげか、運命的に出くわした腕の立つ女怪盗に依頼したのです。その場での行いを不問とし、さらに装飾品などの現物を報酬として。彼女の仕事は早かった。こうして、とんとん拍子で鍵は手に入りました」
 一段落とばかりにハンサンは小さく鼻で笑った。
 セラはここまで聞けばあとは自分の思っている通りだろうと、話を終わらせようと口を開く。
「それから、フュレイをこの世界に向かい入れるためにネルやネルのお父さん、それからこの世界の人たちに鍵の力を使った。研究の方は、シュリアさんとの約束を『知らない』ネルなら……なにも言わなくても好奇心と負けず嫌いで乗り出す、産まれたときからネルのことを知るあなたなら簡単に予想できたでしょうね」
「ええ、そうですね。現にそうなった。死者の記憶には干渉できず、研究の専門的な部分は手伝えなかったために時間はかかりましたが、目的は果たされました。ですが――」
「じゃあどうしてっ!」
 怒りの声を上げたのはハンサンの後方、屋上の入り口もたれかかったネルだった。髪もドレスも濡れている。腹部はそれとは別に血に染まっている。感じる気配があまりに小さい。怪我は全く治っていないのは明らかだ。
 セラは叫ぶ。「ネルっ、どうして!?」
「いいの、セラ……! これは、主としての、元だとしても、そうだとしても……この世界の姫としての! ……わたしの務めです、から」
 覚束ない言葉。喋れるだけでも少しは回復した、とは喜べない。その友の姿に、セラは顔を歪める。彼女をお湯に入れたときより、心を痛める。
「ハンサンっ!」
 呼ばれた若者はゆったりとずぶ濡れの姫を正面を捉える。しかしその背に隙は無く、セラは背後を取っているとは思えなかった。
「じゃあ、どうして!……どう、してっ、その、記憶を操れる鍵で、今、みんなの記憶を改変、しないの! フュレイは、この世界の後始末と、言っていたわ……それに、あなたはわたしを刺したっ……今だって、セラと戦おうとしてる……だから、つまり……みんなも、殺す気、なんでしょ!」
「そうですが――」
「なんでよっ!」ネルはハンサンの言葉を遮り、怒りをぶちまける。その瞳は涙で溢れている。「記憶を、改変できる力が、あるんでしょ……! それで、ハンサンと、フュレイの記憶を抜き取れば、それで……済むはず、じゃない。…………みんなを、傷つける必要なんて、ないじゃないっ。出ていくなら、勝手に出て行っていいわよ! でも、みんなを……みん、なをさぁ…………。あなたの……故郷なのにぃ……」
 泣き崩れるネル。ハンサンは無関心とばかりにセラに向き直った。そんな彼に怒りの眼差しを向けてセラは言う。
「『追憶の鍵』、あなたでもそう簡単に使えないんでしょ。だからネルの言う通りにはできない。けど、それでも何もせずに出ていくことはできたはずよ」
「セラさん、私は話の途中だったはずです。あなたの考えを訂正しようとしていたところだったのですがね?」
「訂正?」
 ハンサンはふぅむと息を吐いた。
「あなた方二人は本当に似た者同士ですよね。古い一族の姫で、負けず嫌いで好奇心旺盛、サファイアの瞳。才能に恵まれた上に、自身の向上に努力を惜しまない。まさか誕生日まで一緒だとは驚きましたが」
「それと、訂正と……なんの関係があるの?」
 セラの問いにハンサンはちらりと背後の姫を一瞥した。そして声を張る。
「ネルお嬢様、シュリア様との約束も思い出されたのですから、もう思い出せるのではないですか? 強い想いは鍵の力を打ち破れるのですから」
 泣き崩れたまま答えないネルに代わってセラは問う。「なにを言ってる?」
「あなた方二人にはもう一つ共通する部分があるんですよ、セラさん。ネルお嬢様」
 セラは訝しみながら、ネルにサファイアを向けた。するとちょうど顔を上げたネルと視線が交わる。
 二人の姫は、互いに確かめるように、戸惑いの中、静かに見つめ合った。

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