碧き舞い花

御島いる

432:今日は誕生日

「ねぇ、どうして今日はやらないの?」
 翌朝、セラはネルに尋ねた。
 昨日セラが入浴したのはまだ日が暮れる前だった。それでも昨日のうちにこの問いかけをできなかったのは、あのあとネルと一度も顔を合わせることがなかったからだ。彼女は自室にこもり夕食も、それから朝食もセラたちとは一緒ではなかった。
 そうしてやっと彼女が自室から出てきたのは、セラとヅォイァが極集中の鍛錬をはじめてしまおうかと相談していた最中だった。セラはヅォイァに断りを入れて、ナパードで自室から出たばかりの彼女の前に現れたのだ。
「はぅっ!……びっくりさせないでくださいます!」
「ごめん。で、なんで今日からじゃないの?」
 ネルはセラの横を通り過ぎる。「今日は誕生日ですのよ」
「誕生日?」セラは彼女を追いかける。「誰の? ネル? ハンサンさん?」
「違います。ロォムのです」
「ロォム? この世界の人、だよね」
「あたりまえですわ。大切なわたしの家族です。あの子のためのパーティがありますので、今日あなたは従者のおじさまと別の訓練をしていてください」
「え、なんで。わたしも一緒にパーティでお祝いしてあげるよ」
「いりませんわ。子どもたちが恐がりますから」
「オーウィン……剣は部屋に置いて行くよ」
「そういうことではありませんわ。ハンサンだって剣は持ってますしね」ネルは足を止める。「いいですこと、部外者がしゃしゃり出ないでくださいます? 誰が知らない人間に祝われたいと思います?」
「う~ん、そうかな? お祝いされたら嬉しいと思うけど」
「はんっ、とにかく! あなたは鍛錬だけしてればいいんです! それじゃあ、わたしは忙しいので」
 大股で離れて行くネル。セラは追うことはしなかった。この場で口論をしても埒が明かないと思ったからだ。そしてこうなれば、少し卑怯な行動になってしまうが、パーティがはじまってから勝手に参加してしまおうと考えた。パーティの最中ならば、ネルも邪険にしにくいだろうと。
 そうと決まれば今のセラがすることは極集中への入り口を探ることだ。彼女はヅォイァのもとへ戻り、朝日に囲まれながらも強情にも夜を貫き通す森へと出向いたのだった。


「はぁ……はぁ……んぁっ……ふぅ……」
 顎に留まる汗を拭う。昨日のようにトラセードを試そうなどという考えは彼女の頭にはなかった。それが功を奏したのか、まったく関係ないのか、今、セラの瞳にはごくごく薄いがエメラルドが差していた。
「浅いが、入ったな」攻撃の手を止めたヅォイァが口を開く。「その感覚だ。それをさらに深めろ」
「はい……」
「……すまん。教えるべきではなかった」
「え?」
「途切れてしまった」
 セラはオーウィンの身体を用いて自身のサファイアを見る。ただのサファイアだった。
「はぁ~……意識したのが悪かったのかも。何度か気付かないうちに発現してたときも、気付いてこの状態ならいけるって思った途端に消えちゃったりしたから……」
「それは的を射ている」ヅォイァは言いながら切り株を示し、そこへ向かっていく。「少し休もう」
 セラは黙って頷き、従った。
 切り株に腰掛けるとヅォイァが切り出す。「極集中に意識して入るのは、入り慣れたものでも酷なことだ。彼らは己がどういった状態で極集中に入りやすいかを知り、その状態へと自分を持っていく。最初こそ意識すれど、徐々に意識を逸らしていき、最終的には意識を向けずに自身の状態を操作しているんだ」
「そういうことなら、わたしの場合『夜霧』、特に部隊長の相手をしてる時とか、背中押された時とか、気持ちが昂ったときとかかな」
「感情に起因して深い集中に入ることがある。誰でもそんなものだ。極集中という技術、状態を知らない人間でもな。でもジルェアス嬢、お前は技術として、感情に左右されず集中しなければいけない。いつ何時でも集中でき、且つ、動揺したとしても切らすことのないようにだ。もちろん、入ったことに意識を向けても維持できるようにもだ」
「当たり前のことのようにできないといけないってことか。先は長いな」
「辛抱強くやれば、必ず成し遂げられるさ。ジルェアス嬢なら」
「はい」
 話は終わりかに見えたその時、ヅォイァは髭のうねりを撫でて唸る。「ふぅむ……」
「どうしたの?」
「いやな、最終的には感情の影響を受けないようにと考え、瞑想や実戦で身に覚えさせようとしたのだがな、やはりその感覚を知るために何度も経験するという観点からいけば、感情をもとにする方がいいのではとな」
「ヅォイァさんの方針が色んなことに影響受けちゃってますね。でも、ありがとうございます。わたしのためにいろいろ考えてくれていて」
「当然だ。俺の命はお前のものなのだから」
「またそういうこと言う」
「ずっと言い続けるさ」
 ヅォイァが立ち上がる。
「さて、では感情に訴え極集中に入る鍛錬を試してみるとしよう」
「わかりました」

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