碧き舞い花

御島いる

412:避難

 残るはンベリカとキャロイ。
 セラはテントの中の豪奢な屋内へと跳ぼうとした。しかしその肩を掴まれ、動きを止める。
 グースだ。
 セラは叫ぶ。「ンベリカとキャロイも連れてこないと!」
「もう間に合いません! いくらあなたでもね!」グースも叫ぶ。「さ、中に入りなさい!」
 彼は垂れ広げられた煌白布を示す。布を持っているのはユフォンと、白いシャツとズボンに身を包む小さなもう一人のユフォンだ。
 セラが連れてきた全員は、ケン・セイを除いてすでに布の中に入っている。師範は最後まで攻めてくる敵兵の相手をしている。
 それらの光景が縦横に激しく揺れている。まだ目に見える形で被害は出ていないが、世界は壁の向こうからの轟音に支配されていた。二人が叫んで会話するのはそのせいだ。
 確かに、グースが言うように時間がない。でも見捨てるわけにはいけない。
 セラが逡巡していると、グースは言う。「もう気配も探れないでしょう! 諦めなさい!」
 またも図星だった。すでに外の巨大な力に埋もれて、人ひとりの細かい気配を探ることは不可能だった。それでも二人とも戦闘準備をして外へ向かっているはずだ。そうとなればいる場所は限られる。短い時間でも回れるとセラは踏んでいた。
「大丈夫! すぐ戻れっ……グー、スっ……!」
 彼女の片手首。真っ黒なリングがつけられていた。呪具だ。ナパードをはじめ、多くの力が制限される。抵抗も出来ず、彼女は将軍に襟口を引っ張られ、両足で砂に線を描きながら純白の布を目指すことを余儀なくされた。
「安心しなさい。本来ならばずっと捕えておきたいところですが、今回はこの場限りにしてあげますから」
「……っ」
「『闘技の師範』! もう結構ですよ!」グースはケン・セイにそういうと、片足を純白の中へと入れた。そして横目でユフォンに言う。「君も幽体を残して入りなさい。全員が入ったら、地面に布を落としてから、しっかり守ってください」
 言われた筆師は頷き、布を幽体に任せてセラの後ろへと続く。その後ろにケン・セイが最後まで敵を薙ぎ払う。
 セラの身体も白に包まれはじめた。徐々に薄れていくウェル・ザデレァ。テントの入り口。 
 と、そのテントの中から人影が現れた。
 ンベリカだ。
「待って!」セラが叫ぶ。「ンベリカが来た!」
「ンベリカさん! この中へ!」と幽体のユフォンが叫びが聞こえた途端、急に静かになった。煌白布の中に入ったらしい。まばゆい空間だった。
 彼女に続いてユフォン、ケン・セイ、そして駆け足気味にンベリカが続いて入ってきた。それで終わりだ。
 まばゆい光に包まれた空間への避難は、これで終わった。ただ一人、キャロイを除いて。
 いや、違う。セラは今になって多くの命を見捨てたことに気付く。『夜霧』の兵はともかく、『白輝の刃』の兵士たちが船の中にいた。彼らは成す術なく天災に巻き込まれたのだ。
 そもそも救うことはできなかったと割り切る。彼女にはそれしかできなかった。戦争で多くの命が散るのは、すでに重々承知だ。戦争が終わるまで、その一つ一つの死を偲んでいてはキリがない。似た会話をこの戦争に参戦し、ガルオンを倒した時にズィーと交わした。あの出来事が懐かしく思える。同じ戦争だとは思えなかった。
「キャロイのことは、あなたが気に病む必要はないですよ」グースが彼女の手首からリングを外す。「私が判断し、見捨てたのですから。それにまだ外に残された者が命を落とすと決まったわけではありません。どうか、友として祈ってあげてください、彼女の無事を」
 策謀を巡らし、他者を駒のようにしか思っていないグースがセラにかける優しい言葉。しかしこれも彼に取っては、セラの心を弄ぶ策の一つなのだろうと彼女は思った。しかしそれでいて、素直に額面通りに受け取ることにして頷いた。
「いや、セラ……祈るなら、冥福を祈ってやれ」そこへ、ンベリカが深刻な表情で口を開いた。「キャロイ女史は、亡くなった」
 セラだけでなく、空間の中にいた全員が静まり、司祭に目を向ける。
「……ほんとなの、ンベリカ?」とセラは小さく言った。
 ンベリカは頷く。「俺たちは一緒に外に向かっていたんだが、途中、シャンデリアが落ちてきてな。彼女は俺を押し退け、そして、下敷きに」
「即死か?」と最年長のヴォードが訊く。
「確実だ。助けようと駆け寄ったが……」
 無念とばかりに俯き、首を横に振るンベリカ。そんな彼の頬に、切り傷があることにセラは気付く。落ち着いたいま見てみると、彼の薄衣はボロボロだった。テントの中の揺れは相当なものだったのだろうと窺えた。シャンデリアが落ちたのも頷けるかもしれない。
「しっかし、キャロイさん残念だな」
 青年将軍ズーデルが彼女の死を惜しむように、目を閉じ祈る。だが、セラは彼が小さく呟いた二の句に絶句する。
「ほんと残念、つーか無様。シャンデリアの下敷きって、あっけな」
 セラは怒りを禁じえなかった。実績を競い合う間柄とはいえ、同じ世界の主導者のもと、大部分において目標を共にしてきた戦友に対しての言葉とは思えなかった。
「ズーデル!」
 祈る演技をする男に詰め寄り、鬼気迫る顔でその胸ぐらを掴むセラ。だが、当の本人は飄々と笑む。
「あっれ、どうしたの碧花ちゃん。あ、もしかして、聞こえちゃった? 聞こえちゃったよね、その顔。むはは。ムキになってもきれいな顔だね。俺、赤面しちゃうよ?……お前の返り血でさ」
「っ!」
 セラはズーデルを突き放し、オーウィンを抜きにかかる。しかしフクロウがその姿を半ばほどまで見せたところで、すでに彼女の首筋にはズーデルが差し向けたサーベルがあてがわれていた。
 正確に書けば、あてがわれるところで、ケン・セイによって止められていた。
「あーっ、惜しい。止めないでよ、隻腕さん。……それともさ、もう一本も落としたいの? ああ、違った、違った。ほんとはこれ。命、落としたいの?」
「楽しめるか?」
「んー、どうかな? 楽しむ前に、お前が死ぬかも」
「面白いっ」
 漆黒とさっぱりとした青。両者の双眸が火花を散らす。
「っんなぁあああっぐぅぅぅっ……」
 断末魔の叫びを上げたのは……。

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