碧き舞い花

御島いる

400:伸びしろの確信

 乱回転する世界。
 朦朧とする意識。
 うわん、うわんと耳に響く音を聴いた。
 セラがそれを撤退を報せる鐘の音と笛の音だったと気づくのは、ぷかりと海に浮かんでからいくらか経ったあとだった。
「生きてる……」
 唖然と呟いた。
 夜明け前の海は、冷たかった。
 身震いする。
 奪われる体温にではなかった。
 生きているという実感。
 自然と涙があふれてきた。温かい、涙。
 リーラ神がどうして自分にとどめを刺さなかったのかはわからない。ズィーたちがルルフォーラから鍵を奪ったのか、もしくはルルフォーラが退却の合図で退いたか。もしかしたら神の気まぐれかもしれない。考えられるのはそのくらいだった。
 ともかく生きている。
 これまでにない大きな敗北ではあった。しかし悔しい気持ちは思いのほかない。そもそもあれほど驚異的な相手との命を賭けた戦いだ、勝つことなどまず不可能。足止めや時間稼ぎがいいところだった。そしてそれも、休戦に入ったのならば、ひとまずは上々なできだろう。あの鍵が奪えているとすれば、なおのこと。そうでなければ次の開戦で厳しいことになるだろうが、それはこの戦争から手を引くことも念頭に、仲間たちと共に考えることだろう。
 ここは命があったことを幸運と思うことにした。
 それでいて、むしろセラはやる気を燃やしていた。
 リーラ神との再戦を望み、勝利したいというものではない。一人で立ち向かっても、勝ち目がないことはわかり切っている。戦が続き、相手方に神がいるのであれば、そのときは仲間たちと死力を尽くすだけだ。
 セラは涙を拭う。身体の至る所が痛んだ。動いたのが不思議なくらい。
 だが、セラは自身のやる気に微笑む。
『……未熟を恨みなさい』
 リーラ神はそう言っていた。
 セラ自身のことでもあるのだろうが、大方はヴェールの力のことを言っているのだとセラは思っていた。あの力を使いこなせるのなら、瞳を黒くし、おそらく本領に近いものを発揮する神と、もう少し対等に戦えるのだろうと。
 その域に自分がいける可能性、伸びしろを提示されたのだと感じていた。
 そして結びつくのは彼女の出会ったもう一人の神、ヨコズナ神。彼の言う試練が、この力を使いこなすためのものだとセラは確信した。
 気持ちは逸るが、すぐにフェリ・グラデムに向かうことはしない。この戦争もそうだが、まずは力を自分の意思で発現させることができるようにならなければいけないだろう。無意識でしかできない今の状態ではヨコズナは試練に臨ませてはくれないだろう。彼はそのようなことも口にしていたと記憶している。
 ヅォイアがセラの力について思うところがあるらしい。まずはそこからだと、セラは微笑みを凛々しく締めくくった。
「オーウィン……」
 野営地に戻る前に愛剣を背に戻さなければならない。思い浮かべるのは兄の背。そうすることでフクロウは彼女に応え、居場所を報せてくれる。
「……あれ? みんなのところだ」
 愛剣を感じ取った場所は本部野営地だった。ズィーやテム、ユフォンが近くにいる。誰かが拾って持ち帰ってくれたのだろう。
 セラは痛む身体をいたわりながら、碧き花を散らした。
 太陽が頭を出しはじめた赤紫色の朝焼け空に、彼女のエメラルドはなかなかに映えたことだろう。


「みんな、ごめん遅くなっ……て?」
 評議会の休養所の入り口に跳んだセラは、入ろうとした部屋の空気に訝しむ。とてつもなく重く、温度のない空気。虚無感に支配されていた。
 白輝の者は誰一人としておらず、そんな空気の中を評議会の面々が暗い顔で、ある一点に身体を向けていた。ベッドに横になっている怪我人たちも、意識がある者はみんなそうしていた。
 しかし、それも彼女が現れて数秒までだった。
 まず、テムが気付いて声を上げて振り向いた。
「! セラ姉ちゃん!」
 彼の声に、全員がどっとテムの見た先、つまりセラの方を向いた。セラが各々の顔を見やると、中には涙を流していた者もいた。マツノシンが途中、目に入ったが、彼なんかは男泣きだった。
「えっと……何?」
「セラっ! セラぁっ!」
 人垣をかき分け、バタバタとした足取りでセラに向かって駆けてきたのは、ユフォンだ。目に涙をためて、嬉しそうに、止まることなく、彼女に抱き付いた。
「っちょ、ユフォン? 何? どういうこと?」
「よかったぁ、よかった、ほんと、よかったっ……」
 彼は応えずにただただ息が多い声で、そう彼女の耳元で繰り返すばかりだった。

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