碧き舞い花

御島いる

392:似合わない笑顔

 どこかムキになって、セラはらしくない大雑把な一振りをノーラに放った。当然、その攻撃が当たることはなく、ノーラの身体は彼女から滑らかに離れていった。
 そのノーラの身体に向かって、リーラの身体が飛んできた。自分の意思ではなく、飛ばされてきた。
 苦痛に顔を歪めてたリーラが衝突寸前のところまで迫ったかと思うと、二つの身体は互いに反発と引き合いを繰り返し、周回しながら上手い具合に勢いを殺し、止まった。
 と、そんな二人のもとへケン・セイが跳び掛かってきた。リーラとノーラは互いの身体を引き離し、彼の蹴りを避けた。ここまでノーラを飛ばしたのも彼だろう。
 避けた二人を十本の剣が追っていく。これは『無機の王』ピョウウォルの攻撃だ。彼はゆったりと歩き、敵との距離を保ちながら十本の剣を操っている。十本の剣はそれぞれが、意思を持ったように自在に動き回り、二人を追い回しながら見事な連携で斬り掛かっていく。
「セラ。なに、している」
 ケン・セイはピョウウォルに二人を任せ、セラに声をかけてきた。怒気の籠ったものだった。
「なにって別に、攻撃が当たらなかっただけじゃない」セラは苛立ちながら、彼の隣に並ぶ。「まさかあんなに離れてて、バルカスラの戦い方ができるとは思わなかっただけ」
「む?」ケン・セイは訝しんでセラに鋭い眼光を向けた。「本気なら、頭冷やせ」
「は? わたしはいつも通りよ」リーラと共に剣に追われるノーラと、テムと拳を交えつつ指揮者の攻撃にも対応するシーラに目を向けるセラ。「ノーラとシーラが裏切り者だったことには、もちろん心が痛んだけど、それでも、裏切りに対しては前々からちゃんと構えてたものっ。確かにさっきの一振りは、雑かもしれない、けど普段通りだから」
「先の一太刀以前の、話」
「なに? ズィーのこと言ってるの?」
「ち――」
 ケン・セイの言葉の最中、彼とセラの後ろに紅き閃光を伴ってズィーが姿を現した。
「戻った……ぞ」
 戻るや否や彼は、二人の間に流れる険悪へとなりつつある雰囲気に、言葉を詰まらせた。
「なん、なんで、二人が喧嘩寸前なわけ?」
「ケン・セイがズィーがンベリカ連れてったことが、気に食わないみたい」
「は? 俺? マジか」
「違う」ケン・セイは半ば吐き捨てるように言った。「セラだ」
「なにが? こんな時に見て学べ、なんて言わないわよね?」
「落ち着けよセラ。熱くなってる」ズィーはセラの肩に軽く手を置いた。「戦場こんなとこで、そんなんじゃ駄目だろ。お前らしくもない」
「だって!……」ズィーの手を振り払い、セラは歩き出す。「もういい、わたしが落ち着けばいいだもんね。喧嘩してる場合じゃないし、戦わないと」
「おい、セラ――」
「駄目だ」
 ズィーが彼女を止めようとすると、それよりも早くケン・セイの右手が、彼女の腕を掴んだ。
「離して、ケン・セイ。あの三人だけを相手にしてる場合じゃないの。もうすぐ包帯の二人もここに来る。わかるでしょ? 大きな気配が来てることくらい」
 彼女の言うように、この場に向けてガルオンとフォーリスが迫っている。挟撃の大乱戦の向こう側からの気配は、正確な距離こそ測り切れないが、大きな集中なくして気配を感じ得る程には接近していた。十分もしないうちにセラたちのもとへ辿り着くだろうと思われる。
「当然。だからこそ、今のセラ、危うい」
「だか――」
「聞けっ!」
 ケン・セイはセラの言葉を鋭い大音声で遮った。その黒々とした瞳はサファイアを射抜き、桃色の唇を閉じさせるには充分すぎるものだった。
「セラ、変に集中している。周り見えていない」
 ケン・セイの言葉にセラは眉を顰める。口を開こうと思ったが、止める。言い返すことを許さない師範の気配が目の前にあった。今まで見たことのない、感じたことのないケン・セイ。敵に向ける殺意でも、戦いを楽しむ狂気でも、師としての威厳でもない。
 対等。
 セラの頭にはふとその言葉が浮かんだ。
「最初から、振り返れ。三つ子、浮き、迫ってきた。それを見たならば、警戒すべき。だが、お前は見えていなかった。そうだな」
 セラは瞳を瞬かせる。「……」
 彼の言っていることを理解するのに時間はかからなかった。
 思い返してみると、確かに三つ子は滑るように進んで来ていた。互いの距離の近い状態である移動開始時はともかく、その後もずっと滑って三方へと動いていた。
 自分がケン・セイの言うように、周りが見えていなかったのだとセラは知った。それでいて、ムキなったり、ケン・セイに反抗的になってしまった自分を恥じた。裏切り者に対しての心構えなど、できていなかったのだと。
 事前の意思は心を乱さないための留め金となったはいいが、視界を狭く、曖昧なものへとしてしまっていた。結果として本来の自分を見失った。
 そんなものは、心構えでもなんでもない。
 セラは俯いた。肩の力が抜けた。
「ごめん……わたし………」
「行くぞ」
 ケン・セイはわずかに鼻を鳴らし、言い残すと、セラとズィーを置いて敵へと向かっていった。
 乾いた風が、白金を揺らした。どこか一層冷たくなったように思う。
 騒乱が、どこか遠くに感じる。
 ここは戦場で、落ち込んでいる時間も、もちろん裏切り者に心揺さ振られている時間もないのに。それなのに、時が止まってしまったのか、もしくは急速に過ぎ去ってしまったのか、時の流れから放り出されてしまったのではないかと勘違いするような感覚を覚えた。
 果てしない矮小感に襲われた。砂丘に一人ぽつんと取り残された気分。
 そんな彼女の背中を、痛いくらいに叩く者がいた。言わずもがな、ズィプガルだ。
 彼のおかげで我を取り戻したセラは、そこが戦場だと改めて知覚するが、どこかぼーっとしてしまう。
 すると、そんな彼女を見かねてか、ズィーは再度、その背中を叩いた。
 思わず声が出たセラ。「痛いっ」
「おい、セラ、落ち着けとは言ったけどよ、落ち込めとは言ってねえだろ、俺。大体よー、あれくらいで落ち込むなよなぁ。俺なんてしょっちゅういろんな賢者に、ご高説賜ってるぜ?」
 ズィーはへらへらと肩をすくめると、「ほら行くぞ」とスヴァニを仲間たちと三つ子が戦っている方へ上下に振った。
 励まされる。彼の真面目で不真面目な激励は、彼女の落ち込みかけた気持ちを強引に起こし上げてくれた。しかし、それは同時にそれだけ心が弱っていたことの証明でもあることは言うまでもない。
「……わたし、弱いなぁ」
「ん? なんだよ、そんなの当たり前だろ。姫が騎士より強かったら困る」
「……そういうことじゃ……うーん、そういうことなら、わたしの方がズィーより強いでしょっ」
「はいぃ? ホワッグマーラでお前止めたの、俺だけどぉ?」
「う~ん……そんなことあったかなぁ~」
「はっは~ん、言ってくれんじゃん姫様よぉ。この戦争終わったら、真剣に勝負だ。この際ちゃんと決めようぜ、どっちが強いのか」
「だからわたしだって」
 戦場には似合わない笑顔が、咲いた。

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