碧き舞い花

御島いる

367:退却の時

 依然、包帯フォーリスへの打開策を見出すことはできていなかった。
 だいぶ水溜りが多くなってきた。すでに水溜りと呼ぶには大きくなりすぎた箇所も見受けられるほどに。
 ぬかるみも増えたことで、足場が悪い。踏ん張りが利かずに足を取られてしまわぬように、フロアの術式を歩調に合わせながら戦うセラ。
 時間切れが近い。
 彼女の太刀筋に焦りが滲み始める。
 そこをフォーリスの刃に狙われた。顔だ。
 辛うじて顔を逸らし、魔素の刀身を避けたセラだったが、フォーリスがすんでのところでわずかに刀身を伸ばしたことで、その切っ先が彼女を頬をきれいに裂いた。
 たらり……ぽつん――。
 頬を滴った鮮血が、水溜りに落ちた。
 その時だ。
 どこからともなく、盛大な鐘の音と笛の音が、地響きを伴って鳴り響いた。水面は細かく波立ち、未だに残っている砂地は細かい粒子を跳ね躍らせる。
「まだだぁ゛ぁっ!」
 轟音が鳴り止むと、それに負けない大音声でフォーリスが叫び、セラに向かって大剣とした魔素の剣を振り上げて、跳び掛かってきた。
 そんな彼が、空中で大剣を振り上げたまま、ピタリと動きを止めた。
「活きがいいのはいいことですね……ですが――」
「!」
 その男は突然、現れた。陽炎のように揺らめきながら、フォーリスのほぼ真下に。
 一つ目の髑髏どくろが持ち手についたステッキを砂につき、猫のような瞳を持つ浅黒い肌の紳士然とした男。煌びやかな装飾品をちりばめた雲海織りの衣服の上に、首からサテンのストールを掛けている。
 そして、そのいかにも目を引きそうな衣装を差し置いて、何より一番目を引くのは、彼の猫のような目が覗く、人の頭蓋を模した、もしくは頭蓋そのもののマスクだった。
 そのマスクのせいで年齢は推し量れないものの、声は落ち着いた、歳を重ねたものに聞こえた。
「退却の時です。僕自身、戦場に出るのは此度が初めてですがね、慣れた皆さま方が決めたことには従うべきだと思うのです。まあなんにしても、あなたは僕の意思のもとに生かされているので、どのみち逆らえないでしょうが」
「うぐぐぐぁ……」
 フォーリスはスーッと空中から降ろされ、男の横に苦しそうに跪いた。
「よろしい……と言いたいところですが、なかなかに自我の強い人ですね。暴れ足りないにしても、まだ戦争は続くでしょうし、落ち着きなさい」
「……殺す、殺ず、殺ずぅ…………」
 男に頭を下げながらも殺意に満ちた鋭利な瞳をセラに向け続けるフォーリス。セラは自分を睨みつける包帯魔闘士から、髑髏の男と目を合わせる。
「お前が、その包帯の使い手か?」
「さてどうでしょう、といっても誤魔化せないでしょうから……認めましょう。おっと、失礼。僕はクェト・トゥトゥ・スと申します。お初にお目にかかりますね、『碧き舞い花』。ヌロゥさんやルルさんからお噂はかねがね聞いておりましたが、それに違わぬ麗人でいらっしゃる」
 あまりにも丁寧な、敵対している者とは思えない口調に、セラは押し黙ってしまう。
「……えっと、第三部隊の長の役目を仰せつかっておりまして、普段は専ら研究をしているのですがね。此度は先程の休戦に合わせて招集された次第で――」
 セラは思わず止めにかかる。「……お、おいっ」
「? おや、なんでしょうか?……ああっ」男は首を傾げたかと思うと、何かに気付いたように閃きの声を上げ、続ける。「申し訳ない、僕ばかりが喋ってしまって、どうぞあなたも話してください」
「いや、そうじゃなくて……ここは戦場よ? 悠長に会話なんて……」
「おやおや、そうでしたね。退却の令が出ていたのでした。それでは『碧き舞い花』。また会えることを、楽しみにしておりますよ。そのときは、あなたの自己紹介からはじめて、ゆっくりお話でもしましょう」
「えっ、ちょ――」
 髑髏の男、クェト・トゥトゥ・スはフォーリスを伴い、ゆらゆらとその姿を消した。ロープスではない、彼自身の瞬間移動術だろう。移動の瞬間に魔素のような活力の変化はなかった。そのことから、完全に道具に頼ったものだと考えられた。
『夜霧』第三部隊隊長と語った彼。今まで相対した『夜霧』の者とは全く雰囲気の違う存在。コクスーリャも潜入している存在ではあるが、表向きは『夜霧』の非情さや冷酷さのような雰囲気を醸し出していた。それが、クェトには全くなかった。
 研究をしていると言っていたが、もしかしたら本心から『夜霧』に加担しているのではなく、強要されているのかもしれない。
 しかし、彼からは恐怖というものも感じなかった。純粋に研究を楽しむ人間か。研究ができるならば、どこでもいいという考えの持ち主なのだろうか。
「ジルェアス、退くぞ」
 独り、湿り気を帯びた熱風の中に佇み、考え込みはじめた彼女の耳に、キノセの声が入り込んできた。
 今まで評議会の情報にもなかった新たな敵、それも部隊長。
 クェト・トゥトゥ・ス。
 雰囲気はどうあれ、敵として立つならば切っ先を向けるまで。セラは思考をそう締めくくって、駆け寄ってきたキノセを迎える。
「わたしはヅォイァさんを連れてから戻る」
「そうか。じゃあ俺は……生き残ってるやつがいないか、少し探してから戻ることにする」
「うん。でも、ちゃんと自分も休んでよ、キノセ」
「言われなくても。じゃ、行くから」
「うん、またあとで」
 どこか哀感と頼もしさが混じってみえる、編まれた髪を揺らしながら去って行く彼の背。セラは彼が砂丘を一つ越えるまで見送り、ヅォイァのもとへと跳んだのだった。

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