碧き舞い花

御島いる

359:遡行

「くくく、面白い。いいぞ、『碧き舞い花』!」
 ヌロゥが今までにないくらい、しっかりと構えた。
 セラもオーウィンを握る力がいい具合に抜ける。
 この力で、この力ならば、一気に勝負を決めにいける
 そう彼女が心内で意気込んだ、その時だ。
 ふっと身体が重くなったように感じたセラ。対峙するヌロゥも眉を顰めた。
 自分の手元を見ると、碧きヴェールが薄らぎはじめていた。
クィフォうそ……」
 どうにかして力を戻そうと、集中してみるが、無駄なあがきだった。まるで溺れるがごとく、あがけばあがくほどに、ヴェールは薄くなり、ついには消え失せた。
「なん、で……」
「なんだか知らねえけど、集中しろ!」
 ジュランが彼女の前に立ち、喝を入れる。
「戦いの最中だ。考えるのはあとにしろ、ジルェアス嬢」
 この場にいるセラ以外で唯一、彼女のその力の事情を知っているヅォイァが、ヌロゥの向こうから声を張った。
「……分かってますっ」
 せっかく発現させた秘めたる力。
 感覚すら掴めずに手元からなくなってしまったことに、彼女にはそれなりの心残りはあった。それでもセラはオーウィンを構え直す。
 一気に勝負を終わらせることができなくとも、勝機がなくなったわけではない。
 止まっている場合ではない。
「なんだよ、おい……今ので終わりか? っち、興醒めだな。俺の酔狂もここまでか」
 だらりと、構えを緩めたヌロゥ。そのままのらりくらりと身体を回し、後ろにいたヅォイァに迫る。
「せめてよわい順に殺すとするか。最後、仲間たちの死に絶望した『碧き舞い花』を殺すことで、この物語の幕を降ろそう」
「舐めるなといったろう、若僧がっ!」
「ふんっ、ここまで来て、老いぼれに何ができる」
「想像できぬだろう?」ヅォイァは迫るヌロゥに対し、棒を身体の前に突き立て、手を合わせる。「故に若僧なのだ」
「?」
 ぬらっと小首を傾げるヌロゥ。セラの隣ではジュランが駆け出そうとするが、それを彼女は止めた。
「おい、あの爺さんが――」
「待ってジュラン。ヅォイァさんは強いから」
「は? だってさっきは守りに入ってたじゃねえかよ、お前」
「いいから」
 それだけ言ってセラは黙り込み、ただただヅォイァに目を向ける。彼から発せられる雰囲気がウェル・ザデレァの原色の空気を濁らせているように、感じた。だから、ジュランを止めたのだ。
 くすんだ緑が彼に淡く輝く刃を振る。
 その寸前、老人は小さく口を動かし声を発する。
鬼心おにごころ――」
 その声はこだまするようにセラの耳に届き、次いでカコーンッと甲高い音が乾いた空に鳴り響いた。
 ヅォイァは未だ手を合わせている。にも関わらず、彼の棒が誰の手も借りずに自ら動き出し、ヌロゥの攻撃を弾いたのだ。
 その予想だにしていなかった反撃に目を瞠ったのも一瞬、ヌロゥはヅォイァに向かって二の太刀を繰り出す。
 しかし、それもまた棒によって弾かれた。三の太刀、四の太刀……棒は、主を徹底的に守っていた。
 外在力を纏っているヌロゥの攻撃に、折れることも、押されることもなく見事に打ち返す。
 獅子羽、ではなかった。
 棒は宙に浮いているものの回転はしておらず、何より獅子羽ならばヅォイァが腕を振って動かすはずであったが、彼は手を合わせたままだ。
 ヌロゥが一旦、ヅォイァから距離をとる。
「なんだ、若僧。もう終わりか?」ヅォイァは手を合わせたままヌロゥを一瞥し、口角を上げる。「俺はまだ終わらんぞ」
「そうか」攻撃を全て防がれたわけだが、ヌロゥは冷静に余裕を湛えている。「じゃあ、見せてみろよ」
「ここから先は、お前の想像の外だ」
 ヅォイァは合わせていた手をわずかに離し、それからパァンと叩いた。
「鬼に心、非ず」
 また叩く。パァン――。
「神にかたち、非ず」
 パァン――。
「デルセスタ棒術が辿り着く真髄……鬼心、そして――」
 ヌロゥが右目を大きく見開いた。「なにっ?」
「うそだろ?」とジュランはあんぐりだ。
「そんなの隠してたの……ヅォイァさん」
 三人が目の当たりにしたのは、遡行。
「――神容しんよう
 禍々しくも見える濁った煙を身体から発し、若返る。
 ヅォイァの時の流れが逆行し、見る見るうちにその身体が若返っていったのだ。
 顔の皺はきれいさっぱりなくなり、肉体は猛々しい筋肉に覆われる。うねっていた髭は雄々しく、彼の背筋同様にピンと真っ直ぐになり、顎で左右に分かれて逆立つ。その髭は牙のようで、角のようで。
 濁った煙にその風貌。
『デルセスタ解放の怪人』。
 怪人とはつまりこういうことかと、セラは得心した。

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