碧き舞い花

御島いる

314:コクスーリャの嘘

 紙面から顔を上げ、コクスーリャに目を向けるセラ。
「そいうことだ」
 彼のその言葉は耳に入ったが、彼女の思考はそれよりも記憶を辿ることに集中していた。これもまたあの漂流地での出来事だ。
 統率者の名を口にしようとして、突然気の狂った元『夜霧』の部隊長。アメジストの肌を持つ暴君、ギュリ・ドルツァ・ビーグ。あの男に起こった出来事がここに書かれた呪いだったのだ。
「この呪い、見たことがある」
「!」
 コクスーリャは声を出さずに驚いた。『白昼に訪れし闇夜』に関わる情報は感嘆ですら、口にしてはいけないということだろうか。
「反応も口にできないの?」
 彼女の言葉に彼は頷く。「通り名を口にするくらいが限度だ。あの方に関しては」
「紙に書いてもらうしかないってことか」
「そうなるな」
「じゃあ、この一度対面したけど、姿を目にしたことはないってどういうこと? 会ってるんだよね?」
 コクスーリャはセラを手で制し、再度、紙に文章を書き始めた。先ほどより時間はかからず、すぐにセラの手に紙が渡る。
『確かに目の前にヴェィルはいた。だがその姿は黒い靄で覆われて見えなかった。靄の中に気配は感じたが果てしなく大きく、認知の域を超えていた。靄そのものが彼なのではと感じるほどだ』
「あの方に関してはそれ以上語れることはないな。フェースが会っているのもどこか分からない」
「そっか。でもこれだけでも重要な情報だよ。今まで、通り名しかわからなかったんだから」
「それはよかった。紙はさっきみたいに燃やしてくれ」
「うん」彼女は手に持った二枚を火炎に飲ませた。「ねぇ、呪いを掛けられていなければ、名前を出しても平気?」
 その問いにコクスーリャは爽やかに笑んで深く頷いた。それを見てからセラは質問を続ける。
「ヴェィルの目的は、そもそも何? 『夜霧』という組織を作ってまで何をしようとしているの? あ……これって答えられる?」
「『夜霧』は各世界のはぐれ者の集まりなんだ。だから目的としては彼らが住みやすい世界、異空そのものから変えいくってとこだな。あの方が本当に目指してるものが何かは分からないけどね」
「はぐれ者……か」
 世界のはぐれ者の集まり。その言葉に、求血姫ルルフォーラがヒィズルで死を目前に感じて口にしたうわ言が思い出された。「わたしたちがどうして責められなきゃいけないの?」うわ言ではあったが、訴えかけるような物言いだった。求血姫は自分が生まれた世界で、不当な扱い受けたというのだろうか。
 同情めいた考えが浮かんだが、セラは頭を振って改める。あの女を含め、『夜霧』の者たちがしてきたことは許されることではない。多くの人を悲しませている。コクスーリャの言う『夜霧』の目的はあまりにも自分勝手なものだ。
「大丈夫か?」
 セラが首を振り黙り込んだことを心配してくれたようだ。コクスーリャが彼女を覗き込むように、首を傾げた。
「うん、大丈夫。ところで、『夜霧』は評議会のことどれくらい知ってるの?」
「評議会が『夜霧』のことを知ってるより、知ってるだろうね」
「あなたが調べたの?」
「まさか。フィアルム人であることは隠してると言っただろ」コクスーリャは前傾し、顔の前に手を組んだ。「……紛れ込んでるぞ」
「!」
 ゼィロスが危惧していたことが、事実として彼女に迫った。裏切り者。『夜霧』への内通者がすでに評議会に潜んでいる。彼はそう言ったのだ。
「誰なのっ!?」
 セラは立ち上がりながらコクスーリャに迫った。彼女が彼に手を触れると椅子は大きな音を立て、その機能を失う。セラが安楽椅子ごとコクスーリャを押し倒す形となってしまった。
「痛い……」
「ごめん……」
 彼に手を貸し、二人で立ち上がる。
「『夜霧』そのものよりも興味あるのかよ」
「だって、あんなに、みんなで手を取り合ってるのに、裏切りなんて……」
 コクスーリャが安楽椅子を立て直す。
「悪いけど、諜報員が誰かは知らない。でも、確かだ。『夜霧』はスウィ・フォリクァの場所も把握してる。仲間内しか知り得ないことだろ?」
「……うん」
 伏し目がちに、落ち込むセラ。だが、その顔がすぐに上がりコクスーリャと目を合わせた。
「君も気付いたみたいだな」
「今の音で見張りがこっちに来てる」
「君が俺を襲ったとでも思ったんだろ、とにかくここまでだな。まあ、結構話せたと思うけど、いや大事なこと話してないな」
「何?」
「明日のこと」
「神前試合が明日なのは聞いた」
「違う。君を助ける方法」
 ドンドンッ!
「おい、何してる! コクスーリャさん、無事ですか!」
 コクスーリャの背後、戸の鍵を開ける音がしはじめた。
「もう来たか」コクスーリャはセラに顔を寄せ口を開いた。「   」
「へっ!?」
 彼女は素っ頓狂な声を上げた。だがコクスーリャは一瞬苦い顔をしただけで、お構いなしにセラの足を払った。それに伴い、彼女はまたも素っ頓狂な声を上げた。そして当然の如く、床に倒れた。
「な、にを……」
 倒れたセラに対し、コクスーリャは以前酒場の店主にやって見せた拘束の術を彼女の手足に掛けた。恐らくはフィアルムの技術なのだろう。
 勢いよく、戸が開き、男が二人どたどたと入ってきた。
「気が早い女だ。試合は明日だと言っただろ」コクスーリャが冷たく言い放つ。「ちょうどいい、お前ら、この女をベッドに運んでやれ」
「なぜです?」
「このままそこで寝かせておけばいいのでは?」
「神前試合には万全で臨ませなければならないだろ。床で痛めた身体で出られては困る」
「なるほど。おい、運ぶぞ」
 こうしてセラは男二人に運ばれ、ベッドに寝かされた。彼女を残し全員が出ていく。すると手足の拘束が解けた。
 コクスーリャはフェリ・グラデムの戦士として、『夜霧』の者として、セラに敵対しているという演技を見せたのだろう。二人が意義のある会話をしていたと知られないために。
 しかし、とセラは窓の外に目を向け考える。
 彼がセラを助ける方法として伝えようとしたことは何だったのだろうか。
『真実の口』の効果が発揮されたということは、何かしら嘘を言ったということだ。助ける方法だというのに、なぜ嘘を口にしたのか。
 短い時間で築き上げた信頼が揺らぐ。一瞬見せた苦い顔。嘘を伝え、自身を罠にはめようとしたのか。それとも……。
 考えがまとまることはなく、セラはもやもやとした気持ちで寝付けなかった。結果、一睡もすることなく、悪夢を見ずに朝を迎えたのだった。

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