碧き舞い花
303:顕れる
伸された痣だらけの男が、二人の男によって舞台から降ろされていく。
代わりにセラが上がった。
「次、俺と戦ってくれるか?」
ハリテが彼女に目を向ける。その視線が彼女の後方へとずれていく。彼が見たのはカウンターにいる店主だった。
「もう一戦、やっても大丈夫か?」
「ええ、それはもう。もちろん」
返事を聞いて、ハリテは頷く。改めてセラを見る。
「許可が出た、すぐにでもはじめよう。俺に勝てれば、誰だって君が上に行くに値すると認めてくれるぞ。まあ、勝たなくても俺が強さを認めれば上に行けると思っていい」
「大丈夫。もちろん、勝つから」
「威勢がいいな。さっきの挑戦者みたいにならないといいな」
「ならないよ」
セラの言葉を聞いてわざとらしく驚いた顔を見せるハリテ。「おお、じゃ、お手並み拝見だ。かかってっこい」
涼しげな顔になり、ハリテが構える。
本気を出してない力の抜けた構え方。セラのことを侮っている。勝てると思い込んでいる。
一瞬で終わらせる。それは簡単なことだったが、セラは手を抜いて相手に合わせることにした。早く上に行きたい気持ちはあるが、見過ごせないものがこの場所にはあった。
敵の実力に合わせ均衡を装いつつ、徐々に力の差を見せていく。
するとハリテは気を引き締めた戦いをするようになった。「やるな。でも、俺はまだ本気出してないんだ」
「なら出せよ。それが限界じゃないならさ」
「っ! 言ってくれるなぁ。手を抜いていたが、調子乗るなよ」
口先だけ。セラはうんざりした。以降、まったくハリテの戦いの精度が上がることはなかった。
力の差は歴然。ハリテが焦りの色を見せ、戦いの最中だというのに店主の方を見た。汗がダラダラと滴り落ちる。
顔を向けられた店主の反応はというと、首を素早く横に振った。戦いが止まった舞台の異変に客たちは静まり返る。
「言っただろ、さっきの人みたいにはならないって」
セラが話し出すとハリテは眉を寄せ、歯ぎしりした。
「俺に毒は効かないから」
その言葉にハリテははっした。だが、すぐに言っていることが理解できないとばかりに、白々しい態度を見せる。下手くそなその場しのぎにしか見えなかった。
「ど、毒? なんのことだ。ま、まあ、よくわからんが、いいだろう。君には上へ行けるほどの力がある。勝負はこれまで、おめでとう。上でも頑張るといい」
客たちが感嘆の声と共に拍手をはじめた。セラに向けたものだろう。ハリテに認められたことを称えるもの。だがセラはそんなもの欲しくはない。
「酒の毒の話だ」
低く拍手の音を潜り抜けるような声でセラが言う。拍手は止み、客たちが訝しむ声を上げ、ざわめき出す。
セラがさっき飲んだ酒、ヨコズナの涙。そこには毒が入っていた。超感覚による嗅覚の延長が捉えた、わずかに混ざった臭い。それが毒を学んだ彼女の知識に引っかかったのだ。
「あんたの奢りなんだろ、あんたと戦う人には」
「あ、ああ、酒は確かにそうだ。でも、毒なんて知らない」
「店主が勝手にやってるって?」
ちらりとセラが店主に目を向けると、彼の顔は青ざめていた。指先が震えている。こちらは隠す気もないか。というより、全ての責任を負わされることに恐怖していると言った方がいいか。
「この階層で一番強いあんたがそう言ったら、みんなそう信じざるを得ない。たとえ、今さっきのあからさまな態度を見たってな」
「それに――」
突然知らない声がセラに続いた。セラが声のした方を向くと、そこには先程ハリテに敗れ顔を腫らした男がいた。腫れた顔とは裏腹に、ぴんぴんとして立ち上がり、周囲の客たちを驚かせている。
「――毒がばれたり、毒が効かないほどの強さの人は、今、彼に言ったように上にあげさせてしまえばいい。この階層ではそれがルールだから。単純に上へ行きいい暮らしがしたいこの世界の住人も、力試しに外から来た異界人も、上に行けるなら文句は言わない。今まではそうだった。けど、彼は違った」
腫れあがり瞳は確認できないが、男はセラに視線を向けているらしい。
ハリテが静かに吠える。「負けた者が。たらたらと、わきまえろ」
「いやさ、確かにさっきは負けた、負けてあげたよ」
「なにぃ?」
「でも、俺さ、ここで一回負けたくらいで立場が揺らぐほど、身分低くないんだ」
何をするかと思えば、男は痛々しい自身の顔を首元から掴んだ。そしてゆっくりと上へ引き上げる。皮膚が剥がれる。
ぺリぺリ……。
「!?」
セラは目を瞠った。
男が皮膚を剥がしはじめたからではない。剥がれた下から出てきた顔が、目的だったからだ。
「コクスーリャ・ベンギャ……!」
『夜霧』という異空の脅威に属しているとは思えない爽やかな顔。無傷だ。
彼は口元に笑みを湛え、剥いだ痣だらけの皮を床に投げた。
「ご明察。さすがだ」
代わりにセラが上がった。
「次、俺と戦ってくれるか?」
ハリテが彼女に目を向ける。その視線が彼女の後方へとずれていく。彼が見たのはカウンターにいる店主だった。
「もう一戦、やっても大丈夫か?」
「ええ、それはもう。もちろん」
返事を聞いて、ハリテは頷く。改めてセラを見る。
「許可が出た、すぐにでもはじめよう。俺に勝てれば、誰だって君が上に行くに値すると認めてくれるぞ。まあ、勝たなくても俺が強さを認めれば上に行けると思っていい」
「大丈夫。もちろん、勝つから」
「威勢がいいな。さっきの挑戦者みたいにならないといいな」
「ならないよ」
セラの言葉を聞いてわざとらしく驚いた顔を見せるハリテ。「おお、じゃ、お手並み拝見だ。かかってっこい」
涼しげな顔になり、ハリテが構える。
本気を出してない力の抜けた構え方。セラのことを侮っている。勝てると思い込んでいる。
一瞬で終わらせる。それは簡単なことだったが、セラは手を抜いて相手に合わせることにした。早く上に行きたい気持ちはあるが、見過ごせないものがこの場所にはあった。
敵の実力に合わせ均衡を装いつつ、徐々に力の差を見せていく。
するとハリテは気を引き締めた戦いをするようになった。「やるな。でも、俺はまだ本気出してないんだ」
「なら出せよ。それが限界じゃないならさ」
「っ! 言ってくれるなぁ。手を抜いていたが、調子乗るなよ」
口先だけ。セラはうんざりした。以降、まったくハリテの戦いの精度が上がることはなかった。
力の差は歴然。ハリテが焦りの色を見せ、戦いの最中だというのに店主の方を見た。汗がダラダラと滴り落ちる。
顔を向けられた店主の反応はというと、首を素早く横に振った。戦いが止まった舞台の異変に客たちは静まり返る。
「言っただろ、さっきの人みたいにはならないって」
セラが話し出すとハリテは眉を寄せ、歯ぎしりした。
「俺に毒は効かないから」
その言葉にハリテははっした。だが、すぐに言っていることが理解できないとばかりに、白々しい態度を見せる。下手くそなその場しのぎにしか見えなかった。
「ど、毒? なんのことだ。ま、まあ、よくわからんが、いいだろう。君には上へ行けるほどの力がある。勝負はこれまで、おめでとう。上でも頑張るといい」
客たちが感嘆の声と共に拍手をはじめた。セラに向けたものだろう。ハリテに認められたことを称えるもの。だがセラはそんなもの欲しくはない。
「酒の毒の話だ」
低く拍手の音を潜り抜けるような声でセラが言う。拍手は止み、客たちが訝しむ声を上げ、ざわめき出す。
セラがさっき飲んだ酒、ヨコズナの涙。そこには毒が入っていた。超感覚による嗅覚の延長が捉えた、わずかに混ざった臭い。それが毒を学んだ彼女の知識に引っかかったのだ。
「あんたの奢りなんだろ、あんたと戦う人には」
「あ、ああ、酒は確かにそうだ。でも、毒なんて知らない」
「店主が勝手にやってるって?」
ちらりとセラが店主に目を向けると、彼の顔は青ざめていた。指先が震えている。こちらは隠す気もないか。というより、全ての責任を負わされることに恐怖していると言った方がいいか。
「この階層で一番強いあんたがそう言ったら、みんなそう信じざるを得ない。たとえ、今さっきのあからさまな態度を見たってな」
「それに――」
突然知らない声がセラに続いた。セラが声のした方を向くと、そこには先程ハリテに敗れ顔を腫らした男がいた。腫れた顔とは裏腹に、ぴんぴんとして立ち上がり、周囲の客たちを驚かせている。
「――毒がばれたり、毒が効かないほどの強さの人は、今、彼に言ったように上にあげさせてしまえばいい。この階層ではそれがルールだから。単純に上へ行きいい暮らしがしたいこの世界の住人も、力試しに外から来た異界人も、上に行けるなら文句は言わない。今まではそうだった。けど、彼は違った」
腫れあがり瞳は確認できないが、男はセラに視線を向けているらしい。
ハリテが静かに吠える。「負けた者が。たらたらと、わきまえろ」
「いやさ、確かにさっきは負けた、負けてあげたよ」
「なにぃ?」
「でも、俺さ、ここで一回負けたくらいで立場が揺らぐほど、身分低くないんだ」
何をするかと思えば、男は痛々しい自身の顔を首元から掴んだ。そしてゆっくりと上へ引き上げる。皮膚が剥がれる。
ぺリぺリ……。
「!?」
セラは目を瞠った。
男が皮膚を剥がしはじめたからではない。剥がれた下から出てきた顔が、目的だったからだ。
「コクスーリャ・ベンギャ……!」
『夜霧』という異空の脅威に属しているとは思えない爽やかな顔。無傷だ。
彼は口元に笑みを湛え、剥いだ痣だらけの皮を床に投げた。
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