碧き舞い花

御島いる

253:裏社会の首領

 バタンッ――!
 カフェの扉が勢いよく開いた。店員と客は入ってきた者を見て一瞬ぎょっとした。竜人の中でも恐ろしいと言われるその顔に。
 だが、それがデラバン・シュ・ノーリュアだと分かると安堵し、それぞれの仕事、食事に戻る。
「ノーリュア班長、お一人ですか~?」
 店員が声をかける。セラたちに料理を運んできた女の竜人だ。
「ここに渡界人二人とシァンちゃんが来てるだろ。どこだ?」
「渡界人かどうかは分からないですけど。シァンちゃんならこっちですよ~」
 朗らかに笑いデラバンを先導する店員。後ろのデラバンの顔には怒りと疲労の色が見えた。
「こちらで~す。ごゆっくり~」
 デラバンを案内し終えると、店員は注文を聞くことなく早足にその場を去った。
「セラがいてこれか……」
 溜め息交じりに言うデラバン。その目はテーブルに並ぶ空いた皿を見ていた。
「ごめんなさい、デラバンさん。報せに行くべきでした……」
 セラは飲もうとしていた逆鱗茶のカップを置く。正直に言うと、『竜宿し』と逆鱗花の葉を手に入れ、目的を終えたことで、デラバンのことは頭から抜けていた。
 謝る彼女を余所に、ズィーは呑気だ。
「でも、デラバンここに来たじゃん。結果オーライじゃねーの?」
「ウィスカちゃんに聞いたんだ。シァンちゃんが逆鱗花料理を食べに二人を連れていくならここだろうとな。いや、この際このことはいい。二人とも、守護団に来てくれ」
 言ってデラバンはセラとズィーに触る。ナパードで跳ぼうということだろう。
 それを察したのだろう、「ちょ、あたしはっ!?」とシァン。
「急を要する。ズィー跳んでくれ」
「えっ!? なんでぇ!」
「あいよ。またな、シァン」
「ごめんね、また」
 カフェに紅き閃光が放たれた。


 ズィーが向かった先はデラバンの班長室。
 ジュサを連行した時にはロビーに跳んだというのに、今回は違う彼の勘なのだろう。そして、えてしてこういった彼の勘は当たる。
「こっちは一大事なんです!」
「おらぁたちも一大事じゃけぃ!」
「うひィっ……そ、そうやって凄んだって、ただ凄んだって、駄目ですよ! こ、恐くなってありませんから! 警邏隊の人とか、研究所の人とは恐い顔で笑うんですから!」
「いきがってんじぇねぇど、異界の小娘がぁ。おらぁたちは魔法世界がどうなろうと知ったこっちゃないざい!」
「ちょ、オヤジ! それは言い過ぎだろ!」
「黙っとろうが、ジュサ! 譲れんのじゃ! どうしても評議会のモンに伝えねばならんことがあるざい!」
 パンっ!
 周りの見えていない三人に向かって手を叩くデラバン。部屋が一瞬で静まった。
「何かあったんですか」セラはすぐさま、宙に漂う小さな幽体に声をかける。「ヒュエリさん」
 幽体ヒュエリが二人のもとへ来たということはホワッグマーラで急を要する事態が起きたということだ。
「はぃ――」
「おおぁ、『碧き舞い花』、『紅蓮騎士』!」
 ついさっきまでヒュエリと言い争っていたのは、デラバンに引けを取らない恐ろしい顔の竜人。ジュサがオヤジと呼んだ彼は当然、スウィン・クレ・メージュの裏社会の首領、ワィバー・ノ・グラドだ。前頭部からぐるりと後ろへ伸びる二本の角は畏怖を与えるには充分だろう。現に、彼女の場合は相手が竜人でなくてもそうなのだが、ヒュエリは顔面をぐじゅぐじゅにしていた。
 そんなヒュエリを押し退け、どかどかと二人の渡界人に駆け寄る。
「頼むざい! 奴らのこたぁ、なんでも話したるけん、虹架諸島をば救わんね!」
 あろうことか、裏社会の首領がその見事な角を床につけ、平伏した。デラバンはセラの隣で目を瞠る。
「オヤジ、そのことなら、アタイがもう――」
「黙らんか、ジュサ! おまんとおらぁでは立場が違うじゃろが! 言葉ぁ同じとて、口んするモンが違えば、重みが違うじゃけ!」
 やはり親子か。言葉こそ同じでも、口にする人間が違えば価値も変わる。それはジュサが口にした言葉だった。
 だが、今のセラとズィーにとってはホワッグマーラの方が重要。この世界と『夜霧』の繋がりについて話を聞くのは他のメンバーでも可能だろう。セラはそう思い至った。ひとまず顔を上げさせようとすると、先にズィーが口を開いた。
「顔上げろよ」
 言ったかと思うと、ズィーは何を思ったかスヴァニを抜き、上がったワィバーの顔の前に突き立てた。
 ヒュエリが小さく悲鳴を上げた。一同も驚愕だ。
 しかし剣を突き立てられた当人は瞬きすらせず、白刃にじっと竜の眼を映していた。
「頭ぁ下げるだけじゃぁ、足りんと? ならば、約束ぅ果たしおったら、おらぁの身ぃくれてやらぁ! 最上の竜骨刀にでも、鱗鎧うろこよろいにでもせぇやざい!」
「……」
 言われたズィーが黙り込み、空気が沈黙する。と、唐突に彼の拳がワィバーの脳天に落ちた。その勢いもさることながら、いきなりのことに竜人もなされるがまま、再び床に頭をつけた。
「……」
 バッと上がる竜人の顔。怒りの表情。
「おのれ、『紅蓮騎士』ぃ! 下手したてにでりゃ、生意気なっ!」
「うるせえっ、その話はジュサともう済んでんだよ。時間の無駄だ! 俺たちには今、ホワッグマーラの方が大事なんだよ、わざわざ同じ話しにくんな」
「なん、こんガキ……」
 みるみる内にワィバーが怒りに染まっていく。これでは余計にややこしくなり、時間を取られてしまうだろうと、セラはしゃがみ、そっと竜人と目の高さを合わせる。
 スヴァニを間に挟んでいるとはいえ、真ん前に見る怒れる竜人の迫力は、彼女でも気圧されるほどだ。
「……あ、あの、えっと……もちろん、情報提供はありがたいです。でも、それはわたしたちよりもっと上の人にしてください」
「ああん゛っ!」
「……えっと、そう! 同じことを話すにしても、話す相手が違えば伝わる内容も、その後の協力関係とかも変わってくる、と……思いませんか?」
 セラは彼が持つ思考に合わせた提案をしてみせた。咄嗟の思い付きではあったが、どうだろう、ワィバーの顔からは怒りの色が薄れていく。目を細め思案顔をしばし見せると、唸りに似た声を発した。
「ふーん……それもそうざい。熱うなり過ぎたけんなぁ……」
 ゆったりと立ち上がり、渡界時二人を交互に見やる。
「上のモンに伝えんね、必ずおらぁんとこに顔を出してくれんねとな」
 それだけ言うと、「帰んぞ、ジュサ」とジュサを連れ立って班長室を出て行った。
 それを目で追いながらズィーはスヴァニを床から引き抜いてデラバンに訊く。
「ジュサ、帰れんの?」
「通常の三倍の罰金を払ったからな。まあ、普通の奴ならそれでも罪を逃れることは出来ないが、グラド一家だからな。『竜毒』を異世界に流してることばかりに目が行くが、あの一家はそれだけだ。必要以上に流しはしないし、抗争だって自身から仕掛けることはない。裏社会の頂点のあの一家がなければ、他の組織が好き放題やるだろう」
 デラバンは小さくため息を吐いた。だが、セラにはそれが微笑んだように見えた。
「抑止力なんだよ、グラド一家は」
「ふーん。よくわかんねえけど、なんだかんだ良い奴だよな、ワィバーって。『夜霧』のことといい。世界想いっていうか」
「感心してる場合ではないぞ、ズィプ」
「え?」
「床の修理代。お前にも罰金、払ってもらうからな」
「はぁあ!?」
 納めたスヴァニの柄に未だ手を掛けるズィーの足下、床には立派な傷跡が残っていた。
「安心しろ、三倍じゃなくていい」

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