碧き舞い花

御島いる

238:ナマズと竜

「すいません、いきなり来て、こんな」
 セラは申し訳なさそうに言った。
 彼女が見上げる相手は『猛毒は薬なり‐異世界の毒図鑑と調薬の方法‐』の著者であるベルツァ・ゴザ・クゥアルその人だ。
 ナマズのように長い顔。その顔を覆ってしまうのではないかと思わせる大量の長い髭の中に、二本だけ混じるナマズのような髭。腰が折れているにも関わらず、セラが見上げなければならない身の丈。それから白衣。それらが彼がこの世界の住人であることをたらしめている。
「渡界の者はいきなり現れるものだと決まっておろうゥ? それに、評議会には様々な情報を貰っているのだゥ、人員を裂くくらいなんてことはないゥ」
 独特な語尾はトゥウィント語。
 そう、セラは『白衣の草原トゥウィント』に足を運んでいた。


 クラスタスの提案はとても簡単なことだったのだが、彼女が見落としていたことだった。
 ズィーと喧嘩をしていたということも手伝ったのか、自分の薬で救いたいという気持ちがそうさせたのか、とにかく盲点となっていた。
 竜毒による中毒症状の治療。
 液状人間はズィーの服用した葉、『逆鱗花げきりんかの葉』の毒から逃れた。確かにここで言う竜毒とは『竜宿し』と呼ばれる麻薬のことで、葉そのものからは相当に弱毒化されているもののことだ。だがそれでも、否、それこそが重要だった。
 毒が弱められ、服用してもすぐには死に至らないとすでに分かっているのだから、操られている人々を大きな危険に晒すことはない。その上、症状を治療する薬もすでにこの世に存在するとなれば、これ以上の手は現状ではないのだ。
 セラの製薬より確実な手と言えた。
 判明するや否や、セラとズィーはそれぞれホワッグマーラを発った。
 ズィーは『スウィンかかるクレ・諸島メージュ』に跳び、そこの裏社会の首領とも呼ばれる者に『竜宿し』を提供するように頼みに行っている。最悪力尽くで貰ってくると言ったズィーに、セラは同行すべきだろうとも考えたが、自分も使命があるが故に諦めた。どうか穏便に済ませてほしいと願うばかりだ。


「わたし、することないですよね……」
 セラはベルツァから正面へと目を向ける。
 トゥウィントの『清浄草原』と呼ばれる純白の芝生の上では、幾人ものナマズ顔が胡坐をかいて製薬作業を行っている。誰も彼もが白衣を纏っていることで、まるで芝生の延長のように一体化して見える。
「任せておけばいいゥ。あなたはゆっくりしていくゥ。ィルやリィラとでも話していくゥ」
 確かにこれだけの大人数が一斉に竜毒の治療薬を作っているのだから、彼女が一人加勢したからと言って大して時間に変わりはない。
 しかしだからと言ってゆっくりしていていいものか。どうせならズィーのところにでも行こうかと考え始めるセラだった。
 今、ホワッグマーラではヒュエリたちがドルンシャ帝の居所を探っている。事態が急速に動いた場合はヒュエリの霊体が知らせに来てくれることになっているが、ズィーのところならばすれ違いになるということはないだろう。
「ごめんなさい、ベルツァさん。薬が出来上がるころに戻ってきます。ィルさんやリィラさんとはまた今度に」
「そうかゥ。では後ほどゥ」
「はい」
 セラは頷くとトゥウィントに碧き花を散らした。


 宙に浮いた島島はビュソノータスの浮島を思わせる。
 そこは虹に吊るされた島々が群れを成す世界。スウィン・クレ・メージュ。
 ナマズのような顔を持つトゥウィント人とは打って変わって、前方に伸びた口と鼻、牙や角、鱗を持つ竜人たち。似てる点を上げるならば、口に上に生えた二本の髭だろう。ただし、トゥウィント人には申し訳ないが、竜人たちのそれは格段と立派なものだ。
 そんな竜人を見てセラが思い浮かべるのは破界者だった。
 彼もは竜人だったのだと知る。
 異空の怪物に寄生されたからかは定かではないが、髭を失い、鱗も失い、光沢を持つ肌で覆われていたが、姿形は竜人そのものだ。彼女の視界を往来する竜人たちは皆、衣服をしっかりと着ているということも彼との違いだ。
 兄弟子エァンダも眉目秀麗な姿から変わり果ててしまっているのだろうかと不安に思いながらも、セラはズィーの気配を探るのだった。

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