碧き舞い花

御島いる

182:八羽と共に

「静かに行いたいものだ。偉大な儀式はな」
「ぐぅっ……!」
 悪魔の持つ二本の刀が形を変え、主の手を離れるとセラに巻き付く綱となる。そのまま体から離れた黒を自らの身体同然に操り、悪魔はセラと共に遥か高くに蒼天を昇る。
「セラっ!」
 落孔蓋を駆け登り、サパルが来る。ゆったり昇る悪魔とセラにはいとも簡単に追い付くことができた。だが、鼻で笑った悪魔の腕の一振りより生まれた衝撃波により落とされてしまう。
「サパルさんっ……!」
 セラはナパードで拘束を逃れようと試みるが、不快感に襲われ跳ぶことができない。先程までは悪魔に触れていようが跳ぶことができていたのにだ。
「邪魔もさせんし、逃がしもしない。これで終わり……いや、始まりだ。異空の霊長のな」
 高台は遠く下。落ちて行ったサパルの姿も民衆に紛れてしまって覗うことができない。視界の端には白雲。遠くに浮島が見えた。わずかに弧を描く水平線が見えた。空の色は色が濃くなってきた。夜がはじまったみたいだ。それほどに、高い。視線を下に向ければ蒼白一色。海も大地も区別がつかない。
 闘志と共に得た力には適応できなかったが、変態術は良好にその力を示している。呼吸が苦しくなってもおかしくない高さだが、彼女はそのせいで意識を失うことはなかった。
「始めるか」
 周りの濃い蒼をも凌ぐ黒がセラに迫る。
「エァンダ……」
 彼は自身も中からどうにかすると言っていた。だから、彼女は最後に望みをかけた。悪魔の中にいる彼が、彼の意思が、この状況を変えてくれること。
「エァンダぁ……」
 吐く息は真っ白。口を開けていれば彼女でさえ唾液が凍ってしまう。地上の幾倍も寒いその中で彼女は彼の名を呼び続ける。
 黒が迫り、白が吐き出される。
「エァン――」
「んッグ……!」
 白き吐息は溶けるように消え、黒き液体は止まる。止まったかと思うと液体自体が苦しみもがくように暴れ始め、悪魔の身体に戻っていく。そうして全てが戻りきると、悪魔が苦しみ出した。
「また……中から、だと……」
「エァンダ!」
「まだ、抵抗する……か、なんてしぶとい男だ……ぁっ!」
 悪魔の羽が千切れ飛んだ。彼女を縛る黒き綱も弾き飛んだ。セラと悪魔が遠き大地を目指し落ち始める。その時、悪魔が求めるようにセラに手を伸ばし掴もうとした。それを彼女は払う。そうして二人は体勢を崩す。
 二人とも立て直すことはできない。乱回転。もう、自身の力ではどうにもできない域まで達していた。
 視覚は定まったものを捉えることはできず、聴覚は暴風に奪われる。その上肌は焼けるように凍える。変態術の得意とする環境の変化とは違う、風圧による物理的外傷。ヌロゥとの戦いの時はまっすぐ落ちていた。だから表情が固まった。だが今回は違う。乱回転により、空気という壁に何度も叩き付けられているようだった。
 跳べば、何とかなる?
 そんなことはない。ナパードの特性上、この状態で跳べば着いた先で彼女は赤き花を咲かすこととなるだろう。それほどの勢いで落ちている。
 それは悪魔も同じ。だとすれば、このまま落ちれば悪魔を弱らせることができる。違う、そうなるとエァンダの身体も無事では済まない。彼女もろとも命を失ってしまう。
 これでは駄目なのだ。弱らせ封印するという作戦はなされない。
 セラの身体は寄生されることなく、異空に悪魔を放つこともない。だが、セラもエァンダも死ぬ。
 絶体絶命。
 視界は次第に明るくなり始める。回転していなければ地上を視認できる高さまで落ちてきた二人。
 絶体絶命。まさに、絶対、絶命の危機。
 あとどれ程で大地に激突するのかは、超感覚で捉えている距離感でセラには分かっている。しかし、対策を思いつくことはない彼女にとっては死への秒読みでしかなかった。
 いいや、彼女には一つだけ考えがあった。遊歩の技術である環境への対応があるのだ、それが当たり前だ。
 上へ跳ぶ。
 地上に向いている力の向きが天を向くように跳べば、いつかこの速度が消える瞬間が来る。その瞬間に地上に戻ればいいのだ。
 ただしこれは彼女しか助からない。エァンダを見捨ててしまうことになる。感覚で捉えているほぼ同じ高さにいる悪魔に囚われた兄弟子の身体を救うことができないのだ。
 一度彼のもとへ跳んでその体に触れることは叶わない。そんなことをすれば、互いに回転している二人は激しく衝突してしまうだろうからだ。その上セラの強張った手は二本の剣を握っている。離さんとしている。怪我を覚悟で実行することも出来るだろう。しかし、その衝撃で彼女が気を失ってしまったら? 運悪く刃が当たりエァンダの身体を斬り裂いて閉まったら? そういった考えも浮かんでいる彼女に行動を実行に移す蛮勇さはない。普段だったら。
 地上はまだ遠いと言っていい距離。だが、今の速度、重力により加速に加速を重ねた今の速度ではあっと言う間だろう。
 だから。
 蛮勇しか、ない。
 彼女が思い至って碧き花を散らそうとしたその時。彼女は柔らかい衝撃に包まれた。回転は止まり、押し返されるのだ。
「お前はまた落ちてんのかよっ!」
「……ジュランっ!?」
 彼女を抱きかかえたのは、ジュランだった。彼が八羽と共に現れたのだ。
「今まで畳んでたもんでな、飛ぶのに苦労してんだ。練習に付き合え」
 ニッと笑ってジュランは六つの翼を大きく羽ばたかせる。
 次第に、速度が死んでいく。ジュランに殺されていく。目まぐるしかった風景は落ち着きを取り戻していく。
 それでも、まだ、落下だった。
 飛翔とは呼べず、地上に向かって落ちていく。
「くっそ! とまれぇえええ!」
 セラを抱えたジュランは力いっぱい叫び、羽ばたいた。
 羽ばたいて、羽ばたいて、羽ばたいた。
 そして――。
 どよめく民衆に囲まれ、地面すれすれに背を向け止まった。

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