碧き舞い花

御島いる

181:届かない声

 止まった。
 悪魔が動きを止めた。そして、わずかに体を退いた。
 二人の間を、正確に矢が射貫かれた。
 思案に沈み、攻守が反転したことで悪魔にだけしか意識を向けていなかった彼女だったが、その出来事が地上へと感覚を向けさせた。
 矢を放ったのは『白旗』の憲兵だった。あまりにも小さい気配で、そこには怯えの色が見えた。セラよりも若く、戦いの経験は少ないと判断できるが、それでも正確に悪魔を狙う弓の腕はやはり『白旗』憲兵だ。
「ぉ、女の子を一人で戦わせて……何が憲兵だっ!!」
 震える声で叫ぶ若き憲兵。そこには決意がこもっているが、おそらく戦っているのがセラでなかったら、彼は勇気を振り絞って悪魔に歯向かおうとは思わなかったことだろう。彼女の麗しさが成せた若き憲兵への一押しだ。
「おう! 憲兵の兄ちゃんに遅れを取るな! お嬢ちゃんは回帰軍の仲間だぞ!」
「おうよ!!」
 憲兵に続くように弓を構えた回帰軍の戦士たち数人。まばらながら、セラと悪魔のいるところまで矢を届かせる。さらにそれに続くように若き憲兵とは別の憲兵が数人、今度はピストルを発砲した。
 回帰軍も憲兵も、空に近い高台に移動してきたのだろう。今も続々と入り乱れて上がってきているところだ。
 そして地上の三部族たちは八羽教の登場に驚きを隠せない様子だったが、憲兵とともに黒き虐殺者に攻撃を放っている姿に困惑の声を上げる。
「あれって八羽の奴らだろ?」
「でも、憲兵たちも……」
「そもそも、あの黒いのなんなんだよ」
「あの女の子も、誰なの?」
「回帰軍の仲間ってこたぁ、八羽教ってことか?」
「なんで八羽が俺たちを守る?」
「そうだ、きっと裏があるんじゃないか?」
「そ、そうだ! 八羽教のことだ、何か企んでるに違いない!」
「じゃ、じゃあ、憲兵たちは? あの人たちも騙されてるの?」
「いや待て! 憲兵たちはあの女も狙ってるんじゃないか」
「そ、そうよ! あの黒いのもそもそも八羽教の仲間なのよ!」
「あ、ああそうだ! 確か、あいつら、前も黒い奴と関わってたって!」
「おう、そうだそうだ! くそ、八羽教の奴らめっ! 仲間割れなら余所でやれよ」
「行けぇ! 憲兵! そんな奴ら、ぶっ殺しちまえ!」
「そうだそうだ!」
「八羽教に、報いを!」
「八羽教に報いを!」
「八羽教に報いを!!」
 困惑は次第に疑惑に変わり、敵意へと変貌を遂げた。高台には黒い感情が漂い始める。だが、それを一蹴する幼き声が一つ。
「守ってくれてるんだよ! あのお姉ちゃん、ぼくたちのために戦ってくれてるんだよ!」
 悠々と、まるでまた遊んでいるように矢や弾を避ける悪魔に意識を向けながらもセラは視線を下ろした。サファイアが捉えたのは、悪魔がまだ破界者だった頃、邂逅一番に彼女が飛ばされ、崩した屋台の下敷きになっていた子どもだった。瞳に涙を浮かべ、大人たちへ問いかける。
「みんな、見てたのに! 守ってくれたの……! ねぇ、お姉ちゃんは本当に悪い人なの?」
 大人たちは押し黙る。ごくわずかだけが。
「ふんっ! ガキが何言ってんだ馬鹿!」
「分かった口をっ!」
「そうだ! 状況を考えろっ!」
「そうだそうだ!」
 たとえ相手が子どもだろうと関係なく、大人たちは反撃した。それは押し黙った数人の大人たちにも伝播し、やはりセラ、八羽教への憎悪の音となって高台から放たれる。それに消されるように弓矢の音もピストルの音もしなくなった。地上の状況に戦士たちが手を止めてしまったようだった。
「俺たち二人とも、害でしかないみたいだぞ」
「一緒にしないでっ!」
 地上からの攻撃が止んだことで悪魔がセラの横に現れた。すかさず、剣で払うセラ。悪魔には当たらない。間合いを取った位置に現れ、つまらなそうに彼も地上に視線だけを向けた。
「子どもの方が真を見ておる」
 静かにまた別の声が地上に響く。しわがれた威厳ある声だ。
「……あれはデルク様だ!」
「え? 元天原族族長の?」
 背負っていたプライは地面に寝かせ、老戦士は堂々と立っていた。「八羽教?……笑わせる!」
「は? 何をおっしゃているんだデルク様は」
「そうだ。そもそも、八羽を疎外したのは部族長たちだろ?」
「左様! しかし、今ならばわかる。言い伝えの意味。……我々は間違っていたのだ!!」
 老戦士改めデルクははっきりと高台全体に届くように声を張り上げた。
「我々には代々、受け継がれし予言がある。『なる者、厄災をもたらす』というものだ! 我らはそれを八羽……ジュランのことだと信じていた。しかし……この状況を見るのだ! 今しがた我らの同胞含め、多くの者の命を奪ったのはあの黒き者! これを厄災と呼ばずして何と呼ぶ!!」
「……」
 高台の人々はどよめき出し、ほとんどすべての三部族の者が憎悪の色を引っ込めた。しかし、わずかに残る怪訝な表情の者。その一人、海原族の男が声を上げる。
「信じるな! そ、そいつは老いぼれだぞ! それに、族長たちはそいつを含めてその座を降りただろ、デラヴェス様たちが来てから!……き、きっと、何か関係があるんだ!!」
 その者も確信はないままの発言だったのだろう、しかし的を射ているものだった。
 デルクは少しばかりバツが悪そうな顔をする。それを見逃さなかった野原族の女が声を上げる。
「何かあるんですか!? 族長たちまで、騙していたんですか!? 応えてっ!!」
 目を瞠るデルク。状況がまた変わった。責めるよう追及の視線が彼に集まる。
「ああ~。下は下で大変そうだ。うるさくてかなわないな……終わりにしてとっととこの世界を出るとしようか」
 悪魔がセラに目を向ける。
「何やら、ヴェールもなくなったことだしな」
 セラを纏っていた碧きヴェールは地上であらゆる事柄が起こるにつれて薄れていき、ついには消えてなくなってしまっていた。

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