碧き舞い花
105:セラ対ィル
「セラフィ・ヴィザ・ジルェアス選手。ィル・ペクタァ選手。準備をお願いします」
係りの若い男に名前を呼ばれ、セラは装備を一通り確認する。そこで、オーウィンを触った折に何かに気付いてユフォンに訊く。
「ユフォン、剣にマカを纏わせれば斬れなくなったりするかな? 本気で戦いけど剣だときれいに決まると即死でしょ?」
ズィーが試合の最中、ポルトーを殺さないように浅めに斬り込んでいたのを思い出したのだ。
彼にもできる芸当を彼女ができないはずがないのだが、この大会、戦いの感覚を取り戻した今では、対戦する者に失礼のないように本気で戦いたいと思っているセラだ。殺傷力が高いが故に手を抜かなければいけないということが許せなかった。
「うーん、出来るんじゃないかな。僕は剣を持ったことすらないからなぁ……」と近場にいたブレグ隊長に目を向けるユフォン。
「セラちゃん、分厚く魔素を纏わせるんだ、剣に」もうほとんど酔いが醒めているブレグはしっかりと答えをくれた。「こんなふうに」
隊長は自分の腕に分厚く淡い輝きを纏わせてみせた。そして、少しトーンを落として、
「あの時教えとけばよかったかな?」
あの時。
『竪琴の森』の洞穴で初めて人を斬った時。
セラは小さく首を横に振って、ブレグに弱々しい笑みを返した。
「……今は、慣れてきました。『夜霧』の奴らに対してだけですけど。でも、これからは、殺したくない人にはそれで戦えばいいんですね」
「……」ブレグは一瞬黙った。そして短く「ああ」と頷いた。
「セラフィ選手、ィル選手、入場お願いします」
若い係りの男の呼びかけにセラは返事をして、ブレグに向き直り頭を下げた。「ありがとうございます、ブレグさん」
「うん、行ってこい、セラちゃん」
「頑張れよ、セラ」
「頑張って、セラ」
ブレグに続いてズィーとユフォンが声を合わせて言う。セラはその光景に思わず笑みを零す。
「行ってくるね」
先に動き始めた白衣の大男に続くように、セラは控え室を出た。
「あの?」
闘技場へと続く階段を降りながら、彼女は隣を歩くナマズ髭のィルに声を掛けた。
「なんだゥ?」
静かな低い声が返って来た。
「わたし、薬草術を学んでいて、トゥウィントにいる薬草術の賢者を訪ねようと思ってるんですけど、知ってますか?」
「薬草術の賢者ゥ?」
「『猛毒は薬なり』を書いたベルツァ・ゴザ・クゥアルって人じゃないですか?」
「その方ならもちろん知っているともゥ。しかし、ベルツァ様は賢者などと呼ばれてはおらんゥ。それに、あのお方は薬草術だけにあらずゥ。この世の毒という毒、薬という薬の第一人者だゥ。薬草術の賢者などでは侮辱であろうさゥ」
トゥウィント語には独特の語尾があるようで、そのままホワッグマーラ語に訳されている。
「そうですか……。でも、ベルツァさんはトゥウィントにいるんですね?」
「ああゥ。だが御老体だゥ。会うのは無理だろうゥ」
「そうですか……」
階段が終わる。
「あゥ!」最後の一歩を段から降ろしたところでィルが声を上げた。「そういえばゥ」
「なんですか?」
「いや、これから試合だゥ。あとにしようゥ」
「そう、ですね」
『選手の入場です! 予選第七位、セラフィ・ヴィザ・ジルェアス! 予選第十位、ィル・ペクタァ選手!」
ニオザの口上が始まり二人は口を閉ざした。
闘技場の中央で向かい合う渡界人の少女とその倍の身の丈を持つ白装束のナマズ男。
「あゥ」ここで、またィルが声を上げた。「すまないゥ。最初に謝っておくゥ」
「?」
なぜ自分が謝られたのか見当がつかないセラは首を傾げる。
『それでは、第一回戦第七試合、はじめぇっ!』
どぅおおおおぉおん――――!
謝られた理由を気にしつつも戦いに集中するセラ。オーウィンを構える。ブレグの教えを実行して分厚くマカを纏わせて。
相対するィルからは脅威は感じない。落ち着けば負けるような相手ではない。
用心するべきは急激な能力上昇の技術だ。なんせ彼女が一番悩まされてきたものなのだから。
ィルを観察していると懐から注射器を取り出した。
もしや筋弛緩剤のような、パレィジのマカのような肉体の弱体化を狙う薬を打ち込むことへの謝罪だったか。セラが考えていると、彼は注射器を自分の首元に刺した。
中に入っていた液体が姿を消していく。
これは身体強化の類に違いない。セラは薬が効果を出す前にケリを着けようと駿馬で詰めた。
止まる――。
超感覚が悟る。
駿馬の速さに劣らない動きで懐から医療刀を出すィル。
セラが背丈の関係で振り上げたオーウィンが、医療刀の小さな刃によって抑えられた。
「薬草術を学んでいるのであれば、教えようゥ」
思いもよらぬ怪力にセラが押される。「っ……」
「今の薬は筋力増強薬ゥ。ゴルゴリラの血液をセイレンゴケで濾したものだゥ」
ィルの講釈の中、セラの痣のある肋骨辺りが段々と痛み出す。
「……はっ!」
「ぬゥ……」
力では勝てないとふんで衝撃波のマカを放つセラ。ィルを退けることができたが、医療刀によって腕に小さくきれいな裂け目が入った。
『おーっと! マカだぁ! セラフィ選手、マカを使ったぁあ!!』
渡界人がマカを使ったことに会場は大盛り上がりだ。そんな中、ィルの講義は続いていた。それも、衝撃波のマカはまったく効いていないらしかった。
「筋力には眼筋も含まれるゥ。どんなに速く動こうとも、見えるゥ」
「どんなに速く動いても……か」
そんなことを言われれば、セラはもちろん碧き花を散らすわけだ。
ィルの背後、音もなくオーウィンが振るわれる。
淡く輝く剣が彼の体を打つ。その瞬間、セラの体に衝撃が走る。「っ!?」
「それに、強化された筋肉は鎧の如く体を守るゥ」
何事もなかったかのように振り向く相手から距離を取るセラ。
衝撃の残した違和感を払うように剣を一回転させてから構え直す。
係りの若い男に名前を呼ばれ、セラは装備を一通り確認する。そこで、オーウィンを触った折に何かに気付いてユフォンに訊く。
「ユフォン、剣にマカを纏わせれば斬れなくなったりするかな? 本気で戦いけど剣だときれいに決まると即死でしょ?」
ズィーが試合の最中、ポルトーを殺さないように浅めに斬り込んでいたのを思い出したのだ。
彼にもできる芸当を彼女ができないはずがないのだが、この大会、戦いの感覚を取り戻した今では、対戦する者に失礼のないように本気で戦いたいと思っているセラだ。殺傷力が高いが故に手を抜かなければいけないということが許せなかった。
「うーん、出来るんじゃないかな。僕は剣を持ったことすらないからなぁ……」と近場にいたブレグ隊長に目を向けるユフォン。
「セラちゃん、分厚く魔素を纏わせるんだ、剣に」もうほとんど酔いが醒めているブレグはしっかりと答えをくれた。「こんなふうに」
隊長は自分の腕に分厚く淡い輝きを纏わせてみせた。そして、少しトーンを落として、
「あの時教えとけばよかったかな?」
あの時。
『竪琴の森』の洞穴で初めて人を斬った時。
セラは小さく首を横に振って、ブレグに弱々しい笑みを返した。
「……今は、慣れてきました。『夜霧』の奴らに対してだけですけど。でも、これからは、殺したくない人にはそれで戦えばいいんですね」
「……」ブレグは一瞬黙った。そして短く「ああ」と頷いた。
「セラフィ選手、ィル選手、入場お願いします」
若い係りの男の呼びかけにセラは返事をして、ブレグに向き直り頭を下げた。「ありがとうございます、ブレグさん」
「うん、行ってこい、セラちゃん」
「頑張れよ、セラ」
「頑張って、セラ」
ブレグに続いてズィーとユフォンが声を合わせて言う。セラはその光景に思わず笑みを零す。
「行ってくるね」
先に動き始めた白衣の大男に続くように、セラは控え室を出た。
「あの?」
闘技場へと続く階段を降りながら、彼女は隣を歩くナマズ髭のィルに声を掛けた。
「なんだゥ?」
静かな低い声が返って来た。
「わたし、薬草術を学んでいて、トゥウィントにいる薬草術の賢者を訪ねようと思ってるんですけど、知ってますか?」
「薬草術の賢者ゥ?」
「『猛毒は薬なり』を書いたベルツァ・ゴザ・クゥアルって人じゃないですか?」
「その方ならもちろん知っているともゥ。しかし、ベルツァ様は賢者などと呼ばれてはおらんゥ。それに、あのお方は薬草術だけにあらずゥ。この世の毒という毒、薬という薬の第一人者だゥ。薬草術の賢者などでは侮辱であろうさゥ」
トゥウィント語には独特の語尾があるようで、そのままホワッグマーラ語に訳されている。
「そうですか……。でも、ベルツァさんはトゥウィントにいるんですね?」
「ああゥ。だが御老体だゥ。会うのは無理だろうゥ」
「そうですか……」
階段が終わる。
「あゥ!」最後の一歩を段から降ろしたところでィルが声を上げた。「そういえばゥ」
「なんですか?」
「いや、これから試合だゥ。あとにしようゥ」
「そう、ですね」
『選手の入場です! 予選第七位、セラフィ・ヴィザ・ジルェアス! 予選第十位、ィル・ペクタァ選手!」
ニオザの口上が始まり二人は口を閉ざした。
闘技場の中央で向かい合う渡界人の少女とその倍の身の丈を持つ白装束のナマズ男。
「あゥ」ここで、またィルが声を上げた。「すまないゥ。最初に謝っておくゥ」
「?」
なぜ自分が謝られたのか見当がつかないセラは首を傾げる。
『それでは、第一回戦第七試合、はじめぇっ!』
どぅおおおおぉおん――――!
謝られた理由を気にしつつも戦いに集中するセラ。オーウィンを構える。ブレグの教えを実行して分厚くマカを纏わせて。
相対するィルからは脅威は感じない。落ち着けば負けるような相手ではない。
用心するべきは急激な能力上昇の技術だ。なんせ彼女が一番悩まされてきたものなのだから。
ィルを観察していると懐から注射器を取り出した。
もしや筋弛緩剤のような、パレィジのマカのような肉体の弱体化を狙う薬を打ち込むことへの謝罪だったか。セラが考えていると、彼は注射器を自分の首元に刺した。
中に入っていた液体が姿を消していく。
これは身体強化の類に違いない。セラは薬が効果を出す前にケリを着けようと駿馬で詰めた。
止まる――。
超感覚が悟る。
駿馬の速さに劣らない動きで懐から医療刀を出すィル。
セラが背丈の関係で振り上げたオーウィンが、医療刀の小さな刃によって抑えられた。
「薬草術を学んでいるのであれば、教えようゥ」
思いもよらぬ怪力にセラが押される。「っ……」
「今の薬は筋力増強薬ゥ。ゴルゴリラの血液をセイレンゴケで濾したものだゥ」
ィルの講釈の中、セラの痣のある肋骨辺りが段々と痛み出す。
「……はっ!」
「ぬゥ……」
力では勝てないとふんで衝撃波のマカを放つセラ。ィルを退けることができたが、医療刀によって腕に小さくきれいな裂け目が入った。
『おーっと! マカだぁ! セラフィ選手、マカを使ったぁあ!!』
渡界人がマカを使ったことに会場は大盛り上がりだ。そんな中、ィルの講義は続いていた。それも、衝撃波のマカはまったく効いていないらしかった。
「筋力には眼筋も含まれるゥ。どんなに速く動こうとも、見えるゥ」
「どんなに速く動いても……か」
そんなことを言われれば、セラはもちろん碧き花を散らすわけだ。
ィルの背後、音もなくオーウィンが振るわれる。
淡く輝く剣が彼の体を打つ。その瞬間、セラの体に衝撃が走る。「っ!?」
「それに、強化された筋肉は鎧の如く体を守るゥ」
何事もなかったかのように振り向く相手から距離を取るセラ。
衝撃の残した違和感を払うように剣を一回転させてから構え直す。
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