碧き舞い花

御島いる

80:幻想師の残した禁書

 それから数分、結局セラは知り合いと顔を合わせることはなかった。
『えー、聞こえますかな? 参加者諸君』
 そんな中、闘技場に年老いた男の声がどこからともなく流れ聞こえてきた。かと思うと、天上の中央部分から垂れ下がった潰れた五角柱の側面に頭の禿げあがった老人の姿が映し出された。
『私はこの大会で一番偉い人だ。え、まだ、客席が? これだから、最新技術というのは』
 老人のその言葉を最後に、五角柱の映像は消えた。
 闘技場の至る所から「なんだ、なんだ」と声が上がる。
 すると間もなく円形の闘技場の壁一面にたくさんの人々が映し出された。そして歓声、口笛、拍手。それは地上の闘技場を囲む客席の映像と音声だった。
『えー、待たせたね、諸君』先程の老人の映像が再び五角柱に映し出された。『私だ。コロシアムを取り仕切る、クラッツ・ナ・ゲルソウだ。ここで一番偉い人だ』
 偉そうに名乗る老人に、地上、地下共に静まり返る。
『んん゛っ。これから、第十八回魔導・闘技トーナメントの予選が行われるわけだが、参加者諸君には同意書を書いてもらったな。この大会で命を落とした場合、コロシアム側は責を負わないといったものだ。しかし、だからといって、他の出場者の命を奪うことは許さん。そのような行いをした者は即刻失格! 直ちに警邏隊に身柄を引き渡す。まぁだが、裏を返せば、殺さなければ何をしてもいい!! それがこの大会の絶対のルール! 以上! 諸君らの健闘を祈る。続いて、魔導書館司書、ヒュエリ・ティー氏から予選の内容の発表をしてもらう。心して聞け!』
 グラッツは言いたいことは言い切ったと言わんばかりに映像から消えた。そして交代して映像に映ったのはセラがよく知る灰銀髪の女性だ。ローブを纏った司書ヒュエリ。
 彼女がおろおろと申し訳なさそうに映像に映ると、客席から『ヒュエリちゃーん!』『司書様ぁ!』『泣くなよー!』などと声が上がった。それを聞いて、ヒュエリはさらにおろおろとする。
『うぇ、えーっと、ご紹介に預かりました、魔導書館司書をやってます。ヒュエリ・ティーと申します』
『知ってるよー!』と観客の誰かが声を上げた。
『ど、どうも』ヒュエリは画面の外を見るように頭を何度か下げた。そして、また正面を向くと真剣な表情を見せる。『では、予選の内容を説明しますね。今大会の予選にはこれを使います』
 そう言ってヒュエリが取り出して見せたのは紫とピンクが混じったような色で装丁が陽炎のように揺らめいて見える書物だった。
『この本はこの世界に幻想師という職業があった時代、後に最後の幻想師と呼ばれる者が百年余り前に書いた書物で、ホワッグマーワ五大奇書に数えられ、マグリア魔導書館の禁書の一つです。今回はこの予選のためにわたし、魔導書館司書ヒュエリ・ティーの権限を持って禁を解き、ここにお持ちしました』
 ここでヒュエリは一息置いた。
『この中には世界が存在します。そして、今回その世界にわたしが手を加えました。皆さまにはこの本の中で、わたしが作り出した幻影霊ファントムたちを倒してもらいます。制限時間内での討伐数で本戦出場者を決定します。より多くのファントムくん――』
 ヒュエリの言葉に選手も観客も首を傾げた。ファントムくん?
『し、失礼しましたぁ……』ヒュエリの真剣な表情が和らいだ。どことなく目が潤んでいるようにも見える。『えっと、より多くのファントムを倒した人から順位が付いていきます。この順位でトーナメントの組み合わせが決まります。えっと、それと、個人ではなく、皆さん全員が同じ場所で戦うので妨害や協力はしてもらって大丈夫です。えっと……これで以上です。今から五分後、わたしがそちらへ行ってこの本を開いたところから予選開始です。それまで、準備が必要な方は準備をしていてください』
 言い終わり、映像からはけようとヒュエリがそそくさと後ろを振り返った。しかし、その場で足を止める。数度頷くと正面を向いた。
『えっと、参加者の皆さんで辞退したいという方がいた場合、この間に直ちに地下闘技場を出てください』
 そう言って、今度こそ彼女は映像からはけていった。そして彼女が完全に見えなくなると五角柱の映像が消えて、壁面の観客たちの映像だけとなった。


 五分後。
 この五分の間に何人かが闘技場を出て行った。周りの出場者を見て怖気着いたのか、予選の内容を聞いて怖気づいたのか。セラが感じる限り全員が全員、辞退して正解だった。
 それでも、闘技場には多くの人が残っている。ここにいるすべての戦士が本戦出場を競う相手になる。
「皆さん、お持たせしましたぁ!」
 不意に天上の方からヒュエリの声が響いた。選手たちが揃って顔を上げる。
 そこにはふわふわと浮かんだ白ワンピースの小さなヒュエリがいた。その白ワンピースとの相性のせいか、彼女が持っている書物はどこか禍々しく揺らめいている。
「準備はいいですかね。あ、そのまま上を向いていてください。……いいですか? ではいきますよ」
 ヒュエリが本を下に向け、開いた。
「第十八回魔導・闘技トーナメント予選、開始ですっ!!」
 開かれた本から本と同じ色の光が溢れ出し、出場者を包み込んだ。
 光の消失と共にセラたちは消え、地下闘技場にはヒュエリ・ティーだけが残された。

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