碧き舞い花

御島いる

51:狂変する暴君

 セラはクァスティアに微笑みを返しながらも背後に騒がしさを感じていた。
 騒がしさを放つ張本人は自分が細心の注意を払い、音も立てずに忍び寄って気を抜いたであろう少女に不意打ちを食らわせられるものだと思っていたに違いない。
「誰がテメェなん――」
 セラの背後で拳を振り上げたギュリの声はぷっつりと途切れた。セラが振り返りながら蹴りを放ったのだ。
 お山の大将はさぞ壁が好きらしい。さっきまでもたれていた壁で、今度は完全に眠ってしまっていた。
「歩き方、うるさすぎ」セラは涼しい顔で蹴り上げた脚を降ろした。「戦い方以前の問題ね」
 ギュリが完全に伸されたの見るや否やレトプンクァス漂流地の男たちはそれぞれロープを持ち出して来て、積年の恨みを晴らすようにぐるぐると元支配者を縛り上げた。ギュリの元々紫ががった肌はうっ血しさらに濃い紫色になっていく。
「その人をどうするかはここの人達に任せます。でも、わたし訊きたいことあるから、もし、命を奪うならその後にしてもらえる?」
「ああ、もちろんさ。セラちゃんのおかげなんだ」
「おうよ! どのみち姉ちゃんがいりゃ、こいつが起きようが問題ねえしな」
 ギュリを縛っていた男のうち二人が満面の笑みで応える。
「いや、わたしは……」セラは申し訳なさそうに男たちに言う。「訊きたいこと訊いたら、ここを出るつもりで……」
「……あぁ、そうだったのか」
「セラ」 男の一人が残念がると同時にクァスティアがセラのもとへやってきた。その表情はさっきまでの微笑みとは違い、怒ってはいないことは分かるがキッと締まっていた。「行くのね」
「うん。立ち止まってるわけにはいかないんだ、わたし」
「そう。なら、止めないわ。わたしがエレ・ナパスを旅立つときと同じ顔してるもの」クァスティアはここで再び微笑んだ。「止めても無駄なのはわたしが一番わかるわ」
「クァスティアさん……」
 セラは少しばかり寂しそうな顔を見せる。
「そんな顔しないのっ。わたし、準備をしておいてあげるから。ギュリから訊きたいこと訊きだしたら、灯台に来なさいね」
 彼女はそう言うとセラのもとから去り、自宅を目指して歩き始めた。その後ろ姿を見つめるセラの耳には、彼女が鼻をすする音がしっかりと感じ取れたのだった。


「グゥエンダヴィードはどこにあるの?」
 ここで時間を取られるわけにはいかないセラは単刀直入にロープで縛られたギュリに訊く。
 そこはギュリが灯台に造らせた牢屋。奇しくも造らせた張本人が鉄格子の中に入っているわけだが、それでもロープできつく縛られているのはナトラード・リューラの人々の恐れからだ。
「知らねえ」
 鉄格子に守られているからか、ギュリの口調はボロボロにやられたときに比べて強いものだった。
「あなたの世界でしょ?」
「ふんっ、まぁ、もしあそこが俺の生まれ育った世界だったとしてもその場所を話せるほど俺は異空を渡ることにゃ詳しくねえ、残念だったな、ぐぁはははは……」
「どういうこと?」
「あそこは、ここと同じさ」
「ここと同じ? それって異空を漂う人が流れ着く場所ってこと?」
「ああ、そうさ! そこにあの方によって造られたのさっ!」ギュリは得意気に声を張り上げた。
「戦ってるときも言ってたけど、あの方って誰?」
 それはヌロゥも戦いの最中に口にしていたことだった。ヌロゥや赤褐色の男を従える存在。つまりはグゥエンダヴィードの統率者ということだろうか。だとしたら、最終的に復讐の目標となる存在だ。
「ふふぁふぁふぁっ! 知りたいか?」ロープに縛られながらも体を大きく動かし、はやし立てるギュリ。「『白昼に訪れし闇夜』の名に相応しきあの方の名を知りたいかぁっ!! いいだろぉお! 恐れおののくがいいさぁ! あの方の名は――」
 それは突然だった。誰が予期できただろう。恐らくは興奮して言葉を発していた本人でさえ、そんなことが起こることなど考えていなかったはずだ。突然、ギュリの言葉が、挙動が止まった。そして、一瞬の間を置くこともなく、ギュリが怯えだしたのだ。
「あぁ……! そんなっ……!」
「おいっ!」
 セラは鉄格子に張り付くようにしがみついてギュリに声を掛ける。しかし、当の本人は床に尻餅をつき、壁の方へと脚だけでにじり寄って行く。まるで何かから逃げるように。
「俺は……あなた様のために、ここに第二の帝国を……あぁっ!」
「おいっ! もういいっ! そいつの名前はいいっ」セラは統率者の名を語ろうとしたことが原因であろうと考えて、質問を変えることにした。統率者より先に訊いておくべき名前があるからだ。「あいつは! 赤褐色の髪の、大男はっ! あいつはなんて名前で、どこにいる!!」
「あぁっ! どうしてっ!」ギュリは壁に背をつけると後頭部を壁に勢いよく何度もぶつけ始めた。「おやめ、くだ、さいっ、俺の頭から、出てっ……!」
 壁に何度もぶつけられた後頭部からはどう見ても命に危険が迫りそうな程の血が流れ始めていた。
「やめてぇ! くれぇ! いやだっ! やだっ! 出てけっ! 出てけぇ! 助けっ! くれっ!」
 まるで頭の中から何かを追い出すように頭を打ち続けるギュリの行動は狂気そのものだった。セラはあまりにも奇怪な行動に独房の中に跳んだ。そして、ギュリの肩を強く掴んで落ち着かせにかかる。
「しっかりしてっ!」
「死に! たく! ないっ! 消え! ろっ!!」
 ギュリはここでセラの制止に従って動きを止めた。そして、虚ろになった瞳でセラを見る。じっと時が止まった。そして、時が流れ出し「ばかな」と声もなく口が動いたかと思うとギュリの体が大きく痙攣し始めた。
「ぶぅうぅああ゛ぁああああ゛あああああぁっ!!!」
 突然叫び出したギュリ。瞳をバチバチと迷走させ、ついには白目を剥いて気を失った。涙、鼻水、よだれに冷や汗、脂汗。アメジスト色の顔面はあらゆる体液を垂れ流す。
 セラはあまりの出来事にギュリから後退る。すると瞬間、ギュリの双眸がこれでもかと大きく見開かれた。その瞳はどこを見るでもなく彷徨う。また、口からは舌がだらりと飛び出し、首はふらふらとあてもなく揺れる。
「ふぇふぇふぇふぇふぇ…………」ギュリは力なく肩を揺らす。
「おい……」
 セラはギュリには触れずに声だけ掛ける。
「ふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇっふぇふぇふぇっふぇっふぇ……」
 独房には不気味に目的のない笑い声が響くだけだった。

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