碧き舞い花

御島いる

48:漂流地での生活

 セラがナトラード・リューラ・レトプンクァスに辿り着いてから二週間が経っていた。
 ナトラード・リューラは一つの小さな街を成していて、街の外には白くて黒い、黒くて白い世界がただただ広がっているだけだった。街中も街中で白くて黒い、黒くて白い建物や街路が空間を支配していて、その街中央にはこれまた白くて黒い、黒くて白い灯台が光を回していた。
「おう、セラちゃん。寄ってきな」
 傷もすべて塞がり、セラがまさしく姫のような笑顔で街を歩いていると、食用から観賞用、薬用まで様々な植物が並べられた店の店主が声を掛けてきた。彼は鱗状の肌を持ち、細い舌が長く口の端から出ている線の細い男だ。それもそのはず、ナトラード・リューラには様々な世界の人々が暮らしている。街路を往来する人々も全身を羽毛に覆われている者、腕が地面に着くほど長い者、反対に脚がセラの倍以上の長さの者、雌雄同体の者など書いていたらキリがないほど多種多様だった。
「何か珍しい植物、流れてきてる?」
 店主に尋ねるセラの背中にはオーウィンは背負われておらず、雲海織りの服は着ているが、その手にグローブははめられていない。髪も下ろし、耳飾りも時折髪の間から姿を見せるだけになっていた。そして、『記憶の羅針盤』もクァスティアに倣ってか、服の下に隠してしまっている。
「ああ……今日は大した収穫はなかったな、悪いね」
 ナトラード・リューラでいう収穫というのは、狩りや栽培などで自然からものを取ってくることではない。この世界では街の外に流れ着いた様々な世界のものを取ってくる漁が行われていて、人々はそれを生活のあてにしているのだ。そして、その漁では人も発見される。だからこそ、彼女が発見され、クァスティアのもとへ運ばれたのだった。
「うーん、じゃあ、今日はいいかな」
「おう、そうか。じゃ、次、期待しててな」
「うん、じゃあね、おじさん」
 セラはそう言って軽く手を振ると植物屋をあとにした。


「ただいま、クァスティアさん」
「おかえり、セラ」
 セラはクァスティアの家で生活を送っていた。クァスティアはこの世界に流れてきた人間の状態を確認する仕事と医者を任されていて、セラは薬草術の知識を生かして主に医者の方の手伝いをしている。
「薬、届けてきたよ」
「うん、デュンクさんの様子はどうだった?」
「元気だった。ようやくここの言葉を話せるようになったから、楽しかったよ」
「そう、それはよかったわ。でも、流石はナパスの民ね。普通なら、一か月は会話なんてできないのよ」
「えへへ、最初から聞き取れてたからね」
 ナトラード・リューラの言葉はここに集まった人々によって新しく造られた言葉だった。だから、ナパスの民である彼女でも最初は聞き取るのがやっとだったのだそうだ。
「セラ、これから街の子供たちの健診だけど、一緒に来る?」
「うん、行く」
 セラは快活に返事をすると、クァスティアから貰った薬カバンに粉末や液体の入った瓶を丁寧に入れ始める。荷物のほとんどはビュソノータスに残されている。彼女がこの世界に持ち込んだのは身に着けていた程度の荷物だけだった。その中にはいくつか薬があり、彼女はその中からも使えそうな薬を薬カバンに移すことにした。
「オウゴンシタテングタケの胞子……」
 彼女はクァイ・バルで手に入れたそれを手に持ち、しばし眺めた。彼女の頭にはクァイ・バルの白々しい森や三つ目の『変態仙人』の顔、それから死の際を何度も体験した変態術の修練が思い出された。だがそれも一瞬のことだ。彼女は小瓶をそっと元の荷物に戻した。
「いこ、クァスティアさん」


 街の小さな広場に設えられた簡素なテントの前には子供たちとその親たちがそこそこ長い列を作っていた。ナトラード・リューラには以外にも大人と同じくらい子供がいるのだ。
 そのほとんどがこの地で生まれ育った子供たちだった。この地に流れ着いた親たちがこの地で恋をし、燃え上がり、子供をもうける。それ故に、この地の子供たちは様々な世界の人々の混血であることが多く、両親それぞれから特徴を受け継いでいて、それはもう個性的な姿をしている者が多かった。
「次の方、どうぞ」
 セラがテントの中に一組の親子を招き入れた。
 父親はその口に大きな牙を持ち、母親は耳がビュソノータスの野原族のように頭の上部についていて、フサフサとウサギのように大きく垂れていた。その二人の息子は大きな牙と垂れた耳を持つ少年だった。といっても、そのどちらも両親に比べればまだまだ小さく、子どものものだ。
「ケホォ、ケホォ」少年は小さく、弾むように咳をした。その少年の背中を牙をもつ父親が擦る。
「クァスティアさん」たれ耳の母親が口を開く。「最近、この子よく咳をしているんです」
「診てみましょう」
 クァスティアは少年を自分の前の椅子に座らせて喉の奥を見始めた。白くて黒い、黒くて白いナトラード・リューラは心なしか暗いので、セラが照明のマカを使ってクァスティアの補助をする。
「うーん、喉に異常はなさそうです。ひとまず、咳止めの薬を飲んで様子を見てみましょう。セラ」
「うん」
 セラは後方の机に置いた自分の薬カバンからこの世界に来てからトリュンという植物とペスという木の実を調合した粉末状の咳止めの薬を取り出した。そして、それを少年の母親に渡す。
「ありがとうございます」
 母親と父親はセラとクァスティアにしっかりと頭を下げた。セラはそんな二人に小さく頭を下げた。そして、下からの視線に気付く。少年が目を輝かせてセラを見上げていたのだ。
「……どうしたの?」
「お姉ちゃん、すごいね! 手が光ってた!!」
「あぁ、うん」今ではこれくらいしか使い道のないマカ。少年には珍しいものに違いなかった。
「もっかいやって!、もっかい!」
「え……」セラは好奇心の塊に困惑の表情を見せた。
「こら、お姉ちゃん困ってるでしょ、行くわよ」
 母親に言われて、少年はしょんぼりと残念そうにしてしまう。セラはそれ見て、少年と目の高さを合わせて笑った。「いいよ、見せてあげる」
 セラの手が淡く光り少年の顔を照らす。
「うわぁぁあ~! ねっ、これ、僕にもできる? ねっ、ねっ!」
「うーん……ちょっと難しい、かな」
「え~っ! 僕も使いたいぃ!」
「こらこら」
「すいません」
 父と母がセラに申し訳なさそうに苦笑いを見せる。
 セラは照明のマカを消して、少年の頭にゆっくりと手を添える。
「使えるようになるの、すっごく、痛いよ。すっごく」
「どれくらい?」
「うーん……」セラはしばし考えてから口を開く。「注射をお腹に数えきれないくらい刺されるくらい、かな」
「うぇ~……!」
 少年は注射の痛みを想像したのか、青い顔で小さく震えた。セラは少年に分かりやすいようにそう説明したが、実際に彼女がマカを習得するために耐えた痛みはそんなものではない。気絶と覚醒を繰り返す程の痛み。その端正な顔を大きく歪ませ、グズグズに濡らし汚す痛み。
「なら、僕、いいや……」
 少年は相当痛いのだろうと理解したようだが、あの痛みはそれを知る者にしか、本当の意味で理解することはできないのだろう。
「ふふっ、うん、その方がいい。ほら、お父さんとお母さん待ってるよ」
「うん、またね、お姉ちゃん!」
 少年は両親と共にテントを出て行った。少年を見送ったセラは次の子供を招くためにテントの外に顔を出そうとした。したのだが、その顔がテントの外に出ることはなかった。反対に外から紫水晶アメジスト色の肌を持つ男が顔を覗かせたのだった。
「よぉ、薬あっか?」

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