碧き舞い花

御島いる

33:闇の中

 ――闇の中。
 突然世界が眩しく開けた。
 彼女はエレ・ナパスの城下町に立っていた。それも、今現在のもうすぐ十七になろうとするあどけなさの抜け始めた凛々しい姿で。
「なんで……」
 いつも見る悪夢とは違った。自分が幼くないのもそうだが、城下町にはナパス人々が生き生きと暮らしていて、炎はおろか黒煙すら見えない。黒い霧だって全くなかった。
 セラフィは恐怖した。この喜ばしい光景が嬉しいなどとは全く思わなかった。
 故郷は、ナパスの地はもうない。
 その事実を受け止めているからこそ、こんな幻を見ることが、自分の中でこの光景を望んでいるという気持ちが悲しみを助長する。これならいつも見ている悪夢の方がましだと、サファイアからは一筋の涙が零れる。
「セラ」
 聞き覚えのある声が背後から聞こえた。幼き日を共にし、すれ違いを乗り越え、一緒にいることに密かに心を躍らせていた少年の声だ。
「おい、セラ!」ズィプガルの声が近付いてくる。
 彼女は振り返ることなく目を強く閉じ、手で耳を塞いで首を何度も振った。そして、その場にしゃがみ込む。
 幻のナパスの人々はそんな彼女などいないかのように、各々の生活をしている。
「おいったら!」
 ズィプガルの手がセラの肩に触れた。
 突然。
 彼女は水の中に跳ばされた。光の見える水面を目指す中、水の温度や感覚からそこがミャクナス湖だと分かる。
 光が目前に迫り、彼女は湖面から顔を出す――。


「っけほ……かほっ……うっ……!」
 目覚めたのはビュソノータスの蒼い山の中。
 岩にもたれかかったセラは水が気管に入ったことでむせ返った。咳き込んだことで脇腹の傷が痛む。
 何が起きたのか、どうして自分がむせたのか。その答えはすぐに出た。
 彼女の顔は水で濡れていて、彼女の前には手を濡らした無精ひげの男が立っていたのだ。
「はぁ」男は面倒くさそうに手についた水滴を払い落した。「やっと、起きたよ」
 男はセラがさっき会って戦った男たちとは違った風体だった。頭にバンダナを巻き、腰に細い剣を提げ、毛皮ではないが薄く編まれた生地が何層も重なり合ってできた軽そうだが暖かそうな外套を羽織っている。そしてなにより、耳は頭の側面にあり、尻尾は生えていなかった。
 男はビュソノータスのごとく蒼白い瞳を細めてセラを見下ろした。「こんなところで、そんな恰好で、風邪引くぞ。てか死ぬな」
「……だったらなんで水掛けたの?」セラは近場に置いてあった布で顔を拭きながら男を睨み返した。
「なんとなくさ。手が冷たくなった。お前のせいだ」
「あなたが勝手にやったんでしょ。だいたい揺するとか、顔叩くとかでいいじゃない」
「揺すっても起きなかっし、俺は涙を流してる女の顔は叩かない」
「泣いてた?……わたしが?」
 セラが確認するように目を細めて男を見ると男は無言で肩を竦めた。
「そう……だよね」セラは今さっきまで見ていた悪夢を頭に浮かべながら俯いた。
 と、俯くセラの目の前に男の手が差し出された。セラは顔を上げて男の顔を見返した。
「怪我してんだろ? 治療できる奴のとこまで連れてってやる」
「……ありがとう」少々不信感を覚えたもののセラは男の手を取った。
「よし、いい子だ」男はセラを支える。「ちょっと待ってな」
 男は懐を探り出し「あったあった」と言って手のひらサイズの黒い棒を取り出した。そしてそれをセラの前に何かを促すように示した。
「何?」
 セラはその行動に訝しんだが、男はセラのその言葉を訝しんだ。
「何って、お前らの技術だろ、これ」
「え?」
「なんだ? お前、最近見るようになった黒い奴らの仲間じゃねのか? 尻尾もエラも羽根っ毛もねえからてっきり。まあいい。ちょっと、この先を捻ってくれ」
 男に言われるがまま、セラは棒の先端を持ってそれを捻った。すると、カチッと音がして二人の目の前に青白く縁取られた楕円状の黒い穴が現れた。
「ロープス……!?」
 それはセラの記憶に残る忌まわしき空間の穴だった。
「なんだよ、やっぱ知ってんじゃねえか。ほら、行くぞ」
 男はセラを支えながら穴に向かってい進み始める。セラはそれに抵抗しつつ尋ねる。
「ちょ、ちょっと、待って……! どうしてこれを!? あなた『夜霧』を知ってるの?」
「あ? なんだそれ、こりゃ、黒い奴らからくすねたんだよ。ほら、いいから行くぞ、話は向こうについてからでいいだろ、めんどくせえな」
 怪我をしていたセラの抵抗は意味をなさず、二人は闇の穴の中に姿を消したのだった。


「あ、お帰りジュラン。どうだった、戦は。って、誰その子。戦場に何しに行ってたのよ、このエロオヤジ!!」
「黙れ、エリン。キテェアはいるか?」
 ロープスから出た二人を迎えたのは、鼻の脇に二本ずつ切れ目があるセラと同い年くらいの真っ青な髪の少女だった。今はジュランと呼ばれた男に向かってつり上がった目を向けて口を真一文字に結んでいる。
「どうなんだ」
「……」
「っち、めんどうだな。俺の言葉真に受けてんじゃねえよ、馬鹿か。こいつは怪我人だ。キテェアは?」
「馬鹿じゃないよ、バカオヤジっ!」エリンは口を開いた。「キテェアなら部屋にいるよ」
「おお、助かる」
「へへっ、お礼言われたぁ……」
 つり上がった目をそのまま細めて口角を上げるエリンを余所にジュランはセラを支えながら進む。
 そこは青白い石で造られた建物のようだった。外とは違って寒くなく、先ほどのエリンをはじめ、すれ違う人々はみなジュランの外套と同じ生地でできた薄着だった。さらにすれ違う人たちはセラが戦った男たちのように耳が頭にあり尻尾を生やしている者、エリンのように鼻の脇に二本ずつ切れ目がある者、それから頭の両側面、耳の上あたりに羽根のような形をした毛の束がやや後方に向かって他の髪の毛たちから飛び出るように跳ねている者までいた。
 ふと、セラは窓の外に目を向ける。
 切り抜かれて作られた窓ははめごろしで、外に見えるのは蒼い世界に白い影。雲が目線と同じ高さにあった。

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