碧き舞い花

御島いる

20:出逢い

 レンガ造りの街並みに街灯の淡い橙色の光がぼんやりと規則正しく浮かんでいる、魔導都市の夜。
 ついに、この時が来た。
 筆師、ユフォン・ホイコントロの登場だ。つまり、僕だ。
 間借りしている二階の部屋からは橙色に染まる街並みが望める。その日の彼はいつも通り、机に向かい空想の世界を筆に乗せていた。
 マカの力によって光を灯すランプで、ユフォンの手元もマグリアよろしく橙色に照らされる。
 が、突然。手元が碧く染まった。
「うわぁあっ!」
 ユフォンは突然部屋に現れたまだ少し幼さを残しながらも凛々しく美しい少女に驚いて、椅子から大きな音を立てて転げ落ちた。
「ユフォン・ホイコントロ!! 何時だと思ってんだい!」
「ごめんよ! ライラおばさん!」
 階下からのしわがれた声に大声で答えた彼は「だからうるさいって言ってんだよっ!」と返してきたライラおばさんの言葉なんて頭に入らない程、目の前に現れた少女に目を奪われていた。
「ごめん……大丈夫?」
 セラは突然現れた自分に非があることを認めて、ユフォンが立つのを手伝った。
「ああ、大丈夫。大丈夫。ところで、君は? 異世界の人?」
「ぇ、うん。ここホワッグマーラであってるよね?」
「そうそう、そうだよ。ここはホワッグマーラの魔導都市マグリアさ。君、えーっと、僕はユフォン・ホイコントロ」
「ぁ、わたしはセラフィ・ヴィザ・ジルェアス。セラでいい」
「そうか、じゃあ、セラ。僕は筆師をやってるんだけど、君が見てきた世界について聞かせてくれるかい? 時間ある? 行きつけの酒場があるんだ、おしゃれな。お酒を飲みながらゆっくりと……あー、君はまだ未成年かな? 見たところ僕よりも少し若そうだけど」
 ユフォンはまくし立てた。なんといっても目の前のセラに一目惚れしてしまっていたし、実際、新作を書き始めるために刺激的な材料を探していたから、必死になってナンパしたわけだ。恋と仕事の両方を手にするチャンスを彼が逃す手はない。
 しかし、セラは困ったような表情で応える。
「えと、お酒は飲めるけど」彼の表情は間抜けと言われてもしょうがないくらい緩んでいた。次の言葉を聞くまでは。「……時間がないんだ。ごめん」
 しかし、ユフォンは諦めなかった。
「それは、時間があれば一緒にお酒を飲んでくれるってこと?」
 嬉々として彼はセラに問い返した。すると、セラは苦笑交じり、「まあ」と頷いた。
 承諾を得たユフォンの次の言葉は早かった。
「じゃあ、セラ。君の用事を片付けちゃおう! ちょっと、待って……よしっ、さ、座って」彼は物置と化していた長椅子の上を片付けて手で座面を払うと、そばに干してあった綺麗なタオルを敷いてからセラに勧めた。「どうしてこの世界へ?」
「マカを学びに」セラはありがと、と小さく言って長椅子に座る。「ユフォン、あなたは魔導賢者を知ってる?」
「魔導賢者……? 魔導書館司書のことかな? アルバト・カフは『魔導の老賢』って呼ばれてたし」
「その口ぶりだと、知り合いじゃない、よね……?」セラは立ち上がる。「突然ごめんね。わたし、行くよ。迷惑はかけられない」
「ああ、待って待って」ユフォンは必死に彼女を留める。「迷惑なんかじゃないよ。確かに、アルバト・カフは知り合いじゃない、というか偉大なる魔導書館司書様はもうこの世にいない。でも、僕は君の力になれるよ。というか、力を貸させてくれ。ほら、さっきのこともあるし」
「さっきの……?」
 彼女は何のことか分からないといったふうに首を傾げた。完全に彼女の頭の中ではユフォンと酒を飲み、自分が見てきた世界を語らうということはなかったことになってしまっていた。そんな様子のセラを見かねてユフォンは自分から口を開く。
「ほら、お酒飲んでくれるって。話を聞かせてくれるって」
「ああ……」ようやく思い出したセラは困った顔を見せる。「でも、マカを学んだらすぐ他の世界に行かないといけないの」
「……そうなのか。じゃあ、君の旅が終わったらでいい。僕に会いに来て」
 ユフォンの言葉にセラは逡巡する。そして、目の前の青年に協力してもらった方が賢者のもとへ早く辿り着けるだろうという考えに行き着き、頷く。今聞くとひどい話だ。このときの彼女は酒も話もどうでもいいと思っていたんだから。
「分かった」
「よし、そうと決まれば、明日魔導書館に行こう。新しい司書も知り合いじゃないけど、異世界の君だけで行くよりいいだろ?」
「うん、そうだね。じゃあ、よろしく」
「うんうん。今日は僕ベッドを使って。僕は、今君が座ってる椅子で寝るから」
「いや、さすがにそこまでは。どこか宿に行くよ。明日の朝、どこかで会お――」
「どこかって、君は今この街に来たばっかりじゃないか、それに」ユフォンはセラの背中にある剣を見た。「そんな物騒なもの、この街の女の子は背負ってない。すぐに警備の魔闘士に目をつけられちゃうよ」
 ユフォンの言葉に渋々といった様子で頷きオーウィンはじめ荷物を下ろすセラだった。


 翌朝、セラとユフォンは二人でライラおばさんの下宿を出た。
 荷物と一緒にオーウェンを背負おうとするセラをユフォンは「昨日も言ったけど、そんなのを背負ってたら目をつけられちゃう」と制した。
 彼女は兄の形見であるオーウィンを置いていくことに少しばかり悶々としていたが、魔導都市の街並みを見るやサファイアの瞳を見開いて輝かせた。レンガ造りの街並みは見る者を魅了する。きっちりと規則正しく並べられた通りのレンガも、計算されつくされて積み重ねられた建造物のレンガも、人の手によって造られた美しさは郊外の自然の美しさとはまた違った感慨を生む。
 二人は噴水と造園に彩られた広場を、その先にあるマグリアで一、二を争う大きさの建物、魔導書館を目指す。複数のドームと塔が広場から伸びるいくつもの通りに並ぶ建物の陰から見え隠れする。
「そういえば、異世界についてはどれくらい知ってるの? わたしが跳んできたとき、すぐに異世界人だって分かってたよね?」
「どれくらいって言われてもなぁ。僕は異空間を渡るマカは使えないし、異世界があるってことぐらいかなぁ。あ、これから行く魔導書館で『図解 異世界論』って本を昔読んだことがある程度だな。時間の棒に世界が巻き付いてるってことは知ってる」
「基礎中の基礎だね。今度他の世界に連れてってあげようか?」
「ほんとっ! それはぜひお願いしたい。いい体験になりそうだ」
 ユフォンはセラの提案に乗ったわけだが、このときはナパード酔いなんてことは全く知らない。知っていたら異空間を渡るマカの一つや二つ必死になって覚えただろう。
 そんなことを話しながら二人は広場を抜け、通りを抜け、魔導書館に到着した。

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