碧き舞い花

御島いる

14:光り輝く森にて

 ヒィズルはまだ静かだ。
 朝日が昇り始め、まだ、空気が青い。
「セラフィ。いつか、俺と勝負」
「うん。そのときは楽しませてあげるよ。ケン・セイ」
 屋敷の庭では二つの師弟が向き合う。
「セラフィ。楽しみだ。ビズラスは一年と三月いた」
「お前もそう思うか、ケン・セイ。この子は大きな器だ」
「伯父さん、またそれ?」
「もう、認めろ。お前は、兄より才能に満ちた器だ」
「うーん、ビズ兄様より早いのは分かったけど、それで兄様よりすごいかどうかなんて、分からないよ」
 セラはオーウィンに手を伸ばし、難しい顔をする。その最中、「あたしは? あたしは?」と束ねた前髪を揺らしながらケン・セイを覗き込むのはイソラだ。今日は涙一つなく、朗らかな顔だ。
「イソラ。お前も楽しみだ。俺の、唯一の弟子」
「うぉっほーい! セラお姉ちゃん、約束だよ! 必ずまた会おうね。そして、そして、また勝負しようねっ!」
 ケン・セイの言葉に喜んだかと思うと、小麦色の少女は白い少女に拳を突き出した。
 セラはイソラの拳に自分の拳をこつんと当てる。
 サファイアの瞳と鳶色の瞳が真っ直ぐと見つめ合う。四つの眼は芯を持ち、二人の少女の信念や覚悟、それから相手への敬意などによって光を宿す。
 朝の優しい風が白金の髪と暗い茶髪を揺らし、二人は頷き合うと、拳を離す。
「またね」
「うん、また」
 静かな朝に合わせるように、呟くように二人は再会の約束を交わした。
「よし、では行くか。ではな、ケン・セイ」
「うむ。老いすぎるなよ、ゼィロス」
「余計なお世話だ。若僧」
 ゼィロスがセラの肩に手を置くと、二人の少女は手を振りあった。一人は手首から上を小さく、一人は体全体を使って腕を大きく。
 静かなるヒィズルの朝に赤紫の光が舞う。
「たのもぉおおおおっ!」
 最後にセラの耳に坊主頭の少年の大声が届いたが、テム・シグラ本人の姿まで確認することはできなかった。


「うわぁっ!」
 ゼィロスのナパードで跳んだ先、セラは突風に体を煽られた。肩を抱くような形でゼィロスが支えなければ、どこまで飛ばされたのだろうと考えてしまうほど、強い突風だった。
「ついて来てよかったろ?」
 クァイ・バルは自然豊かな……いいや、豊かなんて平和なものじゃない。自然が猛威を振るう、そんな地だ。まるで自然という生き物でもいるかのように、風が、木が、雨が、地震が、雷が、渇きが……挙げればきりがないが、自然が共存し、争い合っている。
 二人が姿を現したのは突風吹き荒れる荒野だったが、クァイ・バルでは比較的安全な地帯に分類される。
「ここでは、変態……セラはこの言葉を気にしていたようだが、そういう意味ではない。確かに、テングは変態的だが、ここで学ぶのは、そうだな、お前が想像する変態と分けるために変態術とでもいうか、それは様々な環境に適応する能力だ。異世界の中には過酷な環境もあるかなら。跳んだ瞬間に死んでしまっては元も子もないだろ」
「そうだね」
「さ、テングのもとへ行こう。あの森の中にいる」
 ゼィロスが示した森は、森というより密林だった。荒野の先に緑色の塊がでかでかと鎮座していた。
「ここが一番の山場だ、お前もどれくらいで変態術を習得できるか分からんぞ。ちなみに、ビズラスはここで七年のうち五年を使った」


 森の中は荒野の突風が嘘だったかのように静かだった。
 空が全く見えない程に木々が、木の葉が密集しているが森は明るい。白々と木の幹が光を放っているのだ。一本一本はとても弱い光だが、密集する程数があるおかげで、ペク・キュラ・ウトラの昼間より明るい。
 それに、緑の密集は洞窟や坑道を思わせるように足音や声を反響させていた。
「テング! テング・テン・グーテン! 俺だ! 『異空の賢者だ』!」
 ゼィロスの声は虚しく森に響くばかりで、何ひとつ返答はなかった。
「居ないんじゃない?」
「テングは基本森を出るはずがないんだがな。おい! テング!!」
 テングという言葉が尾を引いて、静寂を連れて来る。
「何かあったのかもしれんな。セラ、お前はここを動くな。少し探してくる」
 ゼィロスはそう言い残して、ナパードで跳んだ。
 光る森に残されたセラは荷物を降ろし、座り込むと超感覚を鍛えるために瞑想をすることにした。
 瞑想をすると普段より多くのことを感じることができる。特にこの静かな森では聴覚が研ぎ澄まされ、さっきまでいた荒野の風音がセラの耳に届く。どこかで雷が鳴ったかと思うと激しい雨音が他の音を消し去る。雨はすぐに止み、聴覚を鮮明にする。すると、静かな森に枝葉が擦れる音がこだました。
 セラは目を開け、周囲に注意を向ける。しかしサファイアの瞳にはさっきまでと変わらない森の姿しか映らない。だが、確かに彼女は何かが自分に近付いてくるのを感じていた。肌と鼓膜を震わす何かがいると。
「誰?」セラの声が小さく森に響くが、返事をするものはいない。「居るのは分かってる」
 彼女はオーウィンを手に取った。
 すると、何かは大きな音を響かせながらセラから離れていく。彼女の頭にはゼィロスの言葉が過ったが、好奇心を押さえられなかった。荷物を手早く身につけると何かを追ったのだ。
 枝葉をうまく避けながら、何かを追う。セラと何かの立てる音だけが森に響く。
「うっ……!」
 森の開けた場所、鮮やかな黄色い花が一面に咲き乱れるその場所に出た途端、セラは口と鼻を手で覆いすぐさま引き返してそこを出た。
 手はそのままで、木陰から黄色く染まる園を見やる。そこには男が一人倒れていて、その周りを淡い黄色い光の球が漂っていた。この黄色い光こそ、セラが追っていた何かだ。
 セラは大きく息を吸い込むと、跳んだ。そして光の球が漂う男の傍らに姿を現すと男に手を触れて再度跳んで元いた場所に戻った。
「ナパスの人……」
 黄色い園から連れ出した男は死んでいたが、男は『記憶の羅針盤』を首から下げたナパスの民だった。セラよりいくらか上の青年で、剣を背負っていないところを見ると戦士ではないようだった。顔や体は痣や傷だらけだったが、セラはこの青年が死んだ理由はそれらでないと分かっていた。彼女がもし、薬草術に暗かったら『碧き舞い花』の冒険はここで終わっていたことだろう。
 つまりは植物やそれに準ずるものの毒が彼の死因だった。
 セラは青年の服についた黄色い花粉を指で触ってから鼻に近付ける。「これじゃない」
 彼女は再び、黄色い園に跳び、息を止めながら黄色い花々をかき分ける。そこにはとても背の低い、いかにも毒を持っているであろう毒々しく赤いキノコがびっしりと生えていた。
 青年の遺体のもとへ戻ったセラは、息を吐き出すと肺に酸素を取り込む。
「情報が少ないな」
 セラはゼィロスに待てと言われた場所に戻ることにした。そうすれば、この地の住人である『変態仙人』なる人物にキノコのことを訊けると考えたからだ。
 青年の体に手を触れナパードで跳ぼうとしたとき、彼女の周りを黄色い光の球が周回する。
「これを知らせてくれたのね。ありがとう」
 セラはそう言って、跳んだ。


 彼女が最初の場所に戻ると、そこにはゼィロスがすでに帰って来ていた。
「セラ! どこに行って……ナパスの民か?」
「うん。伯父さん、仙人は? 聞きたいことがあるの」
「何かあったのかもしれんと森の外も探してみたが、俺が行ける範囲にはいなかった。それより、彼は死んでいるのか?」
 横たわる同胞を見やり尋ねるゼィロス。
「うん。キノコの胞子に毒があったんだと思うんだけど。そのことをここの人に聞きたかったのに……」
「そうか。しかし、なぜこんなところに戦士でないナパスの民が……?」
「渡りの民の賢者よ」森に低く野太い声が響いた。「弟子は死んだぞ」
 森にカラン、コロンと音を反響させ現れたのは、真っ赤な肌で背中に黒い翼が生えた大男だった。両目に合わせ額に三つめの瞳を持つこの大男こそ、『変態仙人』テング・テン・グーテンその人だ。
「テング。どこへ行っていた。それと、弟子は死んでない、ここにいる」
 ゼィロスはセラを示す。
「はてな? その男はお前の弟子ではないのか。では、なぜこんな過酷な地に渡界したと? ちょうど、カッパと話しをしていたのだが」
「さあな。それはこちらで調べることにするさ」
「さいか。ではひとつ、カッパは水を通り渡界をするわけだが、若き渡りの民を見かけることが多くなったと聞く。それと、例の黒い霧の集団が目撃される世界が徐々にではあるが増え始めているとも言っていた」
「『夜霧』か……。分かった、情報感謝する」
「あいつら、エレ・ナパスみたいに他の世界にも攻め込む気だ!」
 セラは指ぬきのグローブが音を鳴らす程強く拳を握った。
「落ち着け、セラ。気持ちは分かるが、まだ準備のときだ」
「はて? そこの少女、さっき弟子と言っていたな。変態を学びに来たのか?」
「そうだ。頼めるか。ビズラスの妹だ」
「さいか! では見込みがあるではないか! よかよかぁ! 確かあやつは五年だったか? よいぞぉ、少女よ、名を申せ」
「セラ。セラフィ・ヴィザ・ジルェアス」
「セラフィ・ビザ・ジレアス。渡りの民の言葉の発音はやはり難しいのぉ! よかよかぁ!」
 高々と楽しそうに笑うテングを余所に、セラは伯父に小さく尋ねる。
「伯父さん、この人大丈夫なの?」
 ゼィロスも小さく姪に返す。
「大丈夫だ。珍しいものが好きなんだ、異常なほど変態的に」
「それって、本当に大丈夫なのかな……?」
「心配するな。テングは現存する賢者の年長だ。今まで幾人もの弟子を育ててきた。腕は確かだ」
「まあ、どのみち必要なことだからやるんだけど……」
 セラは少し不安気な顔を覗かせながら、「ビザ・ジレアス、カイ・バル、ズエロス……よかよかぁ!」と独りで楽しんでいる最年長の賢者を見つめたのだった。

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