碧き舞い花

御島いる

12:道場破り

「ふっ」
「せっ」
 セラとイソラは屋敷で組手をしていた。
 これは二人の師匠の提案で、セラが体を使うことに慣れるためと、イソラが見学だけでなく自らが戦う経験を増やすためである。
 セラにとって剣を使わない戦いというのは新鮮そのものだった。相手との距離感も自分が攻撃できる範囲も全く違うのだ。
 彼女はイソラの蹴りをまるで剣を持っているかのように受け止めようとしてまともに脇腹に受けたり、ここぞというときに正拳ではなく腕を上から下に振り抜きイソラに拳が当たらないということを何度か繰り返した。
 何度か失敗を繰り返した後、彼女はようやく剣を使わなくともまともな戦いができるようになった。強さでいえば剣を持ったときの七割程度といったところだ。
「動けるようになったね」
「うん」
「じゃあ、あたしもそろそろ本気出すよっ!」
「えっ!?」
 今まで普段通りおどけたような表情だったイソラは、セラが動けるようになったのを見ると目を鋭く細め、真剣な表情となった。
 イソラはセラの眼前から突然消えた。
 剣を持っていないとはいえ、戦いは戦い。セラはイソラの動きをしっかり感じていた。イソラがしゃがみつつ自分を中心にまるで滑っているように旋回している。蹴り上げがくる。判断はできたし、反応もできた。
 両腕で斜め下から飛んできたイソラの足の裏を受け止める。
 しかしイソラは刀を持っていようがいなかろうが、普段の戦い方と何ら変わらない。少しも戸惑いなく動ける分、セラを圧倒する動きを見せる。
 蹴り上げた足でそのままセラの両腕を押し上げ、脇が甘くなったところに、両手だけで体を支え体を捻ると反対の脚で強烈な蹴りを浴びせた。
「くっ……」
 セラの端正な顔が痛みで歪む。が、戦いの最中のイソラは普段と表情も性格も違う。ここで彼女を心配して攻撃を辞めることなどしない。
 イソラは浴びせた蹴りの反動で反対方向に体を回転させながら立ち上がると、セラの頬に裏拳を飛ばす。
 痛みに耐えながら顔を反らせて躱したセラだったが、イソラの裏拳がかすり、頬を小さく裂ける。
 躱されることを承知していたかのように何ひとつ驚く様子も見せないイソラ。その掌底をセラの鳩尾に入れる。
「ぶっ……く」
 よろけたセラだったが何とか堪え踏み止まると、駿馬で間合いを詰め、上段蹴りを繰り出す。イソラはそれをしゃがんで躱すと、また、さっき見せた滑るような動きでセラの後ろに回り込んだ。そして足払い。
 イソラの足払いを蹴りの勢いで回りつつ跳んで躱すセラ。だが、着地する前にまたも鳩尾に、蹴り上げを受けてしまった。
「うっ……あっ!」
 少女が蹴ったとは思えない程セラの体は宙を舞い、背中から床に落ちた。
「ここまで。イソラ、勝ち。セラフィ、負け」
「やったぁ!」イソラはいつもの表情に戻り、ピョンピョンと跳ね回る。「今回はあたしの勝ちっ!」
「慣れてない分、分が悪かったな、セラ」
「うん」
 セラはゼィロスに応え、頬を手の甲で拭う。手の甲には赤い血が擦り付いた。
「あわわぁ……! セラお姉ちゃん、大丈夫!? ごめんね、ごめんね。戦いになると集中しちゃって……あわぁ……」
「大丈夫、これくらい薬塗っとけばすぐ治るよ」
 彼女はそう言うと部屋の隅に置かれた自分の荷物から傷薬を取り出す。彼女自身が調合した薬だ。
「すごい集中力だよね」軟膏を塗りながら隣に座るイソラに言うセラ。「わたしも途中から相手がイソラだって忘れておもっきり蹴ってやろうって思っちゃった。避けられちゃったけど」
「最後の蹴り? うーん、確かにあれは躱すよね。おもっきりすぎて躱してくれって言ってるみたいだったよ」
「あはは……そうだよね、やっぱり。でも、あれ、何? 床を滑ってたみたい」
「ああっ、あれはね、水馬すいばって言うんだよ」
「セラフィ。そこまでは無理。駿馬以上だ」
 二人の会話に割って入ったケン・セイの言葉にイソラは異論を唱えた。
「え、セラお姉ちゃんでもできますよ、お師匠様ぁ。あたしだって見ただけでできるようになったじゃないですかぁ?」
「イソラ。独特。やり方が俺と違う」
「うえぇ! そうだったんですか!? 知らなかったぁ~……」
「イソラ。見る以上に、自分のものにする力、目を瞠る」
「そうだな。俺が見ていてもイソラの動きは独特だ。初めて見たときはケン・セイと同じに見えたが、どうも違うみたいだ。戦いに関しての知見はケン・セイに劣るからはっきりとは言えないが」
「俺が違うと言っている」
「ああ……そうだな、『闘技の師範』様」
「ふんっ。イソラ、セラフィ、行くぞ。ゼィロス、留守番」
「はいはい。師範様」


 半月が淡く照らすヒィズルの夜。
 セラはイソラと共に浴槽に浸かっていた。
「やっぱり、ケン・セイはすごいね。自分が全然動けてないのがわかる」
「お師匠様は強いのです」
「うん。あれで、もう一本腕があったらどれだけ強いんだろう。想像できない」
「えーっとね、お師匠様は昔は剣術の達人だったんだよ。みんなが憧れる。あたしがお師匠様に教えを受ける前のことだけど」
「え? じゃあ、どうして今は邪道だなんて」
「うん。両腕があったときは今みたいな戦い方じゃなかったみたい。あたしはよく知らないけど」
「ふーん……そうなん、わっ!」
 セラの顔面にお湯が飛んできたかと思うと、イソラが「へへへ」と悪戯っぽく笑っていた。
「こらっ」
「うわぁあっははっ……えーいっ」
「あっ、もぉ」
「ニシシっ」
 少女二人の戯れは静かなヒィズルの夜を鮮やかに彩ったことだろう。


「たのもぉーっ!!」
 とある日。まだ、ヒィズルが賑やかになる前の時分。珍しくケン・セイの屋敷に人が訪ねてきた。
 訪ねてきたのは、先日セラを負かした坊主頭の少年だった。 
「マサ・ムラが弟子、テム・シグラと申す。ケン・セイ殿はおられるか!」
「居るが」
 テム・シグラと名乗った少年はどかどかと、この前帯びていた刀とは違う少々長めの刀を手に持って入ってきた。
 そして板の間の中央に胡坐をかくケン・セイの前に立つと、
「我が師の雪辱を果たしに来た! 刀を抜け、ケン・セイ!」
「嫌だ。お前、身の程知らない」
「何をっ!」テムは手に持った刀を鞘から抜き、鞘を投げ捨てた。「我が一族に伝わりし、天涙てんるいを持ってして貴様を破る!」
「イソラ。お前がやれ」
 イソラに場所を譲ろうと立ち上がったケン・セイ。だが、ここでセラが声を上げる。
「待って、ケン・セイ。わたしがやりたい。今度は勝てる」
 負けず嫌いの彼女だ。当たり前の行動だった。だが、ケン・セイはおろか、ゼィロスも彼女を退かせた。
「セラ、ここはイソラに譲れ。あくまでもこの世界の問題だ」
「でも……」
「セラお姉ちゃん。任せて、あたしがお姉ちゃんの代わりに勝つから。こっちも雪辱戦だよ!」
「……分かった。頑張って、イソラ」
「うんっ!」


「今回は抜くんだな」
「お師匠様の許し、出たから」
 刀を片手で構えるイソラの表情はすでに戦闘モードだ。
「お前を倒して、次はあそこに座るお前のお師匠様だ」
「……」
「どうした、怖気づいたか?」
「別に。集中してるだけ。君も黙って集中したら?」
「ふんっ。天涙に負けはない」
「あっそ」
「公正を期すためにここは部外者の俺が審判となろう」
 ゼィロスが向き合う両者を見やり、声を上げる。
「始めっ!」
 先に動いたのはイソラだ。
 駿馬と水馬を合わせ、テムに向かいながら斜めに滑る。床はキュルキュルと甲高い音を立てる。
 そのうち、その音の中にガガガッと何かを削る音が混じり始めた。イソラが床に刃をあてがい、床を削っていたのだ。まるで刀で自分の速さと滑りを制御するように。
「邪道がっ」
「ふんっ」
 床を削る刀が振り上げられ、濡れたように光る天涙は振り下ろされる。
「ぁれ……?」
 テムはどこか違和感を感じたようで顔をしかめた。
 だが、そんなことを気にするイソラではない。
 刀を天涙を中心に一回転させる。テムは顔を反らして迫りくる刃を避ける。だが、イソラの狙いはそれではなかった。
 一回転してきた柄を反対の手で掴み、テムの腹に峰打ちする。イソラはこのときテムの腹を斬り裂くこともできたが、ヒィズルの道場破りの掟として、死に至る斬撃は禁止され御法度なのだそうだ。
「がぁあっ……このぉっ!」
 懐に入り込んでいたイソラに天涙を振り下ろすテム。もちろん、彼も峰をイソラの背に向けている。
「い゛っ……」
 背中を打たれ、床に突っ伏しそうになるイソラは手をつき、テムの懐から転がり出る。
 イソラが転がった先には、さっきテムが投げ捨てた天涙の鞘が転がっていた。



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