碧き舞い花

御島いる

6:始まりの悪夢

「なに、これ……? 町が……燃えてるの?」
 セラはエレ・ナパスに何が起きているのか、必死でその状況を把握しようとしていた。
 だが、セラの思考が巡るより早く、ズィーがその腕を掴んだ。そして、走り出す。「本当に、こんなことになるなんて……」
「ちょっと……! どういうこと! 何か知ってるの!?」
「異世界人だ」
 ズィーは湖畔を王城に向かいながら、口を開く。
「一年ぐらい前、ビズが剣術を教え出しただろ。こうなるかもしれなかったから、備えてたんだ」
「そんなっ!」
「俺だって信じてなかった。けど――」
 ズィーが言葉を切り、セラを受け止めながら立ち止まる。
 二人の行く先に、黒く縁取られた青白い光が突如現れ、人が一人通れるくらいの楕円状になったのだ。楕円の奥はどす黒く、まるで空間に穴が空いているようだった。
 すると、その穴から、黒光りする鎧を身に着けた男たちが出てきたのだ。怒号を上げ、剣や槍、それから斧など様々な武器を持った男たちが続々と。
 男たちは出てくるや否や、二人を見つけ、取り囲むように半円状に布陣した。
 ズィーはセラを後ろに庇いながらスヴァニを抜く。が、男たちは一向にズィーに向かってこようとはしなかった。まるで、誰かの指示でも待つかのように、ただただ、ズィーに向かって武器を構えているだけだったのだ。
「お前たちは何をしている」
 声と共に穴から現れたのは、他の男とは明らかに質の違う鎧を身に着けた赤褐色の髪と瞳を持つ大男だった。ゆっくりとした足取りで歩く姿は場慣れした戦人間そのものだった。
「最初に言ったはずだ。戦士は殺せと。反乱の種は摘むのだとな。捉えるのは戦士以外の、成人した渡界人だけだ。分かったら、男を殺せ。お前たちの役目はそれだけだ」
「はっ!」
 大男が言うと、男たちは声をそろえて、その目に殺意を宿した。
「女の方は殺すなよ。教えた通り、首飾りがある奴が成人だからな」
 大男はその赤褐色の瞳で二人を一瞥すると向きを変え、一人、王城へ向けて歩き出した。
 セラは大男の背中を追おうとしたが、鎧の男たちに行く手を阻まれる。
「セラ。俺が隙を作る。だからビズのところに行け。それが一番安全だから」
「ダメだよ! ズィー一人じゃ――」
「うぉおおおおおおおっ!」
 二人には話している時間など与えられなかった。男たちはズィーを殺しにかかる。ズィーは男の一人の太刀をスヴァニで受け、男を蹴飛ばす。
「俺は、うらぁっ! 英雄になるんだぜっ! こんなとこで死ぬわけない、だろ!」
 戦いながら言うズィーは笑っていたという。それがセラを勇気づけるものだったのか、ただ単に戦いを楽しんでいたのか定かではないが、その笑顔はセラに安心感を与えたのだった。
 戦いは一人のはずのズィーが押していた。
 まさにズィーのために作られた剣。ズィーによって真っ直ぐ振るわれたスヴァニは、敵の腕を斬り飛ばし、攻撃を防ぐ敵の剣を砕き割る。
 男たちの人数が減ってきたのを見て、セラは静かに、だが迅速にその場から走り出した。


 セラは走った。
 燃える町を、逃げ惑う人々や怒号を上げるナパスの戦士と鎧の男たちを縫うように走った。
 ナパードは使えなかった。戦場と化したエレ・ナパスでのナパードは危険だと判断したからだ。
 城下町を走る最中、セラは昔ズィーと共に遊んでいた少年の姿を見た。一人はズィーと同じく戦士になっていたが、子供を庇いながら死んでいった。死に際、彼の目にはセラの姿が映っていたのをサファイアの瞳は見逃さなかった。セラの瞳には涙が溜まり始めていた。
 他の二人の少年は戦士にはならなかったが、なにか、手枷のようなものをはめられて鎧の男たちに引きずられ、セラがミャクナス湖畔で見た黒縁の青白い穴に押し入れられるところを目の当たりにした。
 セラの顔は悲しみに歪み切っていた。
「あぁあああああっ!」
 彼女は走りながら、大きく口を開けて叫んだ。このころの彼女には彼らを救える力なんてこれっぽっちもなかった。だから、叫んだのだ。頭を過る思い出が涙となって視界をふさいでしまわないように、心を強く持って、家族のいるはずの王城を目指すために。
「あっ……!」
 だが、悲しみは彼女の足の動きを鈍くした。足がもつれた彼女は走った勢いのまま、手をつく暇もなく、地面に倒れ伏した。
「……っ!」
 彼女は力強く立ち上がるが、燃える町の炎の光と熱を遮る影に眼前を塞がれた。鎧の男が手枷をチラつかせ立っていたのだった。
 男はセラの腕を掴むと強い力をもってして、抵抗する彼女の両手首に手枷をはめた。
「いやぁっ!」
 男はまるで作業をするように淡々とセラを連れて行こうと、近場に黒い霧と共に発生した真っ暗な空間の穴に向かっていく。
 この時、セラは両親の教えを無視してでもナパードを使って逃げ出そうと考えた。だが、何か、体の中、頭の中に引っかかるものがあって、ナパードが使えないことに気が付いた。それは、ナパードを使えるナパスの人間にとって、内臓が浮き上がるような、ナパード酔いなんて比じゃない程、気持ち悪く不安感を感じる状態だった。
 原因は手枷だった。侵攻してきた異世界人の手枷にはナパードを封じる力があったのだ。
 セラはズィーが毒によってもがき苦しんでいるときよりも大きな恐怖を覚えていた。もう、自分は終わりだと確信したという。
 だが、彼女のピンチの時に家族が黙っているわけがない。
 突如、男に後光が差したかと思うと、男は背中から血を噴いて倒れた。
 セラを助けたのは『輝ける影』ビズラスだ。
 ビズラスはすぐさま、セラの手枷を外し、妹を強く抱きしめた。
「にいぃさばぁ~……」
 一人での渡界が許されたとはいえ、彼女はやはり、まだ子供だ。兄の腕の中、安堵と悲しみがとぐろを巻いて彼女の心を締め付け、締め出された物が涙となって溢れ出す。
「大丈夫、大丈夫だ」
 ビズはそう言って彼女を離し、しっかりと目を見て、
「いいかい。俺の傍を離れちゃだめだ。お父様のところに行こう。城で戦ってるはずだ」
「……ぅん」
 彼女は泣き止むことなく、頷いた。


 ビズラスと共に王城を目指すも、王城までの道のりでは、ビズラスを殺し、セラフィを捕えようとする黒い男たちが何度も襲い掛かってきた。
 もちろん、その度にビズラスが男たちを蹴散らすのだ。その姿は、まさしくエレ・ナパス最高の戦士だったと彼女は言う。
 戦闘にナパードを使える数少ない戦士である彼は、姿を消しては敵の死角から攻撃したり、一瞬の移動だからこそ一瞬で多くの敵を斬り捨てたりと、敵を寄せ付けなかった。また、異世界を旅した彼だからこそ、異世界で学んだ簡易的な魔法で敵を薙ぎ払ったり、死角からの弓矢の攻撃も目を向けずに防ぐことができた。セラを守りながらでもまったくもって不利な状況にはならなかったのだ。
「どわぁああっ……」
 セラとビズが王城前に辿り着くと、レオファーブ王が城門から吹き飛ばされてきた。
 ビズがしっかりと受け止めると、セラが駆け寄った。兄に支えられる父の姿は痛々しいものだった。至る所から出血し、服はボロボロ。息は絶え絶えだった。
「セラフィ、はぁぁ、無事、で、よかった」
「お父様、これを!」セラはポーチから粉薬を取り出し、父の口元へ近付けた。「痛みを和らげます」
「……それは、助かる」
 セラは腰から提げていた木彫りの水筒をレオファーブに渡した。
「お父様、ここは俺が」
「待て、ビズ。お前はセラを」
「はい。それは、あいつを倒してから」
 城門からはゆったりとした足取りの大男が姿を現した。セラが湖畔で見た赤褐色の男だった。
「おぉ。増援か。意味のないことだがな」
 大男は彼の身の丈ほどはある大剣を肩にカツカツと当てながらビズとの距離を詰める。
 ビズもオーウィンを構え、迎え撃つ態勢は万全だ。
 町からは未だ悲鳴と怒号が聞こえるが、ここ、城門の前だけは音を伝える空気がなくなってしまったのではないかと思わせるほど静かな時間が流れていた。
 互いに距離を詰めていく二人の猛者。
 先に動いたのはビズだった。黄色い閃光と共に消え、赤褐色の男の背後で剣を振り下ろしていた。しかし、大男はまるで予想していたかのように速い反応で、大剣で背中を守った。
 すかさず、ビズは消え、大男の懐に現れた。今度は下から振り上げられる剣。それを大男は籠手で小気味よい音を立てて防いだ。二人はそこで一瞬止まる。
 カタカタと震える二人の力は拮抗しているように見えたが、上から押さえつけている形になっている大男がビズを押し始めた。
「ぐっ」
 ビズが膝を折った隙を見逃さず、大男は大剣を大きく振り下ろす。
 一瞬時が止まったような感覚がぶつかり合う二人の世界を包み込んだかと思うと、大男の大剣は地面を抉り、ビズは後方に現れた。
「今のは決まったと思ったが……」大男は大剣を上げる。「なかなか、やりが――っ!」
 大男は上げた大剣の峰をすぐさま体の前で構えた。そこに、ビズラスの蹴りが収まる。
 このときのビズラスの動きはナパードとは違うものだった。実際に足を使って高速で移動したのだ。そして、ビズは大剣をそのまま足場にして大男の頭を跳び越えながらオーウィンで、男の背中を真一文字に斬り裂いた。その威力はズィーの一太刀に匹敵するもので、鎧の上から生身の肌までを深々と斬り裂いたのだ。
「ぐぁあっ」
 赤褐色の男は膝をつき、大剣で体を支えた。
「はぁ……おのれっ!」
 大男は背後に立つビズに一太刀食らわせようと大剣を振るが、空を斬ることしかできない。
「お前の負けだ。諦めろ」
 ビズは男に近付き、首元に刃を置く。
「!」
 ビズの勝利で戦いが終わるかと思われたが、ビズは何かを感じ取り、ナパードでセラとレオファーブの前に移動した。
 赤褐色の男のすぐ隣。暗い藍色の光が瞬き、一人の男が姿を現した。顔の上半分に仮面をつけた男だ。
「あれって……」
「ナパード」
 兄妹が驚くのをよそに、父は仮面の男を睨み付けていた。
「そちらの首尾は?」
 仮面の男は静かに、淡々と赤褐色の男に訊く。
「だめだな。王も全く吐かなかった。妻と娘が目の前で殺されたというのに」
「えっ……!?」
 大男が口にした言葉にセラは頭が真っ白になった。兄と父は知っていたのか、顔を歪ませていた。
「そうですか。まあ、そちらには期待してませんでしたからいいでしょう。こちらは上々でしたので、帰りますよ」
「ああ、そうしてくれ。と、その前に、王族は殺すはずだったが」
「大丈夫です。全軍をここに向かわせましたから」
 仮面の男がそう言うと、まるで示し合わせたかのように怒号が城門に迫ってきた。
「じゃあ、行きますか」
 仮面の男は大男に手を触れると、暗い藍色の閃光と共に姿を消した。
「ぐおぉおおおおお!」
 燃える城下町から、エレ・ナパスに侵攻してきた全軍が向かってきた。剣を持つ者は迫り来て、弓矢を持つ者は距離を取って構えた。
 レオとビズはセラを守りながら戦ったが、さすがに敵の量が多すぎた。徐々に城門に後退させられていく。城門からは燃え盛る城下町が見える。セラは母と姉を失ったという真実が大きくのしかかり、自分の窮地に無頓着になっていた。だから、自分に向けて矢が飛んできているのに気付くことができなかった。父が血を吐き、庇ってくれるまでは。
「ぐふっ……」
「お父様っ!」
「大丈夫だ。セラ、お前の薬はよく効いているよ」
「お父様、もう、さすがに……」
 さすがのビズも追い詰められ、諦めを感じ始めていた。
「諦めるな、ビズ! ゲフッ……まだ、セラが生きている。何としても守り抜くのだ!」
「しかしっ……!」
 魔法を使って多くの敵を押しのけるビズはすでに息が上がっている。
「ビズラス! セラを連れて跳べ! ここは俺が引き受けた!」
「駄目です! 父さん! それならあなたが跳ぶべきだ!」
「そうだよ、お父様も一緒に――」
「父親の言うことを聞かんかっ!」
 その叫びは今までセラが聞いたことがないほど大きな父の怒りの声だった。リョスカ山での一件でもここまで怒られなかった。
「いいか!」レオは二人の前に立ち、大群を前に剣を構え、振り向かずにビズを呼ぶ。「ビズ! お前だけが跳べるんだ、ゼィロスのもとへ跳べ。口答えは許さん!!」
「……っく」
 ビズは父の決意を渋々受け入れ、オーウィンを納めた。そして、セラの肩に手を乗せる。
「ダメ! 兄様! お父様も一緒に!!」
「セラ……」
「触れてれば跳べるでしょ、みんな一緒にさ――」
「セラフィ!」
「……!」
 見上げた兄の顔は厳しく、優しく、苦々しいものだった。
 そんな表情を見せられたセラは黙ってうつむくことしかできなかった。そして、それを了承と受け取ったビズは、最後に父の背中を目に焼き付けてから、黄色い閃光を放ち、セラと共に消えた。
「セラ!」
 兄のナパードで黄色い閃光に包まれながら跳ぶ瞬間、セラはビズに再び名前を呼ばれたことで顔を上げる。ビズのナパードは静かで安定している、だから恐らくは涙で歪んでいる景色。抱き付いてきた兄の向こう側に父の大きな背中。それがセラフィが見た故郷、エレ・ナパス・バザディクァスの最後の思い出だった。

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