和風MMOでくの一やってたら異世界に転移したので自重しない
幕間 景保の事件簿 Case1
「ひぃっ! なんだこいつら!?」
「た、助けてくれぇ!」
月が大地を照らしてもまだ仄暗い深い闇に、男たちの悲鳴が響く。
とても大の大人が出すようなものとは思えない切迫した声音は、命に関わる危険が迫っていることを推察するのに十分だった。
彼らは時に壁にぶつかり、足元に転がっているゴミに躓き、体中に小さな傷を作りながらも、必死で追って来る者から逃亡を試みている最中である。
この辺りの地区をねぐらとしている男たちは、自分たちしか知らないような細い路地を曲がり、割れて穴のできた壁をくぐり抜け追手を巻こうとしていた。
しばらくその逃避行を続けて体力も限界に近づいた彼らは、入り組んだ路地裏で額の汗を袖で乱暴に拭って荒く息を吐く。
「はぁ……はぁ……。こ、ここまで来りゃ安心だろう……」
「なんだったんだ……あいつら……」
ついさっきまで攻撃を受けた襲撃者たちを思い返しぞっとする。
あまりにも異様な魔術を使い、自分たちを追い詰めた正体不明の手練。
全速力で駆けたおかげで体中が熱いのに、頭は痛いぐらいに悪寒がしてその強烈なイメージが離れない。
「つか、残ったの俺たちだけかよ……」
「全員捕まったとは思いたくねぇけどな」
仲間は八人いた。
途中ではぐれてしまったのか、捕まってしまったのか。
あの恐ろしいハンターであればおそらくは後者の可能性が高いと二人は歯噛みする。
所詮、利害が一致していただけの関係だが、それでも一緒に危険な橋を渡ってきた者たちで、全く情が湧かないわけでもない間柄。
とは言え、今から探しに戻るなんて馬鹿な真似する気にはなれなかった。
「明日からどうするんだよ」
「知らねぇよ。どっか違うグループに入れてもらうとかするしかねぇだろ」
男たちは窃盗団だった。
金持ちの家に侵入したり、商店の倉庫から金目の物を盗み捌く、そういうことを生業にしていた集団だ。つい先日も奇妙だが実入りのある依頼もあったばかり。
綱渡りの仕事だとは自覚していたが、やはり儲けが大きく、次でやめようと思いながらもずるずるとその行為を繰り返していた。
かなり上手くいっていたと自負もしていた。
なのにたった一夜で壊滅寸前に追い込まれることは誰も予想できるはずもなく、二人はバツが悪そうに顔を見合わせる。
「あれが冒険者だったらどうするよ? 他のグループに入れたとしてもまたあいつらが現れたら今度は逃げ切れる自信がねぇよ」
「んなこと言われても知らねぇよ。でもあんな格好をした冒険者なんているか? 長いスカート履いてたじゃねぇか」
「あぁなんか切れ込みが入ってたエロいやつな。変な格好の踊り子みたいな衣装だったけどよ、魔術師ならありえるんじゃないのか?」
二人は自分たちを一瞬で崩壊に追いやった'女’を脳裏に思い出す。
それは抱いた死の予感すらも凌ぐほどの、見目麗しい女でもあった。
「それに顔はすげぇ美人だったよな。滅多にお目にかかれねぇ」
「おう、あれは一度見たら忘れねぇレベルの絶世の美女ってやつだ。それに体つきも完璧だった。どこかの貴族の令嬢とかじゃないか?」
「いや、令嬢って表現するには少し歳がいってたけどな」
たった今、殺されそうになったことなど棚に置いて、二人はその女の話題に興奮しながら語り始める。
それほどまでにその女の美貌は彼らを魅了した。
顔も青ざめ背筋も凍るほどの衝撃を受けてもなお、欲情に火を灯させるほどの端整な顔立ちの美姫。
傾国の美女、という言葉もあるが、それも頷けてしまうほど。
それが――
『誰が年増じゃと? 畜生にも劣るこのクソどもが!!』
怒りの感情を如実に膨らませ、暗闇からぬっと姿を現した。
胸の開いた上半身に、下は太ももまで顕になった普通はありえないラフな濃い青銀色の着物を着こなし、目も覚めるような白藍の腰にまで届く長い髪をしている。頭には龍の頭を意匠としたかんざしが一本あしらわれていた。
その女は確かに男たちが熱を持つほどの整った目鼻立ちをしており、魅惑的な衣装に身を包む佳人であった。
しかしそれは黙っていたらという但書が付き、口から出る言葉は、ギャップを感じるほどにあまりに口汚い。いや罵られることを悦びとする層にはむしろご褒美か。
「う、うわぁ! 出たぁ!!!」
『おうおう、鼻垂れ小僧共が我を見てなお恐れをなすのか。頭を垂れよ。ならば慈悲を与えてやるぞ?』
自分に驚いて怯える男たちのリアクションに気を良くしたその女は、口の端を大きく吊り上げ艶めかしい扇情的な胸を反らした。
「ま、魔術師ギルドからの依頼でお前たちを捕縛する! 抵抗はしないでくれ!」
その横に二十歳ぐらいの男性が一人。格好こそは異国情緒溢れた目立つ服装なのに、顔立ちは垢抜けておらずどこにでもいる若者のような頼りなさがあった。
烏帽子を被る彼は【陰陽師】景保である。彼がその美女――『青龍』を喚び出したのだが、言うことを聞かないことに困惑をしている様子だった。
「ひぃぃ、殺される!!」
だが半狂乱になる男たちは、そんな彼と彼女の話など耳に入っておらず一目散に逃げようとする。
『……不遜な人間共め。話も聞かんとは……あぁもう止めじゃ止めじゃとっとと終わらすぞ』
「ちょ、ちょっと待って。ダメだよ『青龍』。できるだけ無傷で捕まえるんだ。そういう手はずだったろ? すでに六人も氷漬けにして、これ以上は黙っていられないよ」
『む……我を呼び出すから従ってはいるが、やり方まで指図される謂れはないぞ? だがまぁ、こんな些事で喧嘩しても仕方が無い。ここは盟主の顔を立ててやらんでもない』
「そ、そう? ありがとう」
反抗的なのか協力的なのか、微妙な反応に景保は戸惑いながら、逃げる男たちに視線を向ける。
「して、我が盟主よ、それならあれな阿呆な者どもはどう片を付けるんじゃ?」
「もちろん手はずはしてある。今あっちには『タマ』がいるから大丈夫」
景保は男たちが走る先に、小さな影が現れたのを見た。
それは男たちの腰ほどの高さもないような幼女である。狐耳がぴょこんと頭の上に付いているのと、短い丈のスカートのような着物を着ているのが特徴的だった。
名前は『タマ』。彼女も景保の呼び出した仲間の一人で、小さくて可愛らしい見た目だが、人間の男百人よりも彼女の方がよっぽど強い能力を保有している。
『ここは通さないの!』
タマは小さな両手を横にして通せんぼしようとアピールをした。
しかし――
「そこをどけぇ!!」
『う、うわぁぁぁぁん!! 怖いよおおおお!!』
切羽詰まった男たちは幼女の出現など何の意にも返さず、むしろ邪魔だとばかりに無理やり押し通る。
その形相と勢いにタマは怯えて避けてしまう。
『きゃっ!? うわぁぁぁぁん景保ぅぅぅぅ!!』
そしてついには短い足がもつれて尻もちを着いて転んでしまった。
痛くはないはずなのにそれがショックだったのか、本当の子供のように瞼に涙を溜めてついには泣き出したのだ。
「ええええええええ!!」
この展開に最も仰天したのは景保である。
タマのスペック的にはなんら負ける要素が無い。やっとハイハイできる赤ん坊がどうやっても大人に勝てないのと一緒で、それぐらいの差があったはずだ。
なのに事態はなぜかタマが逃げて、男たちの逃走を許してしまう形になった。
唖然とする景保だったが、隣から不穏な冷気が肌を刺しそちらに振り向く。
そこにはピクピクと血管を浮き出し、その美貌が台無しになるかのごとく怒気をもらす青龍がいた。
『このクソどもがああああ!! 我の所有物に怪我させよって! 万年氷に閉じ込め晒し者にしてくれるわ!!』
「ちょ、ちょっと待って!」
「うぇぇぇぇぇぇぇぇん!!」
「ぎゃあああああああああ!!!」
景保の制止を振り切り、路上を破壊するほどの氷の弾丸を撃ちまくる青龍。
その間もわんわんと泣くばかりのタマ。
迫りくる氷からあらん限りの悲鳴を上げて逃げる男たち。
「……えっと……なにこれ……」
町に氷の雨が降りしきる阿鼻叫喚の中、景保は一人頭を抱えて呆然と佇んでいた。
□ ■ □
「おー、タマちゃんこっちのお菓子はどうだい? ほっぺたが落ちるほど美味しいよぉ?」
『食べるのー!』
好々爺とした老人が、お皿の上のクッキーを指差し、その膝の上に乗っているタマに手渡し口に運ぶ。
サクサクとタマがクッキーを噛む小気味良い音が流れる。
「どう? 美味しいかい?」
『うん、美味しいの!』
タマが喜ぶとその老人もつられて、柔和な顔がさらに綻ぶ。
その姿を見ていると溺愛している孫と祖父という関係がピッタリくるかもしれない。
そんな二人をじーっと見つめるのは景保だった。
『景保も食べるー?』
自分の主があまり楽しそうじゃないのに気付いて、タマがクッキーを差し出した。
きっと美味しいお菓子を食べれば元気になるに違いない。そんな幼女の気遣い。
ただ景保の気持ちはそれでは晴れない。
「いや、僕はいいよ」
「なんだいなんだい、タマちゃんが食べるかと勧めてくれたのに。かーっ冷たいなぁ。カゲヤス君冷酷ー。儂なら断らないけどなー? カゲヤス君冷血漢だなぁー?」
その老人はタマに対してはかなり甘々な素振りを見せるのに、景保に対してはえらく挑発的な態度を取ってくる。
自分よりも三倍ぐらい年上の老人の大人気もない姿を見せられ、困り果てた景保は促されるままに応じるしかなかった。
「いやあの、じゃあ頂きます」
『はいどうぞなの』
景保はそれを受け取り咀嚼する。
何の変哲もない普通のクッキーだ。しかしキラキラとした目で感想を待つタマと、その傍らでお前何を言うべきか分かってんだろうなと睨みつける老人からの視線に、演技することを覚悟した。
「お、美味しいなぁ! すっごく美味しいなぁ!」
『良かったなのー!』
朗らかに笑うタマの後ろで老人はそれで正解だと満足そうに頷く。
――なんでこんな面倒くさいことになったんだろ……。
笑みを引きつらせ頭の中で後悔しながら、景保はこの世界に来てからのことを想起する。
景保が何もない原っぱで気が付いたのは、一週間ほど前のことだった。
よくある異世界もののパターンが自分の身に降り掛かったことにショックを受けながらも、何とか近くの町まで辿り着く。
お金を稼ぐために定番のギルドへ入ろうとしたのだが、この町には冒険者ギルドと魔術師ギルドの両方があることを知り、自分が後衛職であったこともあって魔術師ギルドに入ることを選んだ。
そこまではまぁ想定内。
そしてそこからが景保の予想の斜め上を行く展開の始まりであった。
あとから分かったことだったのだが、魔術師ギルドは現存する七十ニ種以外の新しい魔術の開発に勤しむ団体であるものの、数百年間それを成し遂げたことがないという残念な団体だった。
現在では活動のほとんどが遺跡から発掘される魔道具と呼ばれる古代の遺物の解析で、それもここ最近は発見ケースが少なくなってきており、規模がかなり縮小してきていた。
入会するのに試験として魔術の腕前か知識を披露せねばならず、そこで景保は『符術』を使ったのだが、この世界には無い術を目にしたギルド員全員が目の色を変えて景保を確保したのは言うまでもなかった。
人間とは種族の違う子狐の獣人を連れているのもなぜか彼らの同情を誘い、景保は異種族恋愛に目覚めて狐獣人の妻を早くに亡くし、異種族婚に反対する獣人たちの迫害を受けて子供と一緒に安住の地を探している若いパパ、という設定を勝手に作られる。
いくら弁解しようにも職員たちは耳を貸さない思い込みの激しい集団だった。
――トップがこれだもんなぁ。
その無理やりな景保の背景を最初に作り出したのが、タマを自分の孫のように可愛がるこの目の前の老人――『ボイド』だった。
彼はうんざりすることに魔術師ギルドのギルド長で、かなり押しが強くて景保からすると憎めないが苦手な人、という位置づけである。少々どころかかなり発する言葉のネジが飛んでいた。
これで運営は大丈夫なのかと心配になるところだが、意外とそこは何とかやっているようで職員たちからの信頼も厚い。
ただ長年、研究職としてしか町に貢献できなかった鬱憤があったのか、斜陽に傾いている魔術師ギルドを立て直そうと景保が所属してからは毎日のように冒険者ギルドへ頼みに行くような荒事関係の依頼を持ってきては忙殺させてくる。
昨日も倉庫地区でたむろする窃盗グループを捕獲して来い、という新人には無茶苦茶な仕事を任されたところだった。
性格的に進んで危険のあることに首を突っ込みたくない景保だったが、時間があれば符術をもっと見せろとしつこく強請ってくる研究バカ集団なので、距離を取る意味でも仕方なく外回りの依頼は受けていた。
しかし昨日の依頼は景保的には納得していない。
「あの、昨日の人たちどうなりましたか?」
「ん? あぁお手柄だったやつね。え、もしかしてカゲヤス君、死体蹴り? 全身氷漬けでベッドからしばらく動けない上に、強制労働所送りがもう決定している彼らに『ねぇねぇどんな気分?』って煽りにいきたいとか? えげつないことするね君。素朴そうな顔して儂でもドン引きするほどのドSじゃないか! やめて儂を折檻しないで!」
「いや、そうではなく、単純に心配だったんですよ。……やり過ぎてしまったから」
正確にはやり過ぎたのは青龍で、景保は止めたり解凍したりと助けた側である。それを言っても伝わらないので自分がやったことにしておいたのだが。
「全員、凍傷と低体温による軽い臓器不全なども見られたが、命に別状は無いし後遺症も残らないよ。一週間ぐらい入院は必要だけどね。あと貯め込んでいた窃盗物も順次調べて持ち主の元へ返す段取りをしているよ。安心した? 安心したなら彼らを氷に閉じ込めた術と、助けたのと両方の術をを見せてくれてもいいんだよ?」
「それはまた今度で。とりあえず無事なのは分かりました。ありがとうございます」
すぐに回復できると訊いてほっと胸を撫で下ろす景保だったが、危うく殺してしまっていたかもしれないことに、その胸の内は懸念だらけで渦を巻いていた。
命令を無視する青龍に、戦闘ができないほどの弱気なタマの存在だ。
どちらも大和伝であれば、指示したことにはAIが判断して従順に従うし、怯えるという感情は無かった。
なのにこちらでは生身の肉体を得たせいだろうか、どちらも情緒不安定になっているきらいがある。そしてそれは他の召喚獣たちにも適応されることではないのだろうかと、不安で失望を隠しきれなかった。
――機嫌を損ねたら逆上して襲ってくる……ってことはないよねぇ?
さすがにそこまで考えたくはなかったけれど、昨日の青龍の態度を見ていると一抹の不安は残る。
すでに召喚済みの玄武や六合に関しては、元々気性が真面目であったり穏やかだったりでその問題は無さそうだった。昨日はたまたま町中なので氷系の青龍を選んだら大惨事になってしまい、さらにはタマの心の弱さも露呈し、これからの生活に憂いを残す結果になってしまった。
ぶっちゃけ青龍より扱いにくそうなのが他にもいるのが悩みの種だ。
「そんで、カゲヤス君には昨日の今日で悪いんだけど、また新しい依頼があるよ」
「またですか……。ここ数日ずっと大変なことばっかり任されてる気がするんですが……」
「いやーだってカゲヤス君、うちのエースだし! 冒険者ギルドでも手を焼いていた難事件を次々と解決してるよ! すごいね!」
「難事件を新人にやらせないで下さいよ! あと聞きましたよ、魔術師ギルドって普段はそういう仕事が来る場所じゃないんですよね? ギルド長がわざわざ自分で営業して回って依頼を取って来てるって話を聞きましたよ。ちょっと冒険者ギルドから目を付けられ始めてるとか。飛び火して僕まで睨まれたらどうしてくれるんですか!」
「雁首揃えて解決できなかった脳筋軍団のことなんて気にする必要がないよ! カゲヤス君はなんとまさかの一日解決だからね、もっと誇ってもいいことだよ。あとね、儂、こう見えて顔が広いんだよね。新人の魔術師講習もやるけどさ、魔道具の解析依頼が今までは主だったでしょ? そういうの依頼してくる人ってオークショニアだったり、富豪層が多いんだよ。そこら辺からちょちょいっとね」
全然悪びれた様子が無いどころか、すごいでしょ? と言わんばかりに自慢げに話され、景保は小さく嘆息する。
ただのモンスター退治なら楽勝なのに、彼が持ってくるのは今まで解決が難しくて売れ残っていたような一味違うものばかりだった。
昨日も窃盗団退治の依頼を受け、試しに夜空を青龍の背に乗って町の上から不審な人物たちがいないか見張っていたらたまたま出くわしてしまい功を奏したが、単に運が良かっただけに過ぎない。
普通なら刑事モノドラマみたいに聞き込みやら何やらしてアジトを抑えてから突入という流れだろう。
抗議をしたものの、すぐに会話の内容が明後日の方向に飛んで行ってしまうこのギルド長に口で勝てるとは思えなかった。
「しばらく戦闘がありそうなのはお断りしたいんですが……」
青龍たちの件があり、安心ができるまでそういう依頼は断るつもりでいたのだが、
「うーん、やりようによっては大丈夫かな? 次の依頼は物探しだから。『時間を操る』魔道具のね」
と、それは景保の興味を惹いた。
「時間を操る……ですか?」
「そうだよ。興味出た? あー今、時間が遡れたらって今考えたでしょ? うんうん、誰だってそう思うよね。儂もね、子供に戻ってカッシーラの温泉で女湯に入れたらなぁって何度思ったことか。あ、そうか……カゲヤス君は奥さん亡くしていたものね。そりゃ戻りたいよね。不謹慎なこと言ってごめんね」
「あの、その話はとりあえず置いておきましょう」
勝手にテンションがジェットコースターのように上がったり下がったりするギルド長に「あなたはいつも不謹慎です」と言ってやりたいのを喉元で我慢して、景保は続きを促す。
「このギルドでかなり前に鑑定依頼があったものでね、今の所有者は『ルネ・レコディア』という子爵家の未亡人の奥様になっている。彼女の亡き夫が骨董好きでね、本物も偽物も含めてよくここに鑑定依頼に来ていて、彼女とはその時からのお付き合いもあって今でも懇意にさせてもらっているんだよ。もう亡くなって十年ちょっとになるかなぁ。あ、未亡人だからって手を出しちゃダメだからね? で、彼女がその魔道具を盗難にあったらしくて、その捜索依頼さ」
「その時間を操るっていうのはどれほど巻き戻せるんです? 効力とか範囲は?」
そのような魔法は大和伝にもない。『停止』や『巻き戻し』ができたら最強だろう。
現状は異世界においてチートと言って過言ではない能力を景保は有しているが、それが本当に存在するならかなりの脅威となるのは容易に考えられた。
「うーん、それは内緒だねぇ」
「え? 教えてもらえないんですか?」
まさかここではぐらかされるとは思っておらず不審な目を向ける。
「だってさ探すんだから形状ぐらいは教えてあげるけど、効力とかは探す上では必要ないでしょう? ここで鑑定した品である以上、守秘義務ってやつが付きまとうんだよ。お客様の品の情報をそう簡単にベラベラと明かせないよ。ま、どうせなら見た目も含めて直接本人から訊いてごらんよ。名前は『ルネ・レコディア』、その秘密を知っている者からは『レコディアの魔女』と呼ばれているよ」
「魔女……ですか」
ごくり、と喉が鳴る。
本格的なファンタジーの要素に彩られた単語だ。
最悪、符術が一切通用しない可能性もある危険性を景保は考察した。
「勝手に周りがそう言ってるだけだから心配しなくていいよ」
「それもありますが、本人から訊けって言いますけど、貴族の接し方とか知らないんですけど」
「あぁ大丈夫大丈夫。昔と違って『無礼者! 手打ちにしてくれる!』って時代錯誤な人はいないから。それに儂の友人なんだからそういうところ緩いよ」
あなたの友人だというだけで不安だらけなんですが、と思いつつ景保は顎に指を当て思案する。
窃盗事件ということであれば、当然犯人を見つけたら抵抗もされるし軽い戦闘は予想できる。しかしそれよりも、そんな重要そうなアイテムを持っている人と縁が繋がる方が得かもしれないと損得勘定に心が傾いた。
この世界にやってきて衣食住が整ってから一番最初にしたのは、自分の安全を脅かす存在の調査だ。それは魔物と呼ばれるモンスターと、高位冒険者たち。
当然、自らの命に関わるかもしれないので、どのぐらいの脅威度なのかは最優先で知る必要があったのだ。
とは言え、それらについては早々にある程度は対処できると判断した。
しかしながら、まだ未確認のものがある。
それは『天恵』と『魔道具』だ。
どちらもそもそもの母数や伝聞の情報が少ないし、どれほどの力があるのか不明なことが多い。
天恵は有名どころだと雷を出すだとか、空を飛ぶとからしいが、そういうのよりも本当に厄介なのは表に出ない初見殺しのものだと景保は思っている。
知っていれば、例えば雷耐性の装備を準備するだとかやりようはある。一見しょぼそうに見えても要は使い方で、それが自分の防御力や耐性をどこまで抜けるのかが分かれ目となり、恐怖を感じるところだ。
だからどちらも情報を集めている最中。
魔道具については出土品しかないらしく庶民では手が出せないほどかなり高額なものばかり。出回ってる物は主に貴族か大商人、または組織単位で所有していて、日用品から殺人の用途まである。国が管理するような驚異的な能力がある物においてはさっきと同じく守秘義務で答えてくれなかった。それを知るために落ち目の魔術師ギルドにこのまま在籍するメリットはあると景保は思ってはいるが、つるつると氷のように口を滑らしそうなこのギルド長もそういったことは頑なだ。
けれどもしかしたら、その突飛な力がある強力そうな魔道具の片鱗が拝めるチャンスかもしれない。
そう思案すると、景保としては動かざるを得なかった。
「そんなすごいアイテム――じゃなくて魔道具をよく鑑定できましたね?」
「そりゃもうそれが仕事だからね。カゲヤス君も魔道具見つけてくるならお安く鑑定してあげるよ。でもその前に新しい奥さん見つけないとね。一人親だとタマちゃんが可哀想だよ。いやいっその事、儂の養子になってもいいか?」
「それは全力でお断りします」
「いやいやカゲヤス君、子供が小さいうちはできる限り早く母親を見つけた方がいいよ。その方が馴染みやすくなるからね。うん、でもすぐに選べないという気持ちも分かるよ。ならやっぱり僕の養子になるのも悪くないんじゃないか?」
立場がしっかりとした人物に身元を保証してもらえるのは異世界で暮らす上で良いことでも、こんなうるさい人の養子なんて御免こうむりたかった。
「とりあえず依頼に興味が出たので、話だけでも訊きに向かってみます。では失礼します。タマ行くよ」
『はーいなの!』
「タマちゃーん。今度は違うお菓子を用意しておくよー!」
話の方向性が嫌な方へズレ始めたのに気付いた景保は頬を引きつらせ遮るように答えて、逃げるようにそそくさと退室していった。
「た、助けてくれぇ!」
月が大地を照らしてもまだ仄暗い深い闇に、男たちの悲鳴が響く。
とても大の大人が出すようなものとは思えない切迫した声音は、命に関わる危険が迫っていることを推察するのに十分だった。
彼らは時に壁にぶつかり、足元に転がっているゴミに躓き、体中に小さな傷を作りながらも、必死で追って来る者から逃亡を試みている最中である。
この辺りの地区をねぐらとしている男たちは、自分たちしか知らないような細い路地を曲がり、割れて穴のできた壁をくぐり抜け追手を巻こうとしていた。
しばらくその逃避行を続けて体力も限界に近づいた彼らは、入り組んだ路地裏で額の汗を袖で乱暴に拭って荒く息を吐く。
「はぁ……はぁ……。こ、ここまで来りゃ安心だろう……」
「なんだったんだ……あいつら……」
ついさっきまで攻撃を受けた襲撃者たちを思い返しぞっとする。
あまりにも異様な魔術を使い、自分たちを追い詰めた正体不明の手練。
全速力で駆けたおかげで体中が熱いのに、頭は痛いぐらいに悪寒がしてその強烈なイメージが離れない。
「つか、残ったの俺たちだけかよ……」
「全員捕まったとは思いたくねぇけどな」
仲間は八人いた。
途中ではぐれてしまったのか、捕まってしまったのか。
あの恐ろしいハンターであればおそらくは後者の可能性が高いと二人は歯噛みする。
所詮、利害が一致していただけの関係だが、それでも一緒に危険な橋を渡ってきた者たちで、全く情が湧かないわけでもない間柄。
とは言え、今から探しに戻るなんて馬鹿な真似する気にはなれなかった。
「明日からどうするんだよ」
「知らねぇよ。どっか違うグループに入れてもらうとかするしかねぇだろ」
男たちは窃盗団だった。
金持ちの家に侵入したり、商店の倉庫から金目の物を盗み捌く、そういうことを生業にしていた集団だ。つい先日も奇妙だが実入りのある依頼もあったばかり。
綱渡りの仕事だとは自覚していたが、やはり儲けが大きく、次でやめようと思いながらもずるずるとその行為を繰り返していた。
かなり上手くいっていたと自負もしていた。
なのにたった一夜で壊滅寸前に追い込まれることは誰も予想できるはずもなく、二人はバツが悪そうに顔を見合わせる。
「あれが冒険者だったらどうするよ? 他のグループに入れたとしてもまたあいつらが現れたら今度は逃げ切れる自信がねぇよ」
「んなこと言われても知らねぇよ。でもあんな格好をした冒険者なんているか? 長いスカート履いてたじゃねぇか」
「あぁなんか切れ込みが入ってたエロいやつな。変な格好の踊り子みたいな衣装だったけどよ、魔術師ならありえるんじゃないのか?」
二人は自分たちを一瞬で崩壊に追いやった'女’を脳裏に思い出す。
それは抱いた死の予感すらも凌ぐほどの、見目麗しい女でもあった。
「それに顔はすげぇ美人だったよな。滅多にお目にかかれねぇ」
「おう、あれは一度見たら忘れねぇレベルの絶世の美女ってやつだ。それに体つきも完璧だった。どこかの貴族の令嬢とかじゃないか?」
「いや、令嬢って表現するには少し歳がいってたけどな」
たった今、殺されそうになったことなど棚に置いて、二人はその女の話題に興奮しながら語り始める。
それほどまでにその女の美貌は彼らを魅了した。
顔も青ざめ背筋も凍るほどの衝撃を受けてもなお、欲情に火を灯させるほどの端整な顔立ちの美姫。
傾国の美女、という言葉もあるが、それも頷けてしまうほど。
それが――
『誰が年増じゃと? 畜生にも劣るこのクソどもが!!』
怒りの感情を如実に膨らませ、暗闇からぬっと姿を現した。
胸の開いた上半身に、下は太ももまで顕になった普通はありえないラフな濃い青銀色の着物を着こなし、目も覚めるような白藍の腰にまで届く長い髪をしている。頭には龍の頭を意匠としたかんざしが一本あしらわれていた。
その女は確かに男たちが熱を持つほどの整った目鼻立ちをしており、魅惑的な衣装に身を包む佳人であった。
しかしそれは黙っていたらという但書が付き、口から出る言葉は、ギャップを感じるほどにあまりに口汚い。いや罵られることを悦びとする層にはむしろご褒美か。
「う、うわぁ! 出たぁ!!!」
『おうおう、鼻垂れ小僧共が我を見てなお恐れをなすのか。頭を垂れよ。ならば慈悲を与えてやるぞ?』
自分に驚いて怯える男たちのリアクションに気を良くしたその女は、口の端を大きく吊り上げ艶めかしい扇情的な胸を反らした。
「ま、魔術師ギルドからの依頼でお前たちを捕縛する! 抵抗はしないでくれ!」
その横に二十歳ぐらいの男性が一人。格好こそは異国情緒溢れた目立つ服装なのに、顔立ちは垢抜けておらずどこにでもいる若者のような頼りなさがあった。
烏帽子を被る彼は【陰陽師】景保である。彼がその美女――『青龍』を喚び出したのだが、言うことを聞かないことに困惑をしている様子だった。
「ひぃぃ、殺される!!」
だが半狂乱になる男たちは、そんな彼と彼女の話など耳に入っておらず一目散に逃げようとする。
『……不遜な人間共め。話も聞かんとは……あぁもう止めじゃ止めじゃとっとと終わらすぞ』
「ちょ、ちょっと待って。ダメだよ『青龍』。できるだけ無傷で捕まえるんだ。そういう手はずだったろ? すでに六人も氷漬けにして、これ以上は黙っていられないよ」
『む……我を呼び出すから従ってはいるが、やり方まで指図される謂れはないぞ? だがまぁ、こんな些事で喧嘩しても仕方が無い。ここは盟主の顔を立ててやらんでもない』
「そ、そう? ありがとう」
反抗的なのか協力的なのか、微妙な反応に景保は戸惑いながら、逃げる男たちに視線を向ける。
「して、我が盟主よ、それならあれな阿呆な者どもはどう片を付けるんじゃ?」
「もちろん手はずはしてある。今あっちには『タマ』がいるから大丈夫」
景保は男たちが走る先に、小さな影が現れたのを見た。
それは男たちの腰ほどの高さもないような幼女である。狐耳がぴょこんと頭の上に付いているのと、短い丈のスカートのような着物を着ているのが特徴的だった。
名前は『タマ』。彼女も景保の呼び出した仲間の一人で、小さくて可愛らしい見た目だが、人間の男百人よりも彼女の方がよっぽど強い能力を保有している。
『ここは通さないの!』
タマは小さな両手を横にして通せんぼしようとアピールをした。
しかし――
「そこをどけぇ!!」
『う、うわぁぁぁぁん!! 怖いよおおおお!!』
切羽詰まった男たちは幼女の出現など何の意にも返さず、むしろ邪魔だとばかりに無理やり押し通る。
その形相と勢いにタマは怯えて避けてしまう。
『きゃっ!? うわぁぁぁぁん景保ぅぅぅぅ!!』
そしてついには短い足がもつれて尻もちを着いて転んでしまった。
痛くはないはずなのにそれがショックだったのか、本当の子供のように瞼に涙を溜めてついには泣き出したのだ。
「ええええええええ!!」
この展開に最も仰天したのは景保である。
タマのスペック的にはなんら負ける要素が無い。やっとハイハイできる赤ん坊がどうやっても大人に勝てないのと一緒で、それぐらいの差があったはずだ。
なのに事態はなぜかタマが逃げて、男たちの逃走を許してしまう形になった。
唖然とする景保だったが、隣から不穏な冷気が肌を刺しそちらに振り向く。
そこにはピクピクと血管を浮き出し、その美貌が台無しになるかのごとく怒気をもらす青龍がいた。
『このクソどもがああああ!! 我の所有物に怪我させよって! 万年氷に閉じ込め晒し者にしてくれるわ!!』
「ちょ、ちょっと待って!」
「うぇぇぇぇぇぇぇぇん!!」
「ぎゃあああああああああ!!!」
景保の制止を振り切り、路上を破壊するほどの氷の弾丸を撃ちまくる青龍。
その間もわんわんと泣くばかりのタマ。
迫りくる氷からあらん限りの悲鳴を上げて逃げる男たち。
「……えっと……なにこれ……」
町に氷の雨が降りしきる阿鼻叫喚の中、景保は一人頭を抱えて呆然と佇んでいた。
□ ■ □
「おー、タマちゃんこっちのお菓子はどうだい? ほっぺたが落ちるほど美味しいよぉ?」
『食べるのー!』
好々爺とした老人が、お皿の上のクッキーを指差し、その膝の上に乗っているタマに手渡し口に運ぶ。
サクサクとタマがクッキーを噛む小気味良い音が流れる。
「どう? 美味しいかい?」
『うん、美味しいの!』
タマが喜ぶとその老人もつられて、柔和な顔がさらに綻ぶ。
その姿を見ていると溺愛している孫と祖父という関係がピッタリくるかもしれない。
そんな二人をじーっと見つめるのは景保だった。
『景保も食べるー?』
自分の主があまり楽しそうじゃないのに気付いて、タマがクッキーを差し出した。
きっと美味しいお菓子を食べれば元気になるに違いない。そんな幼女の気遣い。
ただ景保の気持ちはそれでは晴れない。
「いや、僕はいいよ」
「なんだいなんだい、タマちゃんが食べるかと勧めてくれたのに。かーっ冷たいなぁ。カゲヤス君冷酷ー。儂なら断らないけどなー? カゲヤス君冷血漢だなぁー?」
その老人はタマに対してはかなり甘々な素振りを見せるのに、景保に対してはえらく挑発的な態度を取ってくる。
自分よりも三倍ぐらい年上の老人の大人気もない姿を見せられ、困り果てた景保は促されるままに応じるしかなかった。
「いやあの、じゃあ頂きます」
『はいどうぞなの』
景保はそれを受け取り咀嚼する。
何の変哲もない普通のクッキーだ。しかしキラキラとした目で感想を待つタマと、その傍らでお前何を言うべきか分かってんだろうなと睨みつける老人からの視線に、演技することを覚悟した。
「お、美味しいなぁ! すっごく美味しいなぁ!」
『良かったなのー!』
朗らかに笑うタマの後ろで老人はそれで正解だと満足そうに頷く。
――なんでこんな面倒くさいことになったんだろ……。
笑みを引きつらせ頭の中で後悔しながら、景保はこの世界に来てからのことを想起する。
景保が何もない原っぱで気が付いたのは、一週間ほど前のことだった。
よくある異世界もののパターンが自分の身に降り掛かったことにショックを受けながらも、何とか近くの町まで辿り着く。
お金を稼ぐために定番のギルドへ入ろうとしたのだが、この町には冒険者ギルドと魔術師ギルドの両方があることを知り、自分が後衛職であったこともあって魔術師ギルドに入ることを選んだ。
そこまではまぁ想定内。
そしてそこからが景保の予想の斜め上を行く展開の始まりであった。
あとから分かったことだったのだが、魔術師ギルドは現存する七十ニ種以外の新しい魔術の開発に勤しむ団体であるものの、数百年間それを成し遂げたことがないという残念な団体だった。
現在では活動のほとんどが遺跡から発掘される魔道具と呼ばれる古代の遺物の解析で、それもここ最近は発見ケースが少なくなってきており、規模がかなり縮小してきていた。
入会するのに試験として魔術の腕前か知識を披露せねばならず、そこで景保は『符術』を使ったのだが、この世界には無い術を目にしたギルド員全員が目の色を変えて景保を確保したのは言うまでもなかった。
人間とは種族の違う子狐の獣人を連れているのもなぜか彼らの同情を誘い、景保は異種族恋愛に目覚めて狐獣人の妻を早くに亡くし、異種族婚に反対する獣人たちの迫害を受けて子供と一緒に安住の地を探している若いパパ、という設定を勝手に作られる。
いくら弁解しようにも職員たちは耳を貸さない思い込みの激しい集団だった。
――トップがこれだもんなぁ。
その無理やりな景保の背景を最初に作り出したのが、タマを自分の孫のように可愛がるこの目の前の老人――『ボイド』だった。
彼はうんざりすることに魔術師ギルドのギルド長で、かなり押しが強くて景保からすると憎めないが苦手な人、という位置づけである。少々どころかかなり発する言葉のネジが飛んでいた。
これで運営は大丈夫なのかと心配になるところだが、意外とそこは何とかやっているようで職員たちからの信頼も厚い。
ただ長年、研究職としてしか町に貢献できなかった鬱憤があったのか、斜陽に傾いている魔術師ギルドを立て直そうと景保が所属してからは毎日のように冒険者ギルドへ頼みに行くような荒事関係の依頼を持ってきては忙殺させてくる。
昨日も倉庫地区でたむろする窃盗グループを捕獲して来い、という新人には無茶苦茶な仕事を任されたところだった。
性格的に進んで危険のあることに首を突っ込みたくない景保だったが、時間があれば符術をもっと見せろとしつこく強請ってくる研究バカ集団なので、距離を取る意味でも仕方なく外回りの依頼は受けていた。
しかし昨日の依頼は景保的には納得していない。
「あの、昨日の人たちどうなりましたか?」
「ん? あぁお手柄だったやつね。え、もしかしてカゲヤス君、死体蹴り? 全身氷漬けでベッドからしばらく動けない上に、強制労働所送りがもう決定している彼らに『ねぇねぇどんな気分?』って煽りにいきたいとか? えげつないことするね君。素朴そうな顔して儂でもドン引きするほどのドSじゃないか! やめて儂を折檻しないで!」
「いや、そうではなく、単純に心配だったんですよ。……やり過ぎてしまったから」
正確にはやり過ぎたのは青龍で、景保は止めたり解凍したりと助けた側である。それを言っても伝わらないので自分がやったことにしておいたのだが。
「全員、凍傷と低体温による軽い臓器不全なども見られたが、命に別状は無いし後遺症も残らないよ。一週間ぐらい入院は必要だけどね。あと貯め込んでいた窃盗物も順次調べて持ち主の元へ返す段取りをしているよ。安心した? 安心したなら彼らを氷に閉じ込めた術と、助けたのと両方の術をを見せてくれてもいいんだよ?」
「それはまた今度で。とりあえず無事なのは分かりました。ありがとうございます」
すぐに回復できると訊いてほっと胸を撫で下ろす景保だったが、危うく殺してしまっていたかもしれないことに、その胸の内は懸念だらけで渦を巻いていた。
命令を無視する青龍に、戦闘ができないほどの弱気なタマの存在だ。
どちらも大和伝であれば、指示したことにはAIが判断して従順に従うし、怯えるという感情は無かった。
なのにこちらでは生身の肉体を得たせいだろうか、どちらも情緒不安定になっているきらいがある。そしてそれは他の召喚獣たちにも適応されることではないのだろうかと、不安で失望を隠しきれなかった。
――機嫌を損ねたら逆上して襲ってくる……ってことはないよねぇ?
さすがにそこまで考えたくはなかったけれど、昨日の青龍の態度を見ていると一抹の不安は残る。
すでに召喚済みの玄武や六合に関しては、元々気性が真面目であったり穏やかだったりでその問題は無さそうだった。昨日はたまたま町中なので氷系の青龍を選んだら大惨事になってしまい、さらにはタマの心の弱さも露呈し、これからの生活に憂いを残す結果になってしまった。
ぶっちゃけ青龍より扱いにくそうなのが他にもいるのが悩みの種だ。
「そんで、カゲヤス君には昨日の今日で悪いんだけど、また新しい依頼があるよ」
「またですか……。ここ数日ずっと大変なことばっかり任されてる気がするんですが……」
「いやーだってカゲヤス君、うちのエースだし! 冒険者ギルドでも手を焼いていた難事件を次々と解決してるよ! すごいね!」
「難事件を新人にやらせないで下さいよ! あと聞きましたよ、魔術師ギルドって普段はそういう仕事が来る場所じゃないんですよね? ギルド長がわざわざ自分で営業して回って依頼を取って来てるって話を聞きましたよ。ちょっと冒険者ギルドから目を付けられ始めてるとか。飛び火して僕まで睨まれたらどうしてくれるんですか!」
「雁首揃えて解決できなかった脳筋軍団のことなんて気にする必要がないよ! カゲヤス君はなんとまさかの一日解決だからね、もっと誇ってもいいことだよ。あとね、儂、こう見えて顔が広いんだよね。新人の魔術師講習もやるけどさ、魔道具の解析依頼が今までは主だったでしょ? そういうの依頼してくる人ってオークショニアだったり、富豪層が多いんだよ。そこら辺からちょちょいっとね」
全然悪びれた様子が無いどころか、すごいでしょ? と言わんばかりに自慢げに話され、景保は小さく嘆息する。
ただのモンスター退治なら楽勝なのに、彼が持ってくるのは今まで解決が難しくて売れ残っていたような一味違うものばかりだった。
昨日も窃盗団退治の依頼を受け、試しに夜空を青龍の背に乗って町の上から不審な人物たちがいないか見張っていたらたまたま出くわしてしまい功を奏したが、単に運が良かっただけに過ぎない。
普通なら刑事モノドラマみたいに聞き込みやら何やらしてアジトを抑えてから突入という流れだろう。
抗議をしたものの、すぐに会話の内容が明後日の方向に飛んで行ってしまうこのギルド長に口で勝てるとは思えなかった。
「しばらく戦闘がありそうなのはお断りしたいんですが……」
青龍たちの件があり、安心ができるまでそういう依頼は断るつもりでいたのだが、
「うーん、やりようによっては大丈夫かな? 次の依頼は物探しだから。『時間を操る』魔道具のね」
と、それは景保の興味を惹いた。
「時間を操る……ですか?」
「そうだよ。興味出た? あー今、時間が遡れたらって今考えたでしょ? うんうん、誰だってそう思うよね。儂もね、子供に戻ってカッシーラの温泉で女湯に入れたらなぁって何度思ったことか。あ、そうか……カゲヤス君は奥さん亡くしていたものね。そりゃ戻りたいよね。不謹慎なこと言ってごめんね」
「あの、その話はとりあえず置いておきましょう」
勝手にテンションがジェットコースターのように上がったり下がったりするギルド長に「あなたはいつも不謹慎です」と言ってやりたいのを喉元で我慢して、景保は続きを促す。
「このギルドでかなり前に鑑定依頼があったものでね、今の所有者は『ルネ・レコディア』という子爵家の未亡人の奥様になっている。彼女の亡き夫が骨董好きでね、本物も偽物も含めてよくここに鑑定依頼に来ていて、彼女とはその時からのお付き合いもあって今でも懇意にさせてもらっているんだよ。もう亡くなって十年ちょっとになるかなぁ。あ、未亡人だからって手を出しちゃダメだからね? で、彼女がその魔道具を盗難にあったらしくて、その捜索依頼さ」
「その時間を操るっていうのはどれほど巻き戻せるんです? 効力とか範囲は?」
そのような魔法は大和伝にもない。『停止』や『巻き戻し』ができたら最強だろう。
現状は異世界においてチートと言って過言ではない能力を景保は有しているが、それが本当に存在するならかなりの脅威となるのは容易に考えられた。
「うーん、それは内緒だねぇ」
「え? 教えてもらえないんですか?」
まさかここではぐらかされるとは思っておらず不審な目を向ける。
「だってさ探すんだから形状ぐらいは教えてあげるけど、効力とかは探す上では必要ないでしょう? ここで鑑定した品である以上、守秘義務ってやつが付きまとうんだよ。お客様の品の情報をそう簡単にベラベラと明かせないよ。ま、どうせなら見た目も含めて直接本人から訊いてごらんよ。名前は『ルネ・レコディア』、その秘密を知っている者からは『レコディアの魔女』と呼ばれているよ」
「魔女……ですか」
ごくり、と喉が鳴る。
本格的なファンタジーの要素に彩られた単語だ。
最悪、符術が一切通用しない可能性もある危険性を景保は考察した。
「勝手に周りがそう言ってるだけだから心配しなくていいよ」
「それもありますが、本人から訊けって言いますけど、貴族の接し方とか知らないんですけど」
「あぁ大丈夫大丈夫。昔と違って『無礼者! 手打ちにしてくれる!』って時代錯誤な人はいないから。それに儂の友人なんだからそういうところ緩いよ」
あなたの友人だというだけで不安だらけなんですが、と思いつつ景保は顎に指を当て思案する。
窃盗事件ということであれば、当然犯人を見つけたら抵抗もされるし軽い戦闘は予想できる。しかしそれよりも、そんな重要そうなアイテムを持っている人と縁が繋がる方が得かもしれないと損得勘定に心が傾いた。
この世界にやってきて衣食住が整ってから一番最初にしたのは、自分の安全を脅かす存在の調査だ。それは魔物と呼ばれるモンスターと、高位冒険者たち。
当然、自らの命に関わるかもしれないので、どのぐらいの脅威度なのかは最優先で知る必要があったのだ。
とは言え、それらについては早々にある程度は対処できると判断した。
しかしながら、まだ未確認のものがある。
それは『天恵』と『魔道具』だ。
どちらもそもそもの母数や伝聞の情報が少ないし、どれほどの力があるのか不明なことが多い。
天恵は有名どころだと雷を出すだとか、空を飛ぶとからしいが、そういうのよりも本当に厄介なのは表に出ない初見殺しのものだと景保は思っている。
知っていれば、例えば雷耐性の装備を準備するだとかやりようはある。一見しょぼそうに見えても要は使い方で、それが自分の防御力や耐性をどこまで抜けるのかが分かれ目となり、恐怖を感じるところだ。
だからどちらも情報を集めている最中。
魔道具については出土品しかないらしく庶民では手が出せないほどかなり高額なものばかり。出回ってる物は主に貴族か大商人、または組織単位で所有していて、日用品から殺人の用途まである。国が管理するような驚異的な能力がある物においてはさっきと同じく守秘義務で答えてくれなかった。それを知るために落ち目の魔術師ギルドにこのまま在籍するメリットはあると景保は思ってはいるが、つるつると氷のように口を滑らしそうなこのギルド長もそういったことは頑なだ。
けれどもしかしたら、その突飛な力がある強力そうな魔道具の片鱗が拝めるチャンスかもしれない。
そう思案すると、景保としては動かざるを得なかった。
「そんなすごいアイテム――じゃなくて魔道具をよく鑑定できましたね?」
「そりゃもうそれが仕事だからね。カゲヤス君も魔道具見つけてくるならお安く鑑定してあげるよ。でもその前に新しい奥さん見つけないとね。一人親だとタマちゃんが可哀想だよ。いやいっその事、儂の養子になってもいいか?」
「それは全力でお断りします」
「いやいやカゲヤス君、子供が小さいうちはできる限り早く母親を見つけた方がいいよ。その方が馴染みやすくなるからね。うん、でもすぐに選べないという気持ちも分かるよ。ならやっぱり僕の養子になるのも悪くないんじゃないか?」
立場がしっかりとした人物に身元を保証してもらえるのは異世界で暮らす上で良いことでも、こんなうるさい人の養子なんて御免こうむりたかった。
「とりあえず依頼に興味が出たので、話だけでも訊きに向かってみます。では失礼します。タマ行くよ」
『はーいなの!』
「タマちゃーん。今度は違うお菓子を用意しておくよー!」
話の方向性が嫌な方へズレ始めたのに気付いた景保は頬を引きつらせ遮るように答えて、逃げるようにそそくさと退室していった。
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