意識の奪い合い

内野あきたけ

final age

「全世界の中で意識を持っているのはこの自分だ!なぜなら自分にしか意識が無いからだ!」
 そしてついに、世界中に意識の奪い合いが広がってしまったのだ。
 あるところには、発狂する人が出た。
 またあるところには、犯罪を犯す人がいた。
 そしてあるとことでは、戦争の目的が「領土の奪い合い」とか「宗教の違い」とか「人種の違い」ではなくなり
「意識を持っているのは自分だ!」
 に移り変わっていた。
 皆、この世界には自分一人しかいないと思っているので、いつしか世の中の大半の人が仕事を辞め、学校を辞め、殺人のための戦争も止め、自分の好きな事に没頭するようになっていた。
 それはつまり、地面に寝転がるという事だった。
 その結果、人々は食料を得る事が出来なくて世界中が飢餓の状態へとなっていた。
 もちろん、この僕もそんな飢餓状態に陥っている。
 いや、「僕も」ではなく「僕だけが」と言ったほうが良いのかもしれない。
 飢餓は苦しい。だが、今の僕は苦しい事を苦しいと思わなくなっている。
 肉体的な感覚が苦しいと思っているだけで本当の心は楽しいと思っている。
 この感覚を皆が理解する必要は無い。
 なぜなら、全世界で意識を持っているのは自分ひとりだけだから、自分さえわかっていれば良い。
 だから、楽しい。
 次の瞬間、僕の魂に何かが迸った。
 いや、そういうことじゃない!
 僕が思っていた事は、全部間違えだった。
 僕は幼稚園のさくら組みという宇宙を超越した宇宙に立ち上がった。
 そして高志くんに向かってこう言った。
「高志くん、君には君の意識が確かにあるんだね」
「ああ、やっと気付いたか」
「じゃあ、僕はそれで良い」
 次に麗子ちゃんに向かってこう言った。
「麗子ちゃん、君には君の意識が確かにあるんだね」
「ええ、そうよ」
「じゃあ、僕はそれでいい」
 それから僕はこう続けた。
「意識は奪い合うものじゃない。それぞれに委ねるものなんだ。君たちに意識があることを、僕は知らない。でも君たちが本当に意識をもっているんだと思っているならそれで良いじゃないか!僕は君たちの意識を知らないけど、知っている。なぜなら君たちに意識があるから」
 それから僕は
【高志の魂と、僕の魂が繋がった。
 いや、詳しくは「繋がった」のではなく「同じだった」といったほうが良いのかもしれない。
 もしも仮に、他の人にも意識が存在するとしたら。全員が全員、自分の意識を持っているとしたら。
 人の痛みを僕は理解できない。でも、あたかも痛みが存在するように振舞う。
 いや、その人にとっては痛みが全てだからそれで良い。その人にとっては、痛みを感じているんだからそれで良い。
 その人の意識は、有るともいえるし、無いとも言える。
 相反する二つの事象が同時に存在するという事だ!
 これは矛盾だ!でも、正しい矛盾だ!
 僕は、いちばん近いものを言葉で表現できない。
 僕は、他人の意識があるって言う事を、知っているのに知らない。
 他の人から見れば、僕の意識は、有るともいえるし、無いとも言える!
 表現不可能こそが表現なのだ。
「他人の意識は他人に委ねる。だが、委ねているのは自分」という言葉を使ってしまったら、それは言葉が独り歩きしてしまう事にもなる。
 でも、誰かに理解してもらうという試練を僕は乗り越えなくてはいけない】
 と、言うような事を僕は0.0001秒くらい考えながら(正しくは感じながら)幼稚園の床という自分の意識の中、つまり文字どおりの全宇宙の中に立#()=(&$#!’=)’#!%&=%&’))($”!!%’(==)
……………………………………(表現不可能)
 そして僕は今までの僕に戻った。
 幼稚園生という呪いをかけられた僕に戻った。
「そして ぼくは みんなには みんなの いしき が あるということを いっしょけんめい つたえました がんばって がんばって たかし くんにも つたえました れいこ ちゃんにも つたえました なんでか わかりませんが ぼくの こころ と みんなの こころは ほんとは おんなじ ってことを いっしょけんめい おしえました だから いろんなひとに よくすると そのひとは うれしいきもちに なって ぼくは うれしいきもちに ならないけれど そのひとは うれしいんだから ぼくは それでいい ってことを おしえました そしたら やっと みんなが わかってくれました 
あたまで わかってくれたのではなくて こころで わかって くれたのです なんで こころで わかって くれたかって わかる
かというと あたまで わかっていても あたまで ひてい できる からです 」
 伝わった!と感じた瞬間に、僕は超越した時の中で幼稚園という表現不可能の宇宙に立っていた。
 自分の意識の外から溢れ出る得体の知れない表現不可能の愛は留まる事を知らなかった。
愛は、さくら組みの中から、幼稚園中に広がった。
 やがて、幼稚園から町内に、町内から日本中へと愛は広がった。
 そしてついに、世界中に愛が広がってしまったのだ。
 あるところには、感謝する人が出た。
 またあるところには、正義を行う人がいた。
 そしてあるとことでは、戦争の目的が「領土の奪い合い」とか「宗教の違い」とか「人種の違い」ではなくなり
「領土の捨て合い」とか「科学と全ての宗教の統合」とか「人種というものが本当は気にする必要のないものであるという事の教え合い」
 に移り変わっていた。


 頭で愛を理解している人は本当に愛を理解したうちに入らない。
 なぜなら、愛がいかに人間にとって馬鹿げているかという事を頭で考えられるからだ。
 しかし、愛は頭に存在しない。
 表現不可能に存在するからだ。
 結局のところ、愛が頭に存在しても、表現不可能に存在しても、どちらでも良い。
 その境界線がどちらでもいいのだとしたらどうせなら幸せになれるほうを選びたい。
 まだ、純粋な気持ちを保っていられる年長さんの僕は何時までたってもこの心を忘れたくない。
 いや、別に忘れたっていい。
 どっか、遠くに行ってしまっても、その心が「有る」という事実は永遠に消えない。
 大切なのはそれが有る事に気づくか気づかないかという問題である。


(永遠に表現不可能)



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