黒色のドレスを着た少女

内野あきたけ

黒色のドレスを着た少女

 


 死神というのは、果たして人の形をしているのだろうか。もしそうであるならば、それは美しい少女の姿であって欲しいと切に願う。


 『黒色のドレスを着た少女』


 うす暗い病院の、手術室の扉の目の前に少年は立っていた。そうして彼は「これは不法侵入かもしれないな」と思った。


 たった今、少年は特にこれといった理由もなく、何かに導かれるように、この廃れた病院に入ってしまっていたのである。医者も患者もいないこの廃病院は、とりわけ不気味である。




 電気は通っていないみたいで、辺りはゆっくりと沈んで行く陽の光で、うっすら照らされている。


 その場の空気は汚れていて、ジメジメとしていた。少年はこのように、まるで心霊スポットのような病院に、無意識のうちに入ってしまったのだ。


 けれども彼は、別にその事を気にしてはいなかった。不思議と彼には「怖い」という感覚が無かったのである。


 病院……彼にはこの場所が、なぜか幻想的な場所のように思えた。それは、生命の始まりであり終わりである空間ということ。加えて、この世とあの世を繋いでいる、ある種の霊感の扉のようなイメージがあるのだということ。




 しばらくして、夕日が完全に沈んだ。病院の中がより一層に暗くなった頃である。


 少年は病院の廊下のところに、一つの人影がある事を発見する。その人影は、楽しそうにゆらゆらと踊っている。やがてそれが、黒いドレスを着た少女であるという事に少年は気が付いた。彼は直感的に「ああ、ヒトでは無いな」と思った。




 それは少女が、地面から足を離して空中を、ゆらりゆらりと嬉しそうに踊っているので、少年は、恐怖というよりもむしろ興奮に近い感覚になったのである。


 生きている人間ではない。けれども断然、生きている人間よりも美しかった。


 そのまっ黒いフリルから伸ばしている白い太股の曲線と、淡い素肌は、生きた人間よりも艶めかしくて。白く微かな細い指先は、その一本一本が勿体ないくらい清らかなのだ。


 その姿を見た少年は、快楽物質であるエンドルフィンが大量に駆け巡るような感覚さえ覚えたのである。


 人では無いのに……だ。
 人では無い少女の、可憐なカラダの曲線をじっと見て、陶酔してしまったのである。本当に、完全に、完璧に心を奪われてしまったのである。


 その奇妙な現象を垣間見たかのように、少女はゆっくりと少年の方に近づいてきた。
 近づく時、仄かに甘いサルビアの花の香りがした。それと少し、香水の匂い。


 その少し興奮させるようなイイ匂いは、少女が近づくにつれて強くなる。そうして少女の顔の輪郭がハッキリとしてきた時、もう少年の目の前までやってきて、彼の命を奪おうとしている事を悟った。




 その事に、少年は微塵の恐怖も感じてはいなかった。むしろ少年の心にあった感情は、危険な快楽そのものである。




 死神というのは、果たして人の形をしているのだろうか。もしそうであるならば、それは美しい少女の姿であって欲しいと切に願う。




 あまりにも美しいその瞳の中で、その腕によって、徐々に生命を奪って欲しいとほんとうに願う。




 そのマゾヒズム的な強い願いが通じたのだろうか、はたまた、少年自身が日ごろから、この世界から離れたい願望のようなものに駆り立てられていたので、少年自身が、この可憐な少女を引き寄せてしまったのかもしれない。




「アナタ……ゴハンデキタワヨ」
 突然に、少女に話しかけられてしまった。その声は妙にシットリとしていて、ぎこちない安心のような感情にさせてくれる。
「……ご、はん」




 少年は上手く言葉がしゃべれなくなった。怖かったのではない。あまりにも美しいその眼差しを見て、微かな花の匂いと香水の匂いと、そして死の匂いに興奮していたからである。




 胸の高鳴りと興奮と陶酔のために足は震えて、体はぶるぶると震えて、口の中は乾いていいて、少女の黒いドレスと黒い瞳と圧倒的な存在の中で、自分の微かな命の気配が、彼女の内側に溶けて流れ出してしまいそうな感覚に陥った。




 アア、見つめられているんだな。
 この可愛いらしい、あまりにも可愛らしいこの少女の、その瞳は、僕の命を、欲しているのだな。と少年は感じた。しかもそれは生きた人間ではない異形の者。




 その感覚は、何にも増して気持ちが良いもので、快楽となって胸の内に入り込んだ。
「ご、ご飯って、何ですか」
「アナタ、が、ご飯なのよ。私の」
「ああ、そういう事でしたか」




 そう言ってから少年は、どきっとして目を丸くした。今もうすぐに、あと少ししたら、この清らかで艶めかしく妖艶な少女に……食べられてしまうのである。
「構いません。僕は、元々、この世界を呪っていたんです」
 と、少年はこの少女に向かってそう言った。




「どうして?」
 彼女は聞き返してくれた。ありえない程に無垢な瞳が少年を捉えて離さなかった。
「人間の世界は地獄なんです。いろいろ辛い事があるじゃないですか」
 少年は語った。


 少年は積もり積もったこの鬱積した呪いの為に、この少女を手に入れたい衝動に駆られ続けて、そうして黒いドレス着た少女という、ある種の救いを求めて、この廃れた病院に入ってしまったのである。




 そこで出会った者は彼が欲した至高の少女……異形の者だった。
 自身の快楽となり得るのは死のみで、もしそれが擬人化していたのなら、どうせなら美しい少女であって欲しいと切に願う。


 めくるめく現代の、酷い苦しみの中で、黒いドレス着た少女と共に在る事は、ある種の慰めであって欲しいと彼は、切実に思っていた。なのでその概念は彼の抽象的観念の中で美化され続けた。ほんとうに。そして、洗練されていた。


「ねえ。可愛い君。ゴハン、ココニイルヨ。僕ガ、君ノ、魂ノ、ご飯」


 少年の狂ったような声を聞いて、少女はいきなり、少年の事を押し倒した。
 少年を捉えるその華奢な腕は、暖かかった。血が通っているみたいだ。でも、彼女は人じゃない。死そのものである。少女の指先を感じる。少女の胸を感じる。太股を感じる。微かな死の匂いを感じる。少女の唇を感じる。少女の歯を感じる。痛みを感じる。快楽を感じる。


 突然の出来事だったので、少年は困惑した。
 さらに、とてつもなく興奮した。


 足はガタガタと震えだして、肩はぶるぶると震える。
 怖いのではない。


 この世の者では無い、とはいえ可憐な少女が自分と肌を重ねているのである。


 少年は混乱する。
 彼女に、触れてしまってもよいのだろうか、と。


 そのとき少年は、自分のお腹の中から青色と赤色の小さなビー玉がいくつか飛び出した事に気が付くいた。


 あれ、ビー玉なんて持っていなかったのにな。と彼は思った。でもたくさん弾け飛ぶ。小さな丸い粒の美しいビー玉が。ガラガラと転がる。床を埋める。その音が心地いい。
 ビー玉の次は、甘いオレンジジュースだった。それは少女の体から流れている。ダラダラと、黄色いオレンジジュースが流れて、床に水たまりを作っている。


 君が着ているその黒いドレス。もうオレンジジュースで汚れてしまっているから、洗濯をしなくちゃいけないのかなあ。と少年はこんな事を考えた。


「いいの。アナタと一緒に。ずっと一緒になれるから。永遠にずっと私と一緒だから。ねえ、それって気持ちいが良いんだよね。すっごく、気持ちが良いんだよね。私って救いなんだよね。アナタの、アナタが求めるもの。私も求める。ずっと」


 少女の瞳は、美しかった。
 少女の口から、一筋のオレンジジュースが流れ出た。


 その白色の素肌に、鮮明な黄色がツーと伝わる様子は幻想的で、床一面に広がった赤いビー玉の数々が少女の姿をより一層引き立てる。


 こうして、少年は目を閉じる。
 黒いドレスの、スカートの部分が、少年を包み込んで、真っ暗にして。
 それで、いつまでも、いつまでも永遠として、黒いドレスを着た少女だった。

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