田舎娘、マヤ・パラディール! 深淵を覗きこむ!

島倉大大主

第三章:その七 タルタロス:子供には厳しい国

「タルタロスは東西南北の代わりに、四方に特徴的な大きな建物が立っているんです。
 それぞれ、ギルマン・ハウス、ブラック・ロッジ、ヒルハウス、そして黒い教会と呼ばれています。今はどれもが、宿や店や住居がごちゃごちゃに入った建物になってます。
 我々が今進んでいるのはブラック・ロッジの下あたりです」

 数分前、マヤ達はレイの案内の元、真っ黒な建物に走り込んだ。
 中は見渡す限り、出店が並び、その隙間に幾つもの梯子が天井に伸びていた。
 レイは出店の一つの裏に入ると、二人を手招きした。見れば、またもマンホールがあり、すでにレイは梯子を下っている。続けて降りると、小さな通路があり、奥にはダイアナが待っていた。

 ダイアナは淡々と説明しながら通路を歩く。マヤは何度か話しかけたが、すべて無視された。
 数分後、ダイアナは足を止めた。
「……つきました。ここは、タルタロスの外れ。色々な場所から離れた所です。私は用がありますので、これで」
 ダイアナは壁にある小さな鉄の扉を指差すと、そのまま歩いて行ってしまった。しんがりのレイはジャンの股の下を潜って、マヤの脇をすり抜け、扉をごんごんと二度叩いた。それから弱く三度叩く。
 すると、鉄の扉がきしみながら内側に開き始めた。

「連れてきたよ、ロングデイさん! じゃ、俺はダイアナ追いかけるわ!」
 元気よくそう言うと、レイはマヤとジャンの背中を叩き、手をひらひらさせながら走り去った。
 マヤとジャンは顔を見合わせ、恐る恐る扉を潜る。
 驚くことに中は豪奢な部屋だった。
 床には様々な動物の毛皮が敷かれ、座り心地のよさそうなソファが大きな木のテーブルの周りに置かれている。青銅でできたランプスタンドが温かい光を投げかけ、ふんわりと焼き立てパンの良い香りが漂っていた。
 背後の物を除けば、ドアが二つある。一つは小さい木戸。もう一つは大きめの観音開きの鉄扉。鉄扉は開いており、奥に小さな部屋があるのがわかった。その壁には何かの化学式が書きなぐられていた。

「ようこそいらっしゃいました」
 細身で背の高い女が鉄扉の影から現れた。
 青い地味なデザインの服を身にまとい、きつい目をした中年の女性。髪を後ろでひっつめ、背筋をキッチリ伸ばし、鷹のように二人を見つめている。マヤは学校の鬼教師カーモディを思い起こして、我知らず姿勢を正した。

 後ろで扉が音を立てて閉まり始めた。と、目の端に何かを認め、マヤは振り返った。
 部屋の隅に少年が一人立っていた。そばかすの浮いた太った少年で、釣りズボンに腕まくりをしていた。
 鷹のような女性が、かすれた声を発した。
「私はロングデイです。グスターヴの妻で、医療棟に勤めております。そちらの子はアデルモです」
 アデルモは扉を閉め終わると、さっと二人の前に出て、スリッパを置いた。
「私はアデルモと言います。お嬢さん、お美しいですね」
 マヤは、その渋い声にギョッとして目を見張る。アデルモは、それを見てにやりと笑った。
「これ、アデルモ! ふざけているとお尻をぶちますよ」
「ははは、ごめんね二人とも!」
 少年らしい声に戻ったアデルモは、奥の木戸を開け出ていった。ロングデイはため息をつくと二人にソファを勧めた。
 マヤはロングデイに頭を下げながら座った。
「ど、どうもお世話になります。マヤ・パラディールと申します」
「マヤさんですね。お話は夫から伺っております」
 ジャンは髭を摘まむと、軽く会釈する。
「ジャン・ラプラスです。ヨハンに色々と世話になっております」
 ロングデイは顎を引き、ジャンの腹をしげしげと眺めた。
「……夫は、あなたを引き合いに出して、痩せようとしないのですよ」
 ジャンは目を瞬き、参ったなと頭を掻いた。
 マヤとロングデイが吹き出した。

「ジャンさんは、もっと痩せなくちゃねえ! しかし、さっきの子には吃驚しましたよ。すごく渋い声ですね」
「あの子は――生活費を稼ぐために偽名でショウに出ていましてね」
 ジャンが膝を打つ。
「ああ! ピエロのアディか! 聞いた事のある声だと思ったよ!」
「有名なの?」
 マヤの問いにロングデイが頷く。
「アデルモは子供っぽい外見で、あの渋い声を使い、下ネタでお客を笑わせるのです。儲けがいいので目を瞑ってますが、『親』としては心苦しいところです」
 ジャンが手をあげる。
「彼はあなたの実子では無いのでしょう? レイとダイアナもそうですよね? 
 あなたは、ああいう子達を何人も育てているのですか?」
「はい。公式には死んだことになっておりますので、私たち夫婦を中心としたグループで秘密裏に面倒を見ています。
 できる事なら……いつの日か、ちゃんと陸にあげたいものです」
 マヤが体を乗り出した。
「秘密にする理由は、やっぱり残酷大公ですか?」
 ロングデイは頷いた。
「『あの男』は子供とて容赦しません。
 子供三十二人を殺して生首を回廊に並べ、胴体を食用にせよと触れ回った事もあります。
 確か――『ソドムで飼いならす、豚の数は決まっている』と言っていましたか……」
 マヤは口をあんぐりとあけて固まった。
 
 殺すだけじゃ飽きたらず――首を切って? 胴体を食用?

 そ、そんな奴が――あたしの――父親!?

 固まったままのマヤの前で、ロングデイは静かに、それでいてきっぱりと言い切った。 

「私は、あの男を絶対に許しません」

 マヤは顔を紅潮させ、唸りながら立ち上がった。
「あ、あの野郎っ、なんて、なんて酷い、なんて、なんて――」
 怒りが、悔しさが、やるせなさが、マヤの中で渦巻いて爆発しそうだった。
 そんな酷い事が許されるわけがない!
 許されるわけがないんだ!
 あの野郎!

 あのクソ野郎!!!

 あたしも絶対に許さないぞ!!!!

 ジャンが静かに立ち上がり、マヤにまたハンカチを差し出していた。
「落ち着け。涙はともかく……鼻水が凄い」
 マヤはあれ? と顔を触る。
 びちゃびちゃだった。
「……あなたは、いい子ですね」
 真っ赤になってハンカチで顔を擦るマヤを見て、ロングデイは優しく微笑んだ。
 ジャンが肩を竦める。
「まあ、喧嘩っ早いのが玉に瑕なんですがね……ところで、待ち人が来たようですぞ」
 ロングデイは溜息をついた。
「……はい。まったく痩せろと言っているのに」
 マヤの耳にも、ふうふうという声と、床板がギシギシ鳴る音が聞こえた。
 やがて奥の木戸が開き、ヨハンセンが入ってきた。

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