No title_君なら何とタイトルをつけるか

天ノ

希望

噴水の水の音と小さな笑い声のする敷地に立つ東京国立図書館内は静かで落ち着く本の匂いが広がっていた。3階までたくさんの本が並んでいる広い空間は本好きには天国そのものだった。
「広いですね…」
「あぁ…それで?君の目的の人物は誰だ?」
「今は此処の司書をしているらしいんです」
「…僕も付き添うよ。本は読めないからね」
ヴェルザの脳裏には一瞬 青年がハイネに見えた。
「係員に尋ねましょうか…」
「そうだね」
本の整理をしていた女性にヴェルザは声をかけた。
「あ、あのぉ…」
「はい…?」
「此方の図書館の司書に用があるんですが…いらっしゃいますか?」
「あぁ、イグニスさんは今 昼休み中ですから3階の本棚にいらっしゃると思いますよ」
「…有難う御座います」
ヴェルザが長い階段を青年を支えながら上がると3階には全く人が居る気配がなかった。青年が疲れたのか椅子に腰掛けたがヴェルザは気にせずイグニスを探しに行った。前列の本棚から歩いてやっと1番奥の窓際席の椅子に座り1人で本を読んでいるイグニスを見つけた。
その姿は以前と変わってはいなかった。
「……イグニス?」
声に気付いたイグニスはヴェルザの方を向いた。驚いた様子を見せないイグニスは微笑んだ。
「久しぶりだな。ヴェルザ」
「…久しぶり。生きていたんだね…良かった」
「メコから昨夜 電話が来てな…ヴェルザが来る事は分かっていたよ」
「そうなんだ…あの、怪我 大丈夫?」
「3年も経ったんだ…すっかり治ったに決まってるだろ?」
「…そうだね。安心したよ…助からないと思っていたから」
「あはははは、心配させて悪かった…」
申し訳なさそうに笑うイグニスを見てヴェルザの重荷が1つ降りたのだった。
「…あの日サラ指揮官が弱っている私に「死んだら殺す」とか「許さない」とか脅してきたからね…怖くて死ねたもんじゃない」
「イグニス…指揮官の居場所もだけど団長の行方を知らない?」
「…知らないな。サラ指揮官なら知っているんじゃないか?」
「…?」
「サラ指揮官は団長に返しきれない恩があると言っていた…団長に関して無知な私達に比べれば何か1つくらいは知っているはずだ…」
「指揮官の居場所を知っている?…自分は必ず貴方達を招き戻すつもりなんだ。協力して欲しい」
「ヴェルザがそんなに熱くなるのを初めて見た…協力するぞ。私もまた皆と再会したいからな…」
その言葉にヴェルザは嬉しそうに微笑んだ。
「まず団長を見つけ出すためには指揮官の居場所を知る必要がある…」
「…んー、サラ指揮官は団長の次に謎だからな…名前すら本名なのかどうか…」
「……!?イグニス その本の小説家の人…」
イグニスの読んでいた本には「雲砅」と名前が書かれていた。
「雲砅…!!イグニスその本書いたのって…」
「いやいや、ヴェルザ。雲砅は確かにサラ指揮官の名前だが…本人かどうかは分からないぞ?それに…この本を書いたのは10年前 日本社会から謎の事件に巻き込まれて崩れ落ちた名家の生き残りだと言われている…そんな元名家の人物が軍人になるとは考えられないだろ」
「…だけど!指揮官が前に言っていた。「小説家になりたい」って…その本の内容ってどんなのなの?」
イグニスは言葉に困ったが本の内容を教えた。
「この本は主人公にとって大切な人物が消えて、その人物を死ぬまで探し続ける物語だ…これは2巻で…私は続編を楽しみにしているんだ…」
ヴェルザは俯いて頭を抱えた。グレイを主人公…大切な人物をハイネとすると関係性はある…と考えた。
「…イグニス。自分は少しの可能性でも掴んでみたい…雲砅という人物の居場所は知らない?」
「あぁ…確か、雲砅は青森に住んでいると聞いた事がある…」
「自分は青森に行く…会ってくる」
「…正気か!?」
「正気。雲砅に会って確かめてくる…その人が指揮官なのかそれとも違うのか」
「…もう好きにしろ。私も協力はするが…思っていた以上に大変そうだな……よし、1つ教えてやる。サラ指揮官の仮住まいらしい居場所を…此処からそこまで遠くはない…この住所だ」
イグニスはメモ用紙にグレイの仮住まいとみられる住所を書きヴェルザに差し出した。
「有難う…行ってくる」
「…気を付けろよ」

ヴェルザと青年の帰る姿を見つめるイグニスは手元の本を開き読み始めた。

「…会えたのか?」
「はい、会えました」
「良かったな…」
「はい…」
ヴェルザと青年はビルの聳え建つ街中の道を歩き1つの高層マンションの入口前に辿り着いた。
「着きました…」
「騒々しい所だな…」
フロントには警備員と受付人が居た。
「…あの、サラ・グレイさんの部屋へ入れて頂けますか?」
「本人の許可無く入る事は出来ません…」
「そ、そうですよね」
「ですが…グレイ様は前職が特殊だった事から時々 新聞記者やカメラマン 警察官が出入りするので特別に許可されていて開けてあるんです」
「てことは…」
「お部屋へご案内致します」
「あ、有難う御座います!」
ヴェルザと青年はマンションの最上階の角部屋へ案内された。部屋の中は空っぽだったが整理がされていた。
「…サラ・グレイさんはいつからこの部屋に戻ってきていないんですか?」
「確か…戦争が終わって3ヶ月後マンションを出たっきり一切姿を見ていませんね…此処の部屋の掃除はこのマンションの清掃員が行っているんですよ」
「どうりで綺麗なわけですね……本当に物がありませんね」
「えぇ…私はこれで失礼致します。この部屋は好きにしてください」
「…はい」
受付人は部屋を静かに出ていった。リビングの窓から見える夕焼けの街は綺麗だが寂しそうに感じた。
「今日はとりあえず部屋に泊まりましょうか…」
「…そうだね」
すっかり日が暮れて青年は隣室の空き部屋で休んでいた。
「君は優しすぎる…」
ヴェルザは1人リビングに倒れ窓から星空を眺め瞼を閉じた。



5年前
シングルマザーの母とイグニスの2人暮らしの家で育ったイグニスは高等部の途中から海上団へ入団し、その後良い功績を上げたイグニスは特別進級でハイネの補佐官となる予定だった。人生安定したと思った矢先に事は起きた。ハイネの補佐官として働く初日の朝 扉が叩かれた。
「…グレイです」
「入ってくれ」
「団長 何の御用件でしょうか?」
「実はグレイに渡したい者がいる」
「…者?とは…」 
首を傾げるグレイを見てハイネはイグニスを指差した。
「これ。要らないからグレイにあげるよ」
「…はぁ!?」
急な事に驚いたイグニスは思わず言葉を発した。
「…団長 本当に良いの?」
「あぁ良いよ。グレイの好きなように使いなさい…イグニスは今日からグレイの補佐官として務めるようにね」
ハイネは微笑みイグニスの背中を軽く押した。
「あ、あの…そんな急に言われても…」
「上官命令だよ?」
イグニスは黙ってグレイの補佐官になることを承諾した。何処か企み気に笑うグレイと初めて関わるイグニスは不気味に思いながらも渋々 それなりの仕事はした。…が、事務長の仕事で事務室に居ればグレイは何かしらの悪戯を仕掛けてきてイグニスだけではなく事務員全員に迷惑をかけていた。そんな悪巫山戯が多いグレイへの対応に疲れるイグニスを見て周囲は同情する事しかしなかった。
「…サラ指揮官!あれだけ報告書を溜めて置いてよく遊んでいられますね!?仕事をちゃんとしてください!」
「えー、嫌だよ。怠い」
グレイの唐変木な様子に怒る気にもなれないイグニスは我慢し続け2年後…完全に慣れた。グレイが事務室に大量の玩具の毛虫を置いてもイグニスは黙って事務員と片付けを始めるのだった。
「指揮官の悪戯は尽きませんね…」
「えぇ、そうですね」
「イグニスさんはもう慣れてる様子だし…私達も慣れてしまいましたよ」
女性事務員は困ったように微笑み片付けるのだった。そんな日常と化した様子の中 事務室の扉が勢い良く開いた。
「おっはよぉございます!!諸君!」
グレイは大きな声で登場した。
「…おはようございます」
渋々事務員は応えるのだった。
「サラ指揮官、今日は午後から会議があります。その後は例の件を片付けて終わりです」
イグニスは淡々と予定表を読みあげグレイを追い出すように事務室から押し出した。
「本当にイグニスはつまらないな…」
「私はそれで良いんです。お構いなく」
グレイは湿気た顔で去って行った。
昼休みになるとイグニスはハイネの部屋に訪ねた。
「団長、イグニスです」
「あー、入ってくれ」
ハイネは机に乗った大量の資料や規約書にサインをしていた。徹夜明けなのか目にはクマがあった。
「…何の用?」
「質問したい事があります」
ハイネは手を止めて背を伸ばし立ち上がった。
「僕は休憩するからその間に聞こう」
「有難う御座います」
珈琲を飲みながらハイネは椅子に座った。
「…で?質問ってのは?」
「サラ指揮官が今夜 片付ける事になっている件です。あの方とは2年の付き合いとなりましたが未だに私は何故 あの方の補佐官になったのかが理解出来ないのです」
「グレイの補佐官は嫌?」
「…嫌ではないです。けど対照的な者同士を何故 団長が引き合わせたのかが分からず…」
ハイネは飲み終わった珈琲カップを片手に考え込んだ。
「んー。一言で言うと…グレイの遊び相手としてイグニスを選んだんだ。グレイには少し特殊な所があってね…何と言うか…独占癖?みたいな。その癖は僕の影響で出た物なんだろうけど…」
「…独占癖?何かあったんですか?」
「まぁ色々とね…さぁ今夜の件だ。グレイには少し働いてもらうよ」

深夜となった基地で1人の男団員の荒々しい呼吸が静かに聞こえた。建物の影に隠れて目を瞑っているイグニスはグレイを待っていた。
グレイは男を追い掛け首を掴み地面に叩き倒した。
「や、やめてくれ…!」
「…裏切り者が何を言う?」
右手に持った拳銃を男の額に当てグレイは引き金を引いた。グレイの頬には返り血が付き 男の体は倒れたのだった。
「終わったよ」
「…お疲れ様です。この男 情報通り反逆者の1人でしたね…」
イグニスは初めて死体を見て顔色を悪くした。
「…イグニス。今日はもう帰って」
「で、ですが…!」
「帰れ」
低い声でイグニスを睨みつけたグレイからイグニスは避けるように去って行った。

昨夜の事が頭から離れないイグニスは初めて無断欠勤をしたのだった。2年前からの付き合いでもグレイの事は理解出来なかったイグニスは頭を抱えていた。グレイが稀に見せるあの目は普段の様子とは別人の者で団員達全員が触れない話の1つだった。
「…分からない」
混乱してきたイグニスはハイネの部屋に訪ねた。ハイネは昨日よりかは顔色は良くなっていた。
「グレイに関しては僕 教えたくないんだよなぁ…それに君 無断欠勤したんだからさ…」
「も、申し訳御座いません…」
「はぁ…」
呆れたようにハイネは溜息をついた。
「…僕の説明不足でもあったのかな。こちらこそ済まなかったね…お詫びとして事実を教えてあげよう」
「…」
「グレイは僕に救われた日から僕に対して変な守護心が出てね…昨日 グレイの様子を見ただろう?…そういう事だ…」
「団長に手を出す者は許さない…て事ですね。どうしたらあんな風に…」
「…グレイがそれをいつか打ち明けてくれるようになったらその時のイグニスは今みたいに悩んでいないだろう。君をグレイの補佐官として付かせたのは少しでもグレイが良い結果で変わる事を期待したからなんだ……」
「…そうだったんですか」
「あぁ、だから頼んだよ…?」
「……はい」
心做しか肩の荷が少し軽くなったイグニスは翌朝 グレイの所へ進んで向かった。9時を回った中庭の木陰で座り込み本を読んでいるグレイを見つけた。
「サラ指揮官 何をしているんですか?」
「……見ての通り 本を読んでいる」
「面白いですか?」
「…何なのさっきから?気持ち悪いよ」
グレイは本を閉じイグニスを睨み付けた。
「…私の事 怖くて逃げ出したんだろ?普通は戻って来ないだろ」
「怖かったです」
「…何で?君はあの時 私を拒絶したじゃないか…そんな君を私が近くに置くとでも?」
「それに関しては済みませんでした。私は…いつかサラ指揮官にとって信頼出来る人物になりたいんです。いや、ならなきゃ駄目なんです」
グレイは隠し持っていたナイフをイグニスの首に当てた。
「…怖かったです。けど、仕事ですから」
イグニスは笑い それを見たグレイはナイフを戻し本の角でイグニスの頬を1発殴った。
「偽善者か?」
グレイはそう言うと半腰で痛みがるイグニスの肩を握り耳元で呟いた。
「…信じてくれて有難う」
「え…?」
グレイの言葉に驚いたイグニスは前を向いた。だが、何処にもグレイの姿は無かった。
「…」
不思議と希望が湧いたイグニスは前へと進むのだった。

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