気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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「緊張していますか?大丈夫ですよ。灯りはずっと消さずにいますので。
 ああ、ブレスケアでしたよね。私にも分けて下さいませんか?」
 祐樹の言う緊張と、今の自分の緊張は多分質が異なる。ただ、その細かいニュアンスの違いを説明する自信はなかった。
「ああ、これは何粒で効くのだろうか?」
 ホテルの売店はあらゆる生活必需品を置かなければならないので、ブレスケアは一品しか置いてなかった。
 何の変哲もないミント味と香りなのはパッケージのイラストで分かったが、習慣で何となく買う――患者さんやそのご家族に説明する時とかには清潔な身だしなみをいつも心がけている。
 これが手術室の魔人とも怪人ともあだ名されている桜木先生だったらそこまで気は配らないだろう。
 あの先生は自分でも敵わないだろうな……と思わせる――といっても専門分野が全く異なるので、心臓ならともかく他の場所を切ることはない――素晴らしい手技を披露するが、悪性新生物科ガンの教授とは犬猿の仲だ。普通の場合は不定愁訴外来に呉先生が小さな城を構えたように科の中心からは外されていくのはまだ良い方で、系列の公立病院、しかも僻地へきちを「悪意を持って」選んだ赴任先に飛ばされるのがオチだ。それが出来ないのは教授よりも桜木先生の方が腕が確かで、かつ桜木先生は「手術が出来れば他のことはどうでも良い」と思っているからだ。
 確かに高度に細分化した現在の医療では、難しい症例は大学病院に集まってくる。だから辞められないと桜木先生は無精髭ぶしょうひげを抜きながら言っていた記憶がある。そして、「そこいらのクリニックに居ては手術すら出来ない」と不遜ふそんに笑ったのは、何だか祐樹と割と良く行くカウンター割烹のオーナー兼板長みたいだった。そういえば、あの人も知らない人がいないくらいの料亭で総板長として働いていたという前歴が有るらしい。
「これですか?3粒で大丈夫って書いていますが、念のために6粒下さい。
 薬じゃないので二倍でも大丈夫ですよね?」
 祐樹は――多分、リラックスさせようとの意図らしいが――真顔で聞いてきた。と言ってもクラブフロアラウンジで浮かべていた「凄惨な事故現場の跡を眺める」風な深刻さと暗さが無かったことが救いだ。
「医薬品でもないので大丈夫だろう?トクホですらないし……」
 薬の場合は「オーバードーズ」といって危険度はある意味麻薬と同じ症状が悪化することも有るが、そうでないモノは――例えは悪いかも知らないが焼きティラミスを倍食べてもお腹がいっぱいになるだけで、実害はない。まあ、食べ過ぎは良くないのは知っているが。
 すると。

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