気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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「もちろんだ。祐樹がタバコを吸っているのを見ているの『も』好きなので」
 務めて明るい声を出そうと努力して――成功しているかどうかは自分でも心許なかったものの――いつの間にか冷蔵庫の上に常備されている灰皿を取って手渡した。
「有難うございます」
 皿洗い器に食器を入れ終わった祐樹は、キッチンのテーブルに座ってポケットに入れていたタバコとライターを取り出している。
「こちらではなくて、リビングでコーヒーとタバコを楽しまないか?」
 別にキッチンでも構わなかったが、どうせなら――せっかく、祐樹の居ないことが多い日に居てくれる「特別」な日に――祐樹の体に凭れ掛かっていたいような気がした。
 キッチンで向かい合っていると、祐樹の視線が深く開いた襟ぐりとか首筋、そして顔まで見てくれるのはとても嬉しいものの、少しでも曇った表情を見せてしまうと祐樹の心の傷をさらに抉ってしまう可能性もあったので、
 「事件」の前は、平常の顔だと祐樹が認識する程度の「少し疲れた表情」だったとしても――体力も人並み以上有ると祐樹も認めてくれている自分だし、手術自体は慣れているとはいえ、やはり患者様の命に係わる仕事をしている以上、精神力も体力も当然使っている、だからその日の手術の難易度が高ければそれなりに疲れることも当然有った――それほど気に留めないどころか労わってくれていた。
 助手として手術室に居るのだから、自分の手技は当然見ているので「今日の午後の手術は大変だったでしょう」などと言われたことも多々あった。
 それが、事件以後はそういう言葉もなくなった。
 多分祐樹は「いや、手術ではなくて、事件のことを思い出してしまって」とかいうような言葉を自分が言うことを内心恐れているのだろうな……と勝手に推測しているが、多分それが当たりだろうと内心思っている。
 だから、マイナスの表情めいたものは祐樹の前では絶対に見せられない。そういう点では向かい合っているよりも、祐樹の胸に背中を預けた方が絶対に良い。
「そうですね。そうしましょうか?」
 ただ、祐樹が既にタバコに火を点けていたので、一本吸うのを待とうと思った。
 以前は沈黙がそれほど恐怖ではなかったが――そもそも祐樹が何かしらの話題を提供してくれていたし――今はその沈黙が祐樹の心の傷の深さを表現しているようでとても怖い。
「マツタケは、今年の暑さは生育環境的にちょうど良かったらしくて味も香りも最高らしい。
 だから今年はぜひ食べるべきだとコメンテーターが言っていた。
 いつ食べに行く?」
 我ながらそんな話題しか出ないのが情けない。
 すると。

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