気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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 呉先生はスミレ色よりも蒼褪めた、そして花が萎む感じのため息を零した。
「しかし、その場所もお金さえ支払えば誰でも入れるということですよね?
 元研修医はお二人のデートを尾行して――お財布にお金がたくさん有ったのはもうご存知ですよね――ホテルを特定したらしいです。
 そして、そのラウンジにずっと座ってお二人を待ち続けたらしいですよ。
 ああいう高級ホテル、しかも『特別な階に有るラウンジ』って滞在客が一人の場合で、しかもそのゲストが暇そうにしているとか手持無沙汰な感じを漂わせている場合、さり気なく話しかけるような教育が行われているようですよね」
 大阪のリッツは祐樹と二人で居ることが圧倒的なので――独りきりになるのは祐樹がお手洗いに行った時くらいだ――スタッフが近付いて来ても「飲み物のお代わりは如何ですか」程度しか話しかけられたことはない。
 しかし、呉先生と知り合う前に国際公開手術に赴いたベルリンのリッツでは――最終的に祐樹が休暇をもぎ取って来てくれたが――当然一人で食事を摂っていたので、英語が出来るスタッフがさり気なく話しかけて来て、他愛ない会話をしてくれた。国際公開手術という成功すれば外科医の天国、失敗すれば地獄とも言われているステージに術者として立つプレッシャーを束の間忘れさせてくれて有り難かったと今でも思う。もちろん、祐樹が来てくれたことの方が天にも昇るほど嬉しかったのは言うまでもないが。
「はい。ゲストが退屈しないようにそういう配慮は行われていますね……」
 呉先生は細い眉を顰めていた。そして、毒を吐くような感じで唇を開く。
「そういうスタッフも居たらしいですが、邪険というか取りつく島のない感じで会話を一方的に遮断した上に、ずっとラウンジに座っていたらしいです。
 しかも宙の一点をずっと見つめるという――まあ、精神疾患患者さんには有り勝ちな態度ですが――普通の人だと不気味に思うような感じで。
 ただ、お金を支払っているのでホテルにとってお客様の一人であることは間違いありませんし、他のゲストに迷惑を掛けることも――少なくとも物理的には――ないので。
 それにそこは別に時間制限も設けていないようですよね?
 ですから、ラウンジの終了時間まで座り続けて、朝はラウンジが開く時間ジャストに来てずっと座っていたらしいです」
 え?と思った。
 ただ。

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