気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

58

 どこか痛そうな眼差しが、却って裕樹の精神の奥に無理やり封じ込んでいる心の傷を表しているかのようで、そちらの方こそ心がより痛かった。だだ、その思いを表情に出してしまうと裕樹がこれ以上傷付くことにならないかと思ってしまったのも事実だった。実力に裏打ちされた祐樹の矜持の高さも自分を惹き付けて止まないものの一つだったが、そのプライドの高さゆえに言い出せないことも有ることは自分だって分かる。
 自分には手技しかプライドが持てるものはなかったので同類項として括っても良いかどうか自信はないものの、自分の手技ですら救えなかった患者さんを他の医師が易々と完治させてしまったら――現実的には有り得ない、あくまで例え話だ――己の修練不足を恥じて深く落ち込むだろうし、その後その医師に教えを乞いに行くと思う。ただ、それは極度に単純化した考えなので、祐樹が直面している精神的外傷には当てはまらないことが多いが、想像は出来る。
 病院の門を潜ると正面エントランスの病院長公用車専用スペースと思しき場所に音も振動もなく車が停まった。
 祐樹の指が、よりいっそう力を増して自分の指を握ったかと思うとそっと離された。
 病院に着くと――何しろ自分にとってかけがえの無い存在の裕樹と、そして自分が知る限り最も信頼出来る精神科医の呉先生に二日間は繭のように守って貰えたせいもあったし、マンションと呉先生のご町内ではあったものの何だか別世界に旅行したような感じすら抱いたせいもあって――何だか「帰って来た」という不思議な感慨すら覚えた。
 まあ、普段は職員専用の出入り口からしか出入りしていないということも有ったが。
「大丈夫です。何があろうと、私が全力でサポートしますから」
 祐樹が真剣極まりない、そして揺るぎのない眼差しで自分を見てくれていた、力付けるように。
「ああ、それは信頼している。祐樹のことはこれまでも、そしてこれからも」
 車のドアを開けるために運転手さんが社外へと出る。繋いだ指の感触を忘れないでいるために、もう一度強く絡めてから手を離した。
 幸いなことに手は震えていない。
 病院に入って――といってもまだ一般診療の時間前だが――廊下を歩む。病院独特の雰囲気の廊下を歩んでいると、いつになく緊張したような動揺してそうな医療従事者の姿が目についた。
 病院内では裕樹も若干の距離を開けて後ろを歩むのが通例になっている。肩を並べて歩みたい気持ちはあったものの、そんなことをすれば旧弊さの残る大学病院の誰かが絶対に何かを言うハズなので煩わしさを避けるために仕方のないことだったが。
 病院長が箝口令を敷いたという件は祐樹から聞いていたものの、こういうことは完全に隠し切れるものでもないことも知っている。詳しくは知らないものの「何か有ったのだな」と皆が思っているのだろう。
「では、手術控室で」
 そう言って祐樹と別れた。

 幸いなことに手の震えは治まっている。祈る気持ちで自分の指を見た。

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