気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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 祐樹の全存在――しかも祐樹だって心の底に確実に自分より深い傷を負っていることは言動の端々で分かってしまったものの、それを必死に押し隠しているのは紛れもなく先に手の震えを治さなければという使命感と事件を未然に防げなかった罪悪感からだろう――その存在自体と呉先生が的確かつ親身な治療のお蔭で日曜日の夜には、自分でも精神の活力もかなり充電されていることを自覚出来るほどになった。
 手の震えは――100%確実ではないものの――明日手術室に入れば何とかなるのではないかとの明るく前向きな気持ちが勝っていた。
 手技の前は――患者さんの生命を託されているのだからむしろ当たり前なのだが――いつだってそれなりに緊張するし、そんなことを考えたならばアメリカ時代に初執刀した時には生まれてきて初めての重大なプレッシャーで押しつぶされそうになっていた。
 当時は、外界全てについて何だかガラスの壁でも有るような感覚で生きていた。
 だからこそ初執刀も乗り切れたような気がする、あくまでも今にして思えばだが。
 祐樹と再会してから、徐々にその精神的なガラスの壁が崩れていって――それはそれで喜ばしい変化だろうが――多分「普通の」人が外界に接している時の状態になって行ったような気がする。
 夜になって、事後処理に多忙を極めているハズの森技官がマンションに来てくれたのは正直意外だった。
 そして、割と公私混同をしがちとか、公権力や国会議員とか省庁の「権威」を自らの武器として「私的」に流用しがちな人だろうと勝手に思い込んでいたことが全てではないものの、殆んどは誤解に基づくものであることを初めて認識出来た。
 警察の権威を守るために、ただそれだけの理由で既に身柄は確保済みの井藤研修医の捜査に国税が支払われるのを阻止しに島田警視正に直談判をした帰りだったらしいが。
 税金も――当然自分も大学病院からの給与所得よりも資産運用益の方が多いので確定申告の度ごとに内心ため息をつきながら支払っている。
 さほど金銭欲もないと自己分析している自分ですら「国民の義務だから仕方ない」と理性で割り切らなければならないのは、自分で稼いだお金だからだろう。資産運用についてはプロ任せではあったものの、その原資は緊張とストレスに全神経と体力を晒して手技で稼いだお金だ。
 自分の財布からの出費には誰だって神経質になるだろうし、その使い道はしっかりとして貰わなければ困ると自分ですら思うのだから、国民のほぼ全てが考えているだろう。
 ただ、政治家とか官庁の人間は「他人のお財布」の分配をしているのではないかと密かに思っていた。
 省庁とか国のメンツと国民の税金ならば、前者を躊躇なく選ぶのが官僚なのではないかと漠然と思い込んでいたが、森技官は異なっていたようでその「健全さ」とか「正義感」や選良としての矜持を目の当たりにして、正直見直した。
 そして。

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