気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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 自分達に――というか呉先生の顔パスが効いたのだろうが――用意されていた和室は畳の清々しい香りと蚊取り線香の物凄く郷愁をそそる香りが混じっていた。
 京都の街は――特にマンションではなくて戸建とかお寺など――余所から来た人が驚くくらいに蚊が多い。
 だから蚊取り線香とか虫よけグッツは必需品だ。
 ただ、蚊取り線香の香りを嗅ぐと幼い頃に戻ったような懐かしい気持ちになる。
「スイカのタネの飛ばし合いをしませんか?」
 ホテルのスイートルームに日本間を意識して畳を敷いているとか、温泉旅館のように――といっても道後温泉しか知らないが――畳敷きだが香りもなくて、そしてどこかモダンな感じにアレンジした感じではなくて、生活に密着した畳、しかも青々とした香りまで漂わせている点がとても寛いだ気分にもなったし、二つの香りが調和した感じで心までが落ち着いて行く。
 何だか――といっても自分は行っていないが――公立高校の予算が限られた修学旅行で温泉宿に来たような気分になってしまう。
 指もあれから全く震えていないし、今日一日だけでこんなに効果が有ったのだから――といっても病院、そして手術室に入ってしまうとどうなるのかは自分でも分からない――呉先生のプランニングは最高の効果を上げていると思ってしまう。
 専門医としての確かな知識と、自分の性格を祐樹の次くらいに知悉している人なので。
「このスイカ……。美味しいのはもちろんですが、皮の部分が厚いですよね。御漬け物にするのに丁度良いので……。もしこちらのご家庭でぬか漬けにするのではなくて捨ててしまうのなら頂けませんか?」
 今日一日の心地よい疲れとか懐かしい香りのせいで安らいだ心に浮かんだ言葉をついつい口に出してしまった。
 京都でははっきりと口に出して物を強請るということはタブーだということも知っていたにも関わらず。
 やんわりと婉曲に頼んだり、断ったりするのが――自分もこんなお屋敷街ではないが京都の街育ちなので知ってはいた――暗黙の了解なのだと今更ながら思っても口から出た言葉は取り返しがつかない。
 呉先生が心の底から驚いたような表情を浮かべていた。
 これが、一回も家に招いたこともなければ、プライベートな話をしていない例えば久米先生は――病院には良く居る実家もお父様がクリニック経営、お母様は専業主婦で家事は全て完璧にこなす人が居るというご家庭の場合――自分が自炊していることとか、料理も好きだし得意だというのは意外に思われても仕方ない面も有る。だからもし彼がここに居たらこういう反応もごく自然だと考えられるが、呉先生の場合は冷蔵庫の中も見ているし、以前不定愁訴外来に頂き物の「活き伊勢海老」を持ったまま寄ったこともあるので何故ここまで驚かれるのか分からなかった。
「ああ、良いですね。浅漬けのシャリっとしたのもとても美味ですし、古漬けのスイカの皮に刻んだ生姜を混ぜて頂くのもとても美味しいので」
 祐樹もどこかホッとした感じの口調だった。
 何故なのだろう。

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