気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

42

 祐樹の心の奥に秘めた鬱屈が束の間晴れた感じの笑みを受けた。タバコは百害あって一利なしと良く言われるし、それはほぼ事実なのだがニコチンの鎮静作用だけは別だ。
 多分、祐樹の体内では精神安定剤として強く作用しているのだろう。
 遣る瀬無い思いを紫煙と共に吐き出すことで束の間の安息が訪れるならば、それはそれで嬉しいことだった。
「すっげー分かりやすい!旅人算がこんなにすらすら解けるようになったんや!!家庭教師の先生よかずっと良いやん!!」
 その素朴かつ素直な言葉に癒される。
「『旅人算』て何……?」
 繋ぎ言葉、つまり接続詞の説明を聞いていた由美ちゃんが興味津々といった感じで覗いて来る。
「ええ?『1キロメートル先を毎分30メートルの早さで歩いているお兄さんを、弟が毎分70メートルの速さで追いかけます。弟がお兄さんに追いつくのは弟が出発して何分後ですか』って……弟が転んだり、お兄さんが近所の小母さんに呼び止められたりしたらどうなんの?」
 由美ちゃんが無邪気な感じで首を傾げた。多分、この子は想像力に溢れているのだろう。
「そういうことが全然ないというのが、こういう問題の『お約束』なのです。
 えっと、お約束……『ハリー・ポッタ○』は観たり読んだりしたことは有りますか?」
 旅人算の標準問題を楽々クリアして、発展問題へと自発的に取り組んでいる様子を見ながら――この男の子がどこの中学を志望しているか知らないが、理系のセンスも有りそうだな……と素人ながら感想を抱いてしまった――「約束」の説明を出来るだけ噛み砕いて説明しようと試みた。
「うん!映画観て、ついでにご本も読んだで?」
 由美ちゃんは瞳をキラキラさせている。残暑の陽射しよりも生気に溢れるその雰囲気が自分や祐樹にも伝染すれば良いなと思いつつ。
「私も観ましたが」
 由美ちゃんは心の底から驚いたような感じでつぶらな瞳をより真ん丸にした。
「大学病院の偉い先生でもそんなん観るんや!!知らんかった!!」
 どうやら根本的かつ麗しい誤解というか幻想を抱かれているらしい。
「観ますよ……。映画館には行けませんが、テレビで放映されているのは。
 あの映画では魔法学校が舞台ですよね。つまり、魔法を使える世界という『お約束』が有るのです。――由美ちゃんは魔法、使えないでしょう。
 さて、ここで問題です。今私が言葉を切った部分にどういうつなぎ言葉を入れれば良いでしょうか?」
 由美ちゃんが難しい表情を浮かべた。ただ、物凄く楽しそうな感じではあったが。
 多分、二つの「問題」を提示されたと思っているのだろうなと思って、己の発問の仕方に瑕疵が有ったことを内心で悔やんでしまったが。
「魔法、使えたら良いって思うんやけど、ママは『それはお話の中しかない』って言うんや!
 ああ、そういう決まりが『約束』ってことかぁ。そっかぁ、いっこ賢くなった気分。
 ――の中には『けれども』とか『しかし』かな……?」
 プルンとした唇がとても可愛らしかった。
「そうです。これでつなぎ言葉も由美ちゃんの味方になりましたね」
 祐樹と呉先生が感心したような表情で自分を見ている。
「貴方がそんなに教え上手とは存じませんでした。
 隠れた才能ですね……。色々な才能が有るとは知っていましたが、まさかここでもそんな才能を開花されるとは……」
 呉先生も完全同意といった感じで大きく頷いている。
 そんなたいそうなモノではないような気もしたが、祐樹に褒められるのはとても嬉しい。
 沈んでしまいがちな心が浮上していく。そして、先程まで震えていた指が完全に治まっていることもとても嬉しかった。

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