気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

23

 祐樹の指で支えて貰わないと、震える指――この指の状態は見たり気に病んだりすると余計に悪化することも知識として知っていた。
 現状では非常に実現困難だが、意識せずに、というか指に注意を払わないで「普通」に日常生活を送ると快方への近道で、そのことは元精神科の呉先生が一番良く知っているだろう。
 そして自宅のマンションに居るとどうしても意識が震える指に――自分にとっても、そして祐樹の深い心の傷にも――向かってしまう。
 呉先生が提示してくれたスーパーでの買い物は格好の気分転換にもなるし、お日様の光りを直接浴びることで、精神的にも解放感が生まれることも呉先生的に狙っているのだろうなと思った。
 卵を割ってしまったことは呉先生の料理のスキル上の問題だろうが、それを口実に使って外出を促す口実に使ってくれたのは、流石に「あの」森技官の恋人として仲睦まじく生活しているせいも加わって更に機転が利くようになっていったのだろう。
 夫婦仲が良い人は性格とか考え方が似るというレポートを読んだことがある。
 呉先生も森技官と暮らしているので、自然と似てきたのだろう。
 月曜日には、この震えを完全に除去しないと手術は不可能だ。
 今頃、黒木准教授を始めとする医局の中核の部下達も頭を抱えているに違いない。その件についても罪悪感を覚えてしまう。
 ただ、患者さんと対峙する時には、こんな手の震えが僅かでも残っていたら無理なので、手術延期をお願いするしかないだろう。
 しかし、それは個人的に避けたい事態だった。
 何とかしてこの手が元に戻りますようにと、祐樹の手を敬虔なキリスト教信者が十字架を握り締めるような思いで縋っていた。
 祐樹と一緒ならば、悪いことは絶対に起きない。
 今までがそうだったし、これからもきっとそうに違いないという信仰めいた確信が有る。
 医学的な根拠ではなくて、ただの思い込みだと自分でも思うものの「イワシの頭も信心から」というコトワザも存在するし、少なくとも祐樹の存在はイワシどころか自分にとって太陽だ。
 だから、祐樹の――心の深いところで自責の念に駆られているのは重々承知している――ためにも手の震えは治さないと、祐樹が更に追い詰められることも分かっていた。
 自分だけの問題ではない。
 そう思うと、尚更早く治さなければならないと思った、自信はなかったが。
 そうでないと、精神的にも共倒れになってしまうような気もした。
 自分の手の震えという外科医にとっては致命的な症状が治まらないと、祐樹はますます己を責めるだろうし、手技しか取り柄のない自分も職務上生きる価値が無くなってしまう。プライベートでは、祐樹との愛が有ればそれだけで充分過ぎるほど幸せだった。
 ただ、祐樹と二人で築いていくこれからの人生に仕事も加わって欲しい。仕事か祐樹の二択だと迷わず祐樹を取るが、今の「ワガママ」な自分は二つとも欲しがってしまっているのも事実だった。

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