気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

10

 指の震えが止まらない。
 自分に誇れるものは、職場では手技の冴えだけで。
 それに、いくら精神疾患を持っている人間の発言を真に受けてはならないということは頭では理解していた。
 しかし、不感症と言われたことについて、自分は祐樹以外に――アメリカ時代に祐樹とは一生会えないと思っていた時に――たった一人しか経験がなかった。そしてその時の行為の時は何だか他人事のような感じで淡々と身を任せていた記憶が有る。
 終わった時も「こんなものか……」と冷めた感想しか抱かなかった。
 だから不感症という言葉が当たっているような気もしてきた。
 祐樹の愛情は全く疑ってはいないのも事実だったが、密かに不満を持たれているのかも知れないと思うと深い井戸の中を覗き込んだような絶望的な気分になった。
 メスで斬り付けられた傷の痛みや力任せに突かれた場所の疼痛という肉体的なモノではなくて、精神が裂けてしまったような激痛の方がより強い。
 それに祐樹の自責の念に苛まれている感じの表情も、祐樹的に必死に押し隠しているのだろうが、それでも分かってしまう、誰よりも祐樹を見てきた自分には分かった。
 そしてあの男の凶行を許してしまったという「最悪な結果」に祐樹自身の精神が傷付いていることも。
 ――本当に自分は不感症で、祐樹はそれに無理やり付き合ってくれているのだろうか――
 森技官の友達のベンツに乗って、色々なことを考えると更に深くて暗い井戸に墜ちていくような絶望感で指の震えと共に思いっきり叫び出したくなる。
 必死にそれだけは自粛していたが。
 祐樹をこれ以上悲しませたくなくて。
 マンションの前で呉先生の顔を見た時には、何だか一抹の光明を見出したような気がした。
 肉体もだが、精神も悲痛な悲鳴を上げている今の状況を救ってくれる人は呉先生しか居ないような気がした。
 そして、祐樹の精神的ダメージを回復させてくれる人も。
 メスで切られた傷が――といっても腱に当てられた時の絶望的な思いは手を震わせるに充分過ぎる恐怖感と絶望感で今もフラッシュバックが起こっていて、祐樹に握られた指が更に震えてしまっている――軽症なのは自分でも分かっていた。
 マンションの部屋に三人で入ると、少しは落ち着いたような気がする。
 ただ。

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