気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

 自分の記憶が確かならば脳外科の研修医にマンションの前で待ち伏せをされて――スタンガンで昏倒させられた北教授は大丈夫なのだろうか?殺傷能力はないとはいえ、高電圧を数秒とはいえ体に流すのだから心臓が弱い人などは影響が出る。北教授は心疾患を持っていないことは知っていた。病院の健康診断で問題が有れば内科の内田教授や自分に当然報告が上がってくる――高速道路をあり得ない速さで走行中の車の中でそんなことを考えてしまったのは現実逃避に似た精神の防御機能だろう。
 ただ、自分を見る眼付きは明らかに――狂気を宿していることも相俟って――劣情も含んでいたことくらいは自分でも分かった。ただ、それだけではないことも一目瞭然だった。
 なるべく逆らわずに時間を稼ぐというのが一番良いだろう。精神疾患に正論は通じないし、多分この男には何を言っても無駄だろう。専門外だが、話すとより状況が悪くなることは火を見るよりも明らかだった。
 祐樹が贈ってくれたネクタイピンを落としてしまったのは痛恨の極みだったが。
 そういえばタイピンといい、付箋紙に書かれた愛の言葉――それ自体は大変嬉しかったが――今思うと不自然な点が有った。
 祐樹から付箋紙を貰うのは二回目で、一回目は研修医時代の祐樹にいきなり自分が執務室に呼び出して携帯の電話番号を書いて欲しいと唐突に言い出したのだから手持ちの紙がそれしかなかったのは充分理解出来る。それに恋人同士になる前の話だった。
 ただ、今は祐樹だって自分に渡す紙くらいは事前に用意出来るハズで――といっても祐樹の告白は言葉でなされることが多いし、プレゼント付きというのが定番だった――だとすれば、何か別の意図が有ってのことかも知れない、というかそれしか考えられない。
 胸ポケットの奥深くに大切に仕舞ってある名刺入れに二枚の付箋紙は今でも入っている。
 もしかしたら祐樹は二枚目の付箋紙に「もう一つの」意味を持たせているのかもしれない。
 だとすれば自分の居場所は容易に分かるハズだった。その可能性に賭けるしかない。
 森技官も今思えば不自然な感じで病院内に潜入している。それも考え合わせれば自分が出来ることは時間稼ぎしかないだろう。
 どれだけ耐えられるかは分からないし、それに劣情と、多分嫉妬の感情でおかしくなった頭の持ち主が狙ってくるのは――祐樹にしか許していない場所への――蹂躙だろうか。
 祐樹も普段は目立たないところにしか情痕の紅い花を残さない。それが今は身体のあちこちに散っている。これもハンドルを握っている人間への牽制策だった可能性が極めて高い。
 だったら、それを利用して何とか時間稼ぎをしようと必死に頭を巡らせた。
 しかし。

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