獲物

蜘蛛星

てぃーねいじゃーず

  幼い頃、大人と同じことをしたがった。
大きなお皿を使いたかったし、助手席に乗りたかった。眼鏡をかけたかった。
  それから、生理になりたかった。
諦めがついたのは、歯磨き粉が辛かったから。
すすぐたびに口の中がヒリヒリして、痛くて痛くて泣いていた。
もう二度と歯磨き粉なんて使うかと決めた次の日、私はアンパンマンマークの歯磨き粉を使うのだった。


  家を出る日のために、たくさんのものを処分した。
例えば折り紙、手紙、おもちゃ、教科書、誕生日プレゼント、その他色々。
  どうして今まで取っていたのかというものから、煮え切りはしないが残しておいてもどうしようもないものまで、全てだ。
  ひとつひとつ、ゴミ袋に詰めるたびに、心になにかが引っかかる気がした。
  それを気にしていたら終わらない。私はそのまま淡々と作業をこなした。
アルバムや本を整理すると、いつも必ず手が止まる。読み漁った末に後悔するのだ。キリのいいところでなるべく切り上げ、また同じ業務を繰り返す。
  機械的作業のそこには、きちんと感情が備わっているから面倒だ。

幼い頃、おもちゃには命が宿ってると思っていた。
米粒には千人の神様がいると思っていたし、猫は夜二足歩行で踊ると思っていた。
それから、
それから私は、物語の主人公になれると思っていた。


  幼馴染に会ってきた。親友とも友人とも他人とも言い難い不器用な関係。
いつものように片手を上げて挨拶をする。一年ぶりに会うはずなのに、まるで昨日も会っていたような、不自然な自然感があった。
  それぞれ近況を報告し、卒業式についてずいぶんと話が盛り上がった頃、私はポツポツと心境を交える。
  卒業式のない私の高校は、なんとも卒業の実感がなかった。早く大人になりたい。でもやっぱりなりたくない。私はそんな話をつらつら並べている。

「ピアスを開けよう。」
彼女がそう言った。唐突で、やけに重みがある言葉だった。
  私の運転する車で隣町に行く。薬局は私の街になかった。終始嬉しそうな幼馴染と、若葉マークでビクビクしてる私。窓を開けると、まだ少し冷たい風が心地よかった。

  ピアッサーを選び、レジを通す。ただそれだけで、なんだか悪い事をしている気がした。私はもう学生じゃないんだと言い聞かせ、そのまま自動ドアに向かった。
  ふと、歯磨き粉が目に入る。昨日なんとなく思い出していたことと連鎖して、少しだけ泣きたくなった。

昼に寿司を食べた。幼馴染のご指名だ。
「大人ってなんだろね。」
彼女はサーモンを食べながらもごもごと話す。私は飲み込むことを促し、つかの間大人について考えることにした。
「私は、なんでもできることだと思うな。」
職人から手渡される寿司皿は、玉子やサーモンやかっぱ巻きなんて、子供っぽいものばかりになっている。
「でもさ、うちら寿司自分の給料で食べてるんだよ?立派な大人だと思うけどなぁ。」
「そうかな。」
「そうだよ。」
マグロを食べた幼馴染は、まるでリスのように頬を膨らます。顔全体でその美味しさを表現していた。


歌を歌いながら帰った。幼馴染の家に帰った。そのまま彼女の部屋までお邪魔して、ピアスを開けることにした。

  耳たぶを十分に冷やして、印をつけて、互いに向かい合うようにして開けることにした。どっちが先かなんて小突き合って、これが私の求めた青春じゃないかと心苦しくなる。
  じゃんけんの末、私が幼馴染に開けることになった。

  けろっとした顔で今度は幼馴染が私の耳にピアッサーをセットする。感想も何も言わない。私が痛いかどうかと騒ぎ立てると、彼女は吹き出して、ズレるから笑わせないでなんて言ってくる。
  目を閉じるのも馬鹿らしくて、なんとなく彼女の顔を眺めてた。そして、合図もカウントダウンもなく、それは唐突に放たれる。


鼓膜に響く音が痛みのかわりだった。
軽く鈍いその音は、私の青春の終わりを告げる。
彼女の顔が近かった。美しいまつ毛を眺めてた。


  じゃあねもまたねもなかった。
帰るから。そっか気をつけて。
ただそれだけの会話。それが不器用な私たちには丁度いい。
  帰りの車内、じんわりと傷が痛み出す。
耐えきれなくなって、私はコンビニの駐車場で泣いた。それはピアスのせいではないけれど、ピアスがきっかけではあるんだ。





  引越し当日。少し寝坊した私は急いで洗顔と歯磨きを終わらせ、何も無くなった自分の部屋に行ってきますを伝えた。
飼い犬を存分に撫で回し、祖父母に手を振って、母の運転する車で家を出る。荷物は後ろへ、助手席は私。

  幼い頃にやりたかったことを、今はいとも簡単にできる。大皿は常用だし、助手席にも難なく乗れる。でも、眼鏡と生理はいらなかったなとつくづく思うのだ。
  それから、幼い頃信じてたことは人生の余興になり得るということを知った。後部座席に乗ったダンボールには、相変わらずぬいぐるみが詰め込まれている。


私はもう学生じゃない。
しかし、大人ではないんだろう。
来年はハタチだけど、きっとそういうことじゃなくて。

ただ今は、熱っぽく痛むピアスホールが愛おしくて、息を飲み込んだ。


口に残る歯磨き粉の味は苦かった。

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