獲物
9月1日の氷食症
朝、目が覚めると必ずうがいをする。歯を磨く。それから、氷を食べる。
食事はなんとも淡白な味で、健康にはいいのだろうけれど、私はあまり好きではなかった。
お弁当を持たずに家を出る。黒猫はいつも、たくさんの缶バッジをつけて私の背中にいた。私の大切な荷物を抱え込んで、いつも必ずそこにいた。彼がいてくれる事で、外界と関わる勇気が出てくる気がした。
電車に揺られていると、自分が赤子に戻ったような気がする。黒猫を抱え、顔をうずめる。寝てはいけないのだけれど、私は何度かの格闘の末、必ず負けてしまうのだ。
ある日は眠気に負けて、ある日はスマホゲームをしだしたり、ある日は小説を読んだこともあった。
他愛もない朝の時間、私はまだ人間であることを実感してる。
電車から出て駅のホームを出るまで、人々は同じように動いてる。頭の高さも、目線も、向かう先も、足の速さも全部同じだ。
そんな気がするだけだ。
老若男女混ざっているのだから、それぞれの速さや高さがあるはずなのだ。改札が東西に別れているのだから、歩く先や目線も違うはずなのだ。でも、私にはそれが見えない。階段を下る彼らの頭は無機質に規律している。
ただそれだけが事実だった。
駅の外へ出ると、街はさらに現実味をなくす。色がなく、死んでいるようだった。声が聞こえない。誰も話していない。いつも騒々しい音を立てているパチンコ屋の液晶画面は、いつ誰が殺してしまったのだろう。
毎朝ただ何となく感じていた違和感は、数十日を経て私にのしかかってきたのだろう。
静かな街に、エスカレーターのアナウンスがよく聞こえていた。
相変わらずこの街は緊急車両の行き来が激しい。口の中が随分寂しく思えて、私は氷を買うべきか悩んでしまった。
学校へ着いた時、酷く安心した。ここにいる人間は人間だったからだ。私は久々に人の顔を確かに認識した気がする。貼り付けたものではなく、本心から口元が緩んだのは喜ばしいことだった。
朝、あれほど死んでいた街がカラフルに色付く。様々な人間が歩き回り、ゲームセンターは相変わらず騒々しい。摩擦で指を殺しながら、私は今日も惰性的に百円を溶かしていく。無意味だ。この作業に意味などない。今度はまるで、自分だけが人間ではないように感じてしまう。
ああ、早く氷が食べたい。
絵を描く。
ひたすらに絵を描く。
それから、小説のような何かを書いて、それから、それから何もできずに、私はシャーペンを投げ出した。
死んでいるようだった。私が死んでいるようだった。
私の生み出した創作物の中で、彼らは確かに生きているのに。
しかしそれでいて、目の前の空白が私の全てを物語っている。
朝、私には背徳感があった。それが馬鹿なことだったのだ。
シャーペンを握り直し小一時間、目の前には相変わらず虚無が広がっている。
それが答えだった。
電車に揺られていると、自分が赤子のように何もできない存在だと証明されている気がする。黒猫を抱き寄せ、眠れない私は無性に泣きたくなってしまった。
雲が燃え尽きるほどの赤い夕焼け。このまま焼かれてしまえば、悲しさも何も無くなるのだろうか。
早く帰ろう。それから犬を撫でて、氷をひとつ口に放り入れるのだ。
何も考えなくていいように、私は闇に溶けるのだ。
暗闇の中から溶かした百円が雨のように降ってくる。私を咎めるように降ってくる。私は、私は、私以外の何者でもないはずなのだ。
深呼吸をして、黒猫を抱きしめる。
胎児のように体を丸め、深く深く沈む。
壁紙が星空になり、月が優しくこちらに微笑む。
私が人間だと証明してくれている。
とても幸せな空間だった。
私にとって最高の空間だった。
その空間を切り裂いて、私は氷を食べに部屋を出た。
食事はなんとも淡白な味で、健康にはいいのだろうけれど、私はあまり好きではなかった。
お弁当を持たずに家を出る。黒猫はいつも、たくさんの缶バッジをつけて私の背中にいた。私の大切な荷物を抱え込んで、いつも必ずそこにいた。彼がいてくれる事で、外界と関わる勇気が出てくる気がした。
電車に揺られていると、自分が赤子に戻ったような気がする。黒猫を抱え、顔をうずめる。寝てはいけないのだけれど、私は何度かの格闘の末、必ず負けてしまうのだ。
ある日は眠気に負けて、ある日はスマホゲームをしだしたり、ある日は小説を読んだこともあった。
他愛もない朝の時間、私はまだ人間であることを実感してる。
電車から出て駅のホームを出るまで、人々は同じように動いてる。頭の高さも、目線も、向かう先も、足の速さも全部同じだ。
そんな気がするだけだ。
老若男女混ざっているのだから、それぞれの速さや高さがあるはずなのだ。改札が東西に別れているのだから、歩く先や目線も違うはずなのだ。でも、私にはそれが見えない。階段を下る彼らの頭は無機質に規律している。
ただそれだけが事実だった。
駅の外へ出ると、街はさらに現実味をなくす。色がなく、死んでいるようだった。声が聞こえない。誰も話していない。いつも騒々しい音を立てているパチンコ屋の液晶画面は、いつ誰が殺してしまったのだろう。
毎朝ただ何となく感じていた違和感は、数十日を経て私にのしかかってきたのだろう。
静かな街に、エスカレーターのアナウンスがよく聞こえていた。
相変わらずこの街は緊急車両の行き来が激しい。口の中が随分寂しく思えて、私は氷を買うべきか悩んでしまった。
学校へ着いた時、酷く安心した。ここにいる人間は人間だったからだ。私は久々に人の顔を確かに認識した気がする。貼り付けたものではなく、本心から口元が緩んだのは喜ばしいことだった。
朝、あれほど死んでいた街がカラフルに色付く。様々な人間が歩き回り、ゲームセンターは相変わらず騒々しい。摩擦で指を殺しながら、私は今日も惰性的に百円を溶かしていく。無意味だ。この作業に意味などない。今度はまるで、自分だけが人間ではないように感じてしまう。
ああ、早く氷が食べたい。
絵を描く。
ひたすらに絵を描く。
それから、小説のような何かを書いて、それから、それから何もできずに、私はシャーペンを投げ出した。
死んでいるようだった。私が死んでいるようだった。
私の生み出した創作物の中で、彼らは確かに生きているのに。
しかしそれでいて、目の前の空白が私の全てを物語っている。
朝、私には背徳感があった。それが馬鹿なことだったのだ。
シャーペンを握り直し小一時間、目の前には相変わらず虚無が広がっている。
それが答えだった。
電車に揺られていると、自分が赤子のように何もできない存在だと証明されている気がする。黒猫を抱き寄せ、眠れない私は無性に泣きたくなってしまった。
雲が燃え尽きるほどの赤い夕焼け。このまま焼かれてしまえば、悲しさも何も無くなるのだろうか。
早く帰ろう。それから犬を撫でて、氷をひとつ口に放り入れるのだ。
何も考えなくていいように、私は闇に溶けるのだ。
暗闇の中から溶かした百円が雨のように降ってくる。私を咎めるように降ってくる。私は、私は、私以外の何者でもないはずなのだ。
深呼吸をして、黒猫を抱きしめる。
胎児のように体を丸め、深く深く沈む。
壁紙が星空になり、月が優しくこちらに微笑む。
私が人間だと証明してくれている。
とても幸せな空間だった。
私にとって最高の空間だった。
その空間を切り裂いて、私は氷を食べに部屋を出た。
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