【書籍化作品】自宅にダンジョンが出来た。
小料理屋の女将(3)
朝食を終えたあと、出されたお茶を啜りながら店内の壁に体を預けながら目を閉じる。
頭痛は、もう殆ど感じない。
「そういえば、さっきの味噌汁の具はシジミだったな」
たしか、シジミには肝機能を活発化させるオルニチンという成分が含まれていたはずだ。
それで、少しは楽になったのかも知れない。
一人、考え事をしていると洗い物をする音がBGMのように店内に流れる。
ジャーという水が流れる音と、食器を洗う際に鳴る音が、どこか心地いい。
「山岸さん」
「…………ん?」
瞼を開ける。
すると目の前には、エプロン姿の相沢さんが俺を覗き込んできていた。
その距離は1メートルもないし、どうやら何時の間にか俺は畳の上で寝ていたようだ。
それよりも、こんな至近距離に近づかれるまで気配に気が付かないとは思わなかった。
「すいません」
慌てて畳の上から起き上がる。
まさか、他人の店で寝てしまうとは、社会人としてあるまじき行為だ。
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ? まだ開店まで時間がありますから。それに、もう用意は済んでいますし……」
「そういう訳には……」
「それに何より、ずいぶんとお疲れのようですね。もう少し休まれていっては?」
「いえ、これ以上はご迷惑をかけられませんので」
俺は言葉を選びながら頭を下げる。
礼節を重んじてくる相手には、礼を尽くす――、それが俺の考えだからだ。
「そうですか……。あまりご無理はなされませんように――」
「ご心配、痛み入ります」
「――あっ! 山岸さん」
「何でしょうか?」
話を交わしていると妙案とばかりに相沢さんの顔色が明るくなる。
「どちらに滞在しているのですか? 遠いようでしたら車でお送りしましょうか?」
「いえ、営業時間に間に合わなくなるのでは……」
「まだ午前10時ですので大丈夫です。それに、うちはランチタイムをしていませんので」
「そ、そうですか」
そこまで言われると、さすがに断るのはよくない。
「よろしくお願いできますか?」
「はい!」
二人して店を出たあと、小料理屋の鍵を閉めた相沢凛さんが車を取りに行くと小走りで離れていく。
その後ろ姿を見送ったあと、俺は顔を見上げる。
「待ち時間はやる事がないな」
そう呟きながらも視線は店の看板へと――。
「小料理屋の名前は、『幸』と言うのか」
昨日は、小料理屋の名前を見ずに店内に入ったから気が付かなかった。
おそらく読み方としては『サチ』というのだろう。
「お待たせしました!」
狭い路地から出てきたのは軽自動車。
色は、落ち着いた色のグリーン。
デザインはモダンな感じのデミオに近い。
「いえ、それではよろしくお願いします」
「それでは、どうぞお乗りください」
助手席に乗ったあと、車はゆっくりと走り始める。
市街地は人通りが時間帯的に多くなってきたこともあり、速度は出せなくなっており必然的に会話が生まれる。
「そういえば、山岸さんは鳩羽村には何か御用事があると言っていましたけど……」
「仕事関係ですね」
まぁ、正確に言えば俺のマイソウルフードを貶めた連中と戦う為に滞在する事になったんだがな!
「そうですか……」
何故か落ち込む様子を見せる相沢さん。
「ただ、そんなにすぐに片付く仕事ではないかも知れないので――」
「それで2週間ほど滞在されるご予定ですか?」
「まぁ、そうなります」
「市街地を抜けます。山岸さんの宿泊されている宿はどちらに?」
「旅館『捧木』です」
「――え!?」
「どうかしましたか?」
「――い、いえ……。旅館『捧木』は、閉館が決まったと伺っていたので」
「そうなんですか?」
そんな事を佐々木の母親――、香苗さんは一言も言っていなかった。
「それって、どこからの情報なんですか?」
「商工会議で、会長さんが言っていましたので……」
「そうですか」
つまり、佐々木母娘には知らされてはいなかったということ。
「もしかして旅行代理店などにも?」
「はい。先週には通達がありまして――」
「ふむ……」
どうやら、ずいぶん早い段階から旅館『捧木』を潰す為に動いていたようだな。
「山岸さん?」
「いえ、なんでも――」
黙り込んだ俺に語り掛けてくる相沢さんに俺は何でもないと言った様子で言葉を返す。
「そうですか……、あ! 旅館『捧木』が見えてきました」
相沢さんが運転する車は、旅館『捧木』の駐車場に停まる。
車から出ようとした所で「先輩っ!」と、言う声が駐車場内に響き渡ると同時に、旅館『捧木』から、佐々木望が走ってくる姿が見えた。
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