【書籍化作品】自宅にダンジョンが出来た。
誰がために鐘は鳴る(1)
「江原さん、いますか?」
何度かドアを叩くがやはり反応がない。
一刻も早く杵柄さんが入院したことを伝えたかったのだが……。
「擦れ違いになっても困るからな」
カバンの中から、手帳を取り出して破く。
破いた紙に電話番号と要件を万年筆で書いたあと郵便受けに投函し自宅に戻る。
家のドアを開けると貯まっているゴミが目に入った。
「そういえば、明日はゴミ捨ての日だったな……」
着がえて行くのは2度手間になる。
なら、ここのまま捨てに行った方がいいだろう。
アパートの階段から降りる。
そして、少し離れた場所にゴミ出しを済ませる。
アパートに戻ろうとすると、杵柄さんの家の前に人影が見えた。
「あれは……、町内長の神原と……、もう一人は誰だ?」
どうして、町内長が杵柄さんの家の前にいる?
疑問が浮かぶが何か用事があるのかも知れないな。
一応、杵柄さんのことを伝えておいた方がいいだろう。
近づくと話声が――。
 
「杵柄のばーさんが町内会に来ないと思ったら、どこに行っているんだ? 家は明かりが消えているし――」
「人気はないようですね」
「そうだな……、どうするか」
「いつまでも、町内会の人間を待たせておくわけにはいきませんよ」
「そうだな、富田の爺さんが癇癪を起すかも知れないからな」
どうやら、二人とも杵柄さんが町内会に来ないのを心配して様子を見にきたようだな。
それなら……、尚更――、伝えておいた方がいいだろう。
「すいません。神原さん」
「おや? ……君は、山岸君だったかな?」
「はい」
「お二人は、杵柄さんに会いにきたんですか?」
「ああ――、そうなんだが……、留守みたいでね」
困った表情で俺に語り掛けてくる神原。
俺は、神原に杵柄さんが、倒れて病院に入院していること。
そして、集中治療室に現在はいることを伝えた。
「なるほど……」
俺の話を終始黙って頷いて聞いていた町内長の神原は小さく溜息をつくと頭を下げてきた。
「山岸君、杵柄を助けて頂き、礼を言います」
「――いえ。お気になさらず」
礼を言われるような事は何もしていない。
俺は、俺が見ている前では誰にも傷ついて欲しくないだけだ。
「山岸君。君には借りが出来てしまった。今度、良かったら――、私の中華料理店に食べてに来てくれ。一度も来たことがないだろう?」
「――ええ、まあ……」
たしかに一度も行ったことがないが、よく俺が一度も行ったことがないと知っているものだ。
「不思議そうな顔をしているね。これでも客商売を40年以上してきた。それに地元民しか利用しないからね。君が来ていないことくらいは知っているさ」
「ああ、なるほど……。杵柄さんに連れられて初めて会った時に、不思議そうな表情をしたのはそういうことですか」
「まあね……、大抵の人は来てくれるからね」
そう言って――、彼は笑う。
どうやら悪い人ではないようだ。
話の節々からも、裏はないように感じる。
「わかりました。今度、伺わせて頂きます」
「ああ! 待っているよ。北京ダックでも、燕の巣でも、上海蟹でも、フカヒレでもドンとこいだ!」
「…………ぜひ伺わせて頂きます!」
仕方ないな。
そこまで言うのなら、俺の真の実力を発揮しなければいけないだろう。
話が一段落ついたところで、神原と――、もう一人の60代の老人――音倉を見送ったあと、俺は自宅に戻る。
部屋に入ったところで――。
スーツをハンガーに掛けたあと、シャワーを浴びた俺はワークデスクの前に座る。
時刻は、すでに21時を回っている。
それにしても、今日は色々とあったな……。
「まぁ、今日だけじゃないんだけどな……」
思わず溜息がでる。
――本当に……、コールセンターを退職してから色々とありすぎだ。
ダンジョンツアーに参加すれば、他国の軍隊から攻撃は受けるし、就職はまったく決まらないし、良い事が殆どない。
まぁ、この前――、牛丼をたくさん食べられたのだけは良い事だな。
「そういえば、ガラスの修理費も考えないといけないな」
通帳を取り出し、記載されている金額を確認。
「7億6千542万3381円か……」
パソコンの電源を入れる。
ファンが回る音が鳴り、すぐにOSが立ち上がり――。
「まずは、M&Aの望月が俺に渡してきた資料の中から、どの会社が優良なのか探さないとな……」
インターネットで会社の情報を見ていく。
ただ、インターネットで調べられるのは憶測や噂ばかりで真偽の判断がつかない。
そもそも――、M&Aについては、俺は一度も携わったことがない。
そのため判断の基準がない。
「やはり、ここはプロに調査依頼をした方がいいな」
まずは、インターネットで調べる前に、M&Aコーポレーションの望月から貰ったクリアファイルに目を通し、ある一点を見つけたところで俺は思わず苦笑した。
「調査依頼を別途で引き受けます……ね――」
中々、ちゃっかりとしている。
――ただ、完全に成功報酬制のようで一件につき幾らと金額が決まっているようだ。
中間手数料は高くはないな……。
それでも、俺が貰っていた月給よりは高いが――、
明日には、連絡を入れて頼んでおくか……。
「さて、あとは……」
企業買収は良いとして――。
「問題は、そのあとだな」
千葉都市モノレールに幾らの金額を提示するのか……。
そのあたりも考えておいた方がいいな。
「やはり、舐められないように企業と交渉していた経験を持つ人を雇った方がいいな」
問題は、俺にそういう人脈が無い所だ。
椅子の背もたれに体重をかけながら思考するが、やはり心当たりの人物など……。
「そういえば!?」
ワークデスクの中から名刺ケースを取り出す。
20年以上、社会人をしてきたのだ。
中には、コンサル関係に詳しい人間の名刺があるかも知れない。
ただ、問題は――、深い付き合いをしたことがないということ。
人間関係を容易にリセットしてきた弊害とも言える。
「駄目だな……。どれも……」
一通りの名刺を確認するが企業コンサルティングをしているような人間の名刺はない。
名刺入れに、全ての名刺を戻し閉じようとしたところで、一枚の名刺に目が止まる。
「派遣会社クリスタルグループか……」
一人呟いたところで、ふと思いつく。
派遣社員のコーディネーターも、見方を考えれば派遣社員を派遣先に紹介する際に多くの会社を見てきたのではないのか? と――。
「時刻は……、22時か……」
本来であれば電話を掛けるには常識を疑う時間帯。
だが、千葉都市モノレールの廃線が決まるのが何時になるか分からない今となっては、迅速に行動をしなければいけない。
「仕方ない……」
携帯電話を取り出す。
そして、電話番号を入力し発信。
何コールか、電話が鳴ったあと――。
「はい。桂木ですが――」
「夜分遅く失礼致します。山岸ですが……」
「…………山岸さんですか? あの、ノコモココールセンターに派遣されていた? こんな時間に、どのようなお話ですか?」
伊達にコールセンターで20年近く働いていたわけではないのだ。
声色から、桂木が、俺に対してかなりの警戒をしているのが分かる。
ここは世間話よりも本題に入った方がいいだろう。
「じつは、桂木さんにお願いがありまして電話を致しました」
「お願いですか?」
「はい。じつは、こんど会社を購入しようと思っているのです。ですが、購入する会社の良し悪しが私には分からない為、多くの企業とのパイプ役をしてきた方の意見を聞きたいと思いまして――」
「…………なるほど……、ですが私は多少の調整はしていましたが、プロではありませんよ? もっとコンサルに相応しい企業と契約を結ばれた方が宜しいかと思いますが――」
彼女の言っていることは至極全うな意見だ。
まぁ、調査はプロに任せることは決まっているが……。
それでも、もう一つくらいの判断の指針は欲しいし秘書らしい人材を雇っておきたい。
「仰られること理解しています。ですが、その時間が惜しいのです。そこで少しでもいいのでお力を貸して頂けませんか? クリスタルグループでの仕事が忙しいのでしたら断っても頂いても構いませんが! 給料はきちんとお支払い致します」
「…………」
思案しているのか電話口が無言になる。
「…………それは私を雇うということでしょうか?」
「そうなります。率直にお伺いしますが、株式会社クリスタルグループでは月給は御幾らでしたか?」
「30万円ほどでしたが……」
「そうですか……、それでは一年間契約ということで倍の800万円で私に雇われる気はありませんか?」
「は、800万円!?」
「はい、どうでしょうか? 株式会社クリスタルグループの仕事が忙しいのでしたら、諦めますが――」
かなり意地悪な言い方になってしまうが、こちらも時間がどれだけ残されているか分からないのだ。
早めに決断してもらいたい。
「……一度、詳しくお話をお伺いできますか?」
「ええ、もちろん」
話をしながら俺は千葉駅周辺で借りられるレンタルオフィスをパソコンで検索していく。
何件かヒットするが――。
「山岸さん。一度、株式会社クリスタルグループに来られませんか? 業務停止命令中ですので、社員以外は人はいませんから」
「いいのですか? これは言わば引き抜きのようなものですが?」
「はい、構いません。それでは明日の10時など如何でしょうか?」
――ずいぶんと急だな。
まあ、早い分にはいいか。
「分かりました。では、その時間帯にお伺いします」
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