竜と女神と

水無月六佐

甘い青年

「バイト、だと……?」
 俺は晩御飯を食べ終えた竜子にバイトの件を切り出した。
「ああ、そうだ。ゲームやアニメからだけじゃなくて、少しは自分の肌でこの社会の事を学んでほしいし。見学だけでもどうだ?」
「うむ……吾輩が、か」
 顔が俯いているので表情がよく読めないが、少なくとも、あまり乗り気ではない。むしろ、竜子の不安がこちらにひしひしと伝わってくる。
「まあ、家事とか皿の事とかを不安に思う気持ちは分かる。けど、一週間前は食器で飯を食べるのも難しそうだったし食器をグニャッたりしてたけど、今は普通に食べられるようになっただろ? きっと出来るようになる。……たしかに、他人の迷惑にならないように隅で大人しくしているのもいいのかもしれない。けど、いつまでもそのままでいると竜子は何も成長しない。プラスになれるかもしれないのにゼロのままだ」
 竜子は俺よりもずっと長い時を生きる。俺が死んだ後も、竜子はこの世界で生き続けるのだろう。……後を追ってきそうな気もするが、それが理由で死ぬのは出来ればやめてほしい。
「……うむ、それは分かっているが」
「ああ、竜子はちゃんと分かってるだろ? それに、手伝いのときに物を壊したりはするけど、お前の気持ちはしっかりと伝わっている。今の自分をなんとかしようとも思っている。なら、今がチャレンジするときだ」
「……うむ、そうだな。しかし、いいのか? その、燐斗のバイト先に多大な迷惑をかけることになるぞ?」
「店長なら大丈夫だ。必ず竜子の助けになってくれることを保証するよ。まあ、その辺は見学に来てお前の目で確かめてくれ」
「……ありがとう、燐斗。どうやらルナと自分を比べすぎていたようだ」
「ルナはまあ、あれで高スペックだからさ」
 高スペックというよりは、全ての者の頂点と言うのが妥当だが。ちょっと前までは自堕落な生活を送っていたのに同居生活が始まるとキッチリと家事を完璧にこなしているからな……家事とは無縁仲間だと認識していた竜子にとっては衝撃が大きかっただろう。
「あれでとはなんですか! あれでとは! さあ、洗い物終わりましたのでアップルパイ食べましょう!」
 トレイの上に珈琲カップを三つとミルクとシュガーを置いて運んできたルナ。なんというか、気が利く。
「ああ、途中で抜けてしまってごめんな、ルナ。ありがとう」
 竜子が食べている間にルナと二人で食器を洗っていたのだが、竜子が食べ終わって食器を持ってきたときに、俺は食器洗いをルナに任せて竜子に話を切り出したのである。……なんというか、二人で話したほうがいいと思ったんだ。
「いえいえ、その分、僕様は一番大きいのを頂くのですよっ!」
 まあ、それに関してはルナの好きなようにすればいい。もともとルナが食べたいと言っていたものだし。……と、いうか
「……ワンホールを三人で今食うのか?」
 割とデカいので半ホールを三人で分けても丁度いいくらいだ。
「いえいえ、そうしたいのは山々なのですが、そこを堪えて半ホールにするという事で味わって食べられると言う事ですよ! 明日の楽しみもできますし!」
 そう言ってまたキッチンへと行ったルナ。なんというか、人間味溢れているよな……いや、人間がルナに似た部分を持っているだけなのかもしれないが。
「あー……で、燐斗、吾輩はいつ見学に行けばいいのだ?」
「そうだな……明日のバイトのときに店長に伝えるから、明後日とかどうだ? 土曜日だし、家から一緒に行けるだろ」
「そうか! よかったよかった!」
 パアッと顔を輝かせる竜子。一人で行かなければならないとでも思っていたのだろうか。
「流石に初日から一人で行かせたりはしねーよ……」
「しかし、これで僕様はよりネット廃人になりそうですね!」
 アップルパイを食卓に置き、ようやく落ち着いて腰を着くルナ。
「一人が進歩するともう一人が危ない方向へ進んでいくのかお前らは……」
 しかし、竜子がゲーム漬けになるのと比べればまだマシかもしれない。この世の知識の半分がエロゲからとか、そんなのは勘弁願いたいからな。
「……あ、テレビを点けていいだろうか」
 そういえば、そろそろ竜子が気になっているバラエティ番組が始まる時間だ。……県民の違いとか、気になるものなんだな。
「ええ、どうぞー!」
 アップルパイを慎重に切り分けながら返事をするルナ。……まあ、ルナは県民の違いとかは興味なさそうだが。知ろうと思えば一瞬で全てを知ることが出来るんだし。
 俺は珈琲にミルクを入れて竜子に渡す。ブラックで飲んでもいいのだが、家で飲んでいると、母さんが『珈琲を飲むときは、胃腸に優しくなるからミルクを入れたほうが良いよ』と言っていたのを思い出すのでついつい入れてしまう……ちなみに、本当に胃腸に優しくなるかどうかは知らないし、調べる事でもないだろう。
 竜子はテレビを点けた後に俺からミルクを受け取り、やや多めに入れ、シュガーをやたらと入れる。……見ているだけで舌が甘みを感じる。
「……さて」
 竜子は完成した自分専用の珈琲飲料を眺め、満足そうな顔をした後に、リモコンを手に取る。
「……あ、ちょっと待ってほしいのですよ!」
 ルナが竜子を制止する。どうやら、何かに気づいたようだ。テレビを見るとニュース番組が流れていた。

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