この広い世界のマイレディ

水無月六佐

静かな森のマイレディ(後)

「さあ、ディナーが出来るまで私とお話ししましょう! お客人さん!」
「もちろん! 私の旅の話などでよろしければいくらでもお話ししましょう!」
「うふふ、どんなお話が聞けるのか楽しみだわ!」
「……あー、その、あまり期待をなさらない方がいいんじゃないですかね……私の話なんて、どこにでもあるようなもんですよ?」
「ううん! そんな事ないわ! 私、この森から出たことが一度もなくて、森の外の世界の事をよく知らないから、外の世界を沢山見てきた人の話を聞いてみたかったの!」
「そうですか? それなら……って、アグネーゼお嬢様、森の外に出たことがないんですか!?」
「ええ、そうなの。外の世界は危ないからって、亡くなった御父様がセスに頼んだの。私を森の外には出さないようにって」
「たしかに、この森に比べればそりゃあ危ないと思いますが……まあ、こんなに美しいお嬢様ですから、外に出したくないっていう事なんでしょうかね……お嬢様は、外に出たいですか?」
「うーん……よくわからないの。本を読んで、たしかに、外の世界は危ないって思ったわ。でも、外の世界には私が知らないものが沢山あるの。でもでも、セスが街に買い出しに行ったときには必ず珍しい物をお土産に買ってきてくれるわ。だから、この生活には満足していて、無理に外の世界に出たいとは思わないの。だけど、少しだけ。ほんとに少しだけ、自分の目で外の世界の景色を見たいとも思うの。外の世界を自分で歩いたり、『お店』っていうところにも行ってみたり……」
「……セスさんにその話をした事はありますか?」
「ううん、ないわ。セスは私の為にいつも頑張ってくれてるの。洗濯もお掃除も、お料理も……セスは御父様との約束を果たしているのに、私が我儘を言うと、セスが困ってしまうわ」
「……話してみるだけ、話してみるのも、いいんじゃないですかね? セスさん、お嬢様のこと、とても大事に思っているようですから、ちゃんとその思いを話してみたら案外、『成るように成る』かもしれませんよ?」
「うーん、そう簡単にいくのかしら……」
「ま、たしかに、さっきのはかなり楽観的な考えなんですがね、自分の気持ちを大切な人にしっかりと伝えるってことは、大事なんですよ」
「ええ、そうね。たしかにそうだわ。だけど……」
「相手を困らせてしまうくらいなら黙っておこう。その気持ちは私にもよくわかりますよ。過去の自分も、そうでしたから」
「……お客人さんも?」
「ええ、そうです。それじゃ、順を追って話しましょうか……実を言うと、私は幼少期だけはちと特殊で、捨て子だったんですよ」
「捨て子……本で知っているわ。とても悲しい、悲しい事よね」
「ええ、その当時の私はようやく言葉の理解ができるくらいの年齢だったんですが、途切れることなく聞こえる両親の怒鳴り声が怖くて怖くて仕方がありませんでした。そしてある晩、私は広い草原に連れていかれ、置いていかれました。そのときにかけられた両親の声が喜びに満ちていた事は忘れる事が出来ません」
「何で、何で、そんな事が出来るのかしら」
「生きていくのに精いっぱいな状況だったんでしょう。それこそ、子供一人が相当な重荷になる程に」
「……」
「安心してください、お嬢様。ここからは明るいお話ですよ」
「本当に!? よかったぁ……」
「ええ、とても幸運な事に、草原に置いていかれた私は、近くに住む集落の人に発見されて保護されたんです。集落の人たちは私を快く迎え入れてくれました。」
「とても優しい人たちなのね!」
「ええ。とても、とても優しい人たちです。集落の人たちはみんな、私を可愛がってくれて、私もそんなみんなが大好きです」
「何だか素敵ね……!」
「勿論私は集落のみんなが大好きですが、中でも一番好きな人がいるんです。私を家族として自宅に招き入れてくれた人で、私はその人の事を本当の姉のように慕っているんです。ちなみに、捨てられた私を見つけて保護してくれたのも、彼女なんです」
「素敵な人なのね!」
「ええ! とても! 年月が経ってもずっと若々しくて、綺麗な人なんですよ! 私はずっと、その人に憧れていたんです」
「うふふ、どんな人なんだろう……私も会ってみたいわ!」
「あはは! そうですね! きっと、気が合うと思いますよ! ……あ、そうそう、そんな彼女の家は工房を営んでいまして、私もその技術を教えてもらったんですよ。そのときの私は、彼女たちと一緒に工房の仕事をやっていこうと思っていたんです」
「……え、でも、お客人さんは旅に出たのよね?」
「ええ、そうです。工房での仕事もそこそこにこなせるようになった私は、家族と一緒に大きな商業都市へと商品を売りに行ったんです。私たちの集落からその商業都市までは歩いて四日ほど掛かる距離があり、その間に私は様々な景色を見ました。アグネーゼお嬢様、そのとき私は貴女と同じように『この広い世界の景色を隅々まで見てみたい』と、思ったんです」
「そんな経緯があったのね! それで、旅に出たっていう事なの?」
「いえいえ、そのときの私は『世界を観る憧れ』を抱きつつも、それを黙っていました。お嬢様と同じように、『家族を困らせてしまうから』と思ったからです」
「あ……」
「集落に拾われてみんなから優しくしてもらって、ここまで育つことが出来たのに、旅に出たいなんて言ってしまったら、みんなが悲しんでしまうのではないかと思ったんです。私はこの集落で工房の仕事をこなしながら一生を終えるべきなんじゃないか、と」
「……」
「そう思っていたら、義姉あねに話しかけられたんです。『最近元気が無いな。何か悩み事でもあるのか?』って。やっぱり、人の感情ってのは、顔や態度、雰囲気に出るんでしょうね。義姉はすぐに気づいたらしいです」
「……お姉さん、お客人さんの事をよく見ていたのね」
「ええ、義姉には勝てません。そして私は、正直に話しました。『旅に出たい』と」
「お姉さんはなんて答えたの?」
「『ああ、いいじゃないか!』と、笑いながら言ってくれました。そして立て続けにこう言いました。『さては工房や自分の境遇の事を気にして言い出せなかったんだろう? そんな事で悩むなんて、お前は何て優しい子なんだ』と」
「……優しい」
「ええ、義姉は私にそう言ってくれました。私自身はそうは思えませんでしたが……まあ、そういう訳で、義姉がみんなにも話をつけてくれて、みんなが私の旅立ちを応援してくれました」
「本当に、いいところなのね!」
「ええ、自慢の故郷です……そして旅立ちの前日、みんなは餞別の品として食料や衣類などをくれました。旅立ち前夜は家族で豪華な野菜料理を食べて……さて、寝ようと思ったら、義姉に『外に出ないか』と誘われました。勿論、断る理由もないので外に出ました。義姉と私は集落から少し離れた川のほとりで焚き火を囲って話をしました。いや、それだけじゃありません。姉は私の為に貴重なお肉を焼いてくれていたんです」
「聞けば聞くほど、良いお姉さんね!」
「ええ、ですが、お肉の串は一本しかありませんでした。私が困惑していると姉は『お前が旅に出る祝いなのだから気にせず食べろ』と言いました。それに納得がいかなかった私は、二人で食べようと姉に提案しました。それを聞いた姉は『やはりお前は優しい人間だな』と微笑んで、二人で一つの串を食べました……アレは、美味しかったな……」
「……素敵。素敵だわ!」
「旅を続けて、もう数年経ちますが、いつか、故郷に帰ったときに、この旅の経験を活かして、特別な自分の作品を作ろうと思っています。それをみんなに見てもらえれば、きっと最高に幸せだと思うんです」
「ええ! きっと故郷の皆さんも、お姉さんも、喜んでくれると思うわ!」
「ははは! ありがとうございます! ……あ、そうそう、私の旅の話でしたよね。ええっと、私が初めて訪れたのは……」
「御嬢様、御客人、御料理が出来上がりましたので、キッチンへと御越しください」
「あら! もうそんな時間なの!? 分かったわ、今すぐ行く!」
「ええ、ではキッチンで用意をしておりますので、なるべく御早目にお越しください」
「あらら……結局、旅に出る経緯しか話せませんでしたね」
「ううん、とっても素敵なお話だったわ! 聞けてよかった!」
「ははは! そう言っていただけると幸いです!」
「それじゃあ、キッチンに行きましょう! セスが待ってるわ!」
「ああ、お嬢様、今のうちに、一つだけ言いたいことが」
「? 何かしら?」
「お嬢様が『外の世界に出たい』という気持ちをセスさんに言えないのは、お嬢様が優しい人だからなんだと思います」
「……そうなのかしら? でも、あなたのお姉さんも言ったのよね。お客人は優しい人間だって」
「ええ。義姉はそう言ってくれました。でも、私はそうは思えませんでした。義姉はあの時、こういう事も言ったんですよ。『アタシとお前の仲なんだ。気にせず言ってくれてもよかったのに』と」
「……」
「もしかしたら私は、なかなか自分の夢を言えずに一人で抱え込んでいた時点で義姉を困らせていたのかも、悲しませていたのかもしれない。と」
「……あなたのお話、すごく、すごく、タメになったわ。……うん、今すぐに、とは言えないけれど、きっといつかセスにも相談しようと思うわ!」
「ええ、応援してますよ。お嬢様」
「それじゃあ、キッチンへ行きましょう!」
「ええ!」


「本日のディナーは、ピースサラダ、オニオングラタンスープ、ライス、ポークジンジャー、アップルシャーベットでございます」
「おおぉ……! 凄い、凄いです!」
「久しぶりの御客人という事で、つい、気合が入ってしまいました」
「あ、セス、今回はちゃんと同じ料理なのね!」
「ええ、たまにはいいかと思いまして……幾度も御嬢様に御指摘を受けましたから」
「……同じ料理、ですか?」
「そうなの。セスったら、肉は貴重なものだから自分は安物の肉で十分だって言うのよ!」
「はは、この御屋敷の料理に使われている材料は高そうですからなぁ! うんうん! 庶民である私からしますと、気持ちはよくわかりますよ! 私の故郷でも肉を食べる機会なんて全然ありませんでしたし!」
「うーん、やっぱり、そういうものなの?」
「ええ、そういうものなのですよ。御嬢様」
「……そういえば、この御屋敷には二人で住んでいるのですね?」
「ええ、先代の御主人様と使用人が亡くなってしまってからは、随分と寂しくなってしまいました」
「お母様は私が生まれた直後にお亡くなりになったの。だから私はお母様の顔すら知らないのよ」
「そうだったのですか……あの、すいません、不躾な質問ですが、今はどうやって生計を?」
「あの森の木の枝がある程度伸びたら切り、加工して街で売る、というのを繰り返しております。どうしてもやむを得ない場合のみ、森の外側の木を伐採し、加工して街で売っております」
「ほう……! たしかに、この森の木々は活きが良い。売ればなかなかの値がつきそうですなぁ……」
「ええ、そういう訳で、この森を管理しているのですが、まさか、柵が壊れているなど……」
「道行く人々が噂をしていました。どうやらこの辺りでモンスターが暴れていたようです。まあ、商業街の護衛団によって退治されたようですがね」
「モンスター! 本で読んだことがあるわ! とっても凶暴な動物さんなのよね!」
「ええ、そうです。一説によると、過酷な環境下で育った動物が子孫を残す度に強く凶暴になりモンスターに進化するなんて言われてますが……私もこの旅の途中で幾度か目にしたことがありますが、大きな猪が炎を吹いていました。アレは言葉の意味そのままの『化け物』ですよ! いやはや、怖いものです」
「炎を吹く猪! 凄いわね! セス! でもとっても怖いわ!」
「ええ、そうですね。今まで一度もモンスターを見たことがないのは幸福な事なのでしょう。……御客人、教えていただきありがとうございました。……明日、柵の点検に行かねばなりませんね。……ああ、もちろん御客人、あなたを商業都市に送り届けた後で、でございますよ」
「ええ、ありがとうございます!」


「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした」
「御粗末様でございます。……さ、御客人、御部屋に案内いたしましょう。こちらでございます」
「ええ、ありがとうございます!……ああ、そうだ。アグネーゼお嬢様、このお屋敷に宿泊させていただくせめてものお礼として、これを差し上げます」
「うわぁ! 綺麗な鳥さん……!」
「これは私の故郷に伝わる『鳥鳴ガラス』というものなんです。この鳥の尾の部分を咥えて吹く事によって嘴の部分から小鳥の囀りのような音が出るんですよ」
「え!? そうなの!? 私、聞いてみたいわ!」
「もちろん、いいですとも! 自分用のもので手本をお見せしましょう! ここを咥えて……」
「……うわぁ! セス! 凄いわ! 本当に鳥さんが囀っているみたいだわ!」
「ええ、素晴らしいです。心が癒されますね!」
「上手く吹くにはちとコツがいるんですが、まあ、吹いているうちに分かってくると思います。これを行く先々で売ったり配ったりしているのですが、なかなかに喜ばれましてねぇ……」
「素敵な物を御嬢様に御贈りいただき、ありがとうございます」
「いえいえ、まだまだ未熟者の私の作品なので、こんなに立派な宿の恩に見合うか不安だったのですが、喜んでいただければ、幸いです」
「ありがとう! それじゃあ、また明日ね!」
「御嬢様、御客人は明日の早朝に発たれますので……」
「ああ……そうだったわね」
「いやはや、寂しいですなぁ。まあ、鳥鳴ガラスを見たときに私を思い出していただければ幸いです!」
「うん! 私、頑張って上手く吹けるようになるわ!」
「ははは! それは楽しみです!」
「と、いう訳で御嬢様、私も、昼頃まで出かけますので、御忘れなきよう」
「……うん、わかったわ」


「お客人さん、ちょっとだけお肉を残してる……セスったら、張り切りすぎて今日は量が多かったものね」
「……食べちゃお」
「……ッ!? お、美味しい! このお肉、すごく、柔らかくて、すごく、すごくすごくすごく、おいし……!?」
「き、気持ち悪いッ!」
「お、お手洗いッ!」


「……しまった。私としたことが……!」
「……いえ、おそらくは、今日、こうなる運命だったのかもしれませんね」
「これで私もようやく、お嬢様に……」


「御嬢様! 大丈夫でございますか!?」
「せ、セス……うん、大丈夫。大丈夫よ。……ごめんなさいね。つまみ食いをしてしまったから罰が当たってしまったのよ、きっと……」
「…………御嬢様、今日はもう寝ましょう。眠ればきっと、良くなりますよ」
「……そうね」
「私は昼頃まで帰らないので、ぐっすりとお休みなさる事を御勧めいたします」
「……うん、そうする」


「うーん……」
「……! 気分が良くなってる! 治ったんだわ! セスッ! セスゥーッ!!」
「……まだ帰ってきていないみたいね。起きるのが少し早かったのかしら?」
「…………えへへ、セスの部屋に入っちゃお!」


「久しぶりのセスの部屋!」
「えへへ、セスのベッド、セスの枕、セスのシーツ、セスのベッドカバー……うん、セスの匂いがする!」
「……セスが街に行ってるときにたまにこうしているけど、バレてないよね?」
「もしバレたら、セスは何て言うのかな……」
「怒るんだろうなぁ……部屋に入ったら駄目って言われてるし……」
「ううん、今はそんな事考えるの、やめよう!」
「セスの匂い、良い匂い……!」
「……はしたないから、アレは我慢しなくちゃいけないけれど、やっぱり……もう……ッ!」
「……ッ!?」
「何かしら? 今、風が通るような音が聞こえたような……」
「……え?」
「何、これ……」


 御屋敷の室内に足音が響いている。セスのソレとは明らかに違う、足音が。
 一体どうして。
「な、なにこれ!? なんで、なんで、セスの部屋の下に、こんな……」
「床に落ちているこれは……髪の毛?」
 駄目……
「し、し、死体……!?」
 貴女だけは。
「けど、なんだか、生きているみたいにも見えるわ……」
 貴女だけは駄目なのに。
「何で、人間の死体が吊るされているの?」
 貴女は、決して此処に来てはいけなかったのに。
「……この顔、前の使用人の、アーシャ、さん?」
 ……駄目。
「……え、どうして?」
 ……駄目よ。駄目なのよ!
「御嬢様」
「せ、セス……ッ!」
 セス……どうして。
「気づかれないように、九年間、隠し通しておりました」
 そう。貴方はずっと、約束を守っていたのに。
「……セスぅ、なんなの? これ。怖いよぉ……セスぅぅ。なんで、なんで、前の使用人さんが?」
 アグネーゼ……
「……お嬢様。この人は、貴女様の、御母様です」
 セス、そんな顔をしてまで……
「……え?」
「……そして、私の御母様でもあります」
 覚悟を、決めてしまったのね。セス。
「……えぇッ!?」
「そして、御嬢様が食べていた、御肉でございます」
 それならば私はもう何も言う……いや、考えるべきではないのでしょう。
「え……え? わからない……セスが言っていることが分からないわ! セスはいつも、私にわかりやすく教えてくれるのに!」
「……そうですね、順を追って説明しましょう。御嬢様、御嬢様は、人間ではありません。」
「……え?」
「御父様と御嬢様は、定期的に人の肉を食べなければ生きる事の出来ない、食人鬼ジキニンキ、という種族なんです」
「……セス、昨日ね、お客人が食べたお肉を食べたの。……すごく美味しかった。すごく美味しかった……だけどね、その後にすぐ、気持ち悪くなったの」
「ええ、存じております」
「あのお肉が、そして、セスがいつも食べていたお肉が、普通のお肉だったのね?」
「……そうです。御嬢様が召し上がっていたのは、御母様の御肉です。食人鬼が人間以外の肉を食べると、拒絶反応を起こしてしまいますから」
「……ねえ、セスのお母さんと、私のお母さんが一緒って、どういうことなの?」
「……私たちは、双子の姉弟だったのです」
「……」
「食人鬼、という種族は、子供を作ると同時に相手の身体を作り変える。そして、食人鬼と、特別な人間の双子を産ませる、または、産むのです」
「……え? 身体を、作り変える?」
「ええ、実際に、ご覧になってください」
「……えっ!? セス! ナイフを腕に刺したら、血が……ッ!」
「……ッ! 見てください。御嬢様」
「……え? 傷口がゆっくり、ふさがって、いく?」
「食人鬼の生殖相手と双子の片割れは、身体が再生する人間……いえ、『ヒ食人鬼』という種族になるのです。……生涯、食人鬼が食に困らないように」
「……そう、だったんだ」
「……」
「……私って、化け物だったのね。セス」
「それは違います!」
「だってッ! ……だって、私は」
「あんなに楽しそうに動物たちと遊ぶ貴女が、あんな笑顔を見せることができる貴女が、化け物だなんて事は、絶対にありえません!」
「……セス」
「……私たちの両親は、アグネーゼ御嬢様を、守ろうとしていたのです。人間として、その生涯を全うなされるようにと」
「……だから、ずっとずっと、隠してくれていたんだ」
「ええ。私は御父様から貴女を森の外に出さないようにと、頼まれました。『他の人々に知られたら攻撃の対象にされてしまうだろうから』と。そして御母様とは、貴女に真実を告げずに食を提供する約束をしました」
「……」
「しかし、所詮それは無理な話でした」
「……え?」
「御母様は、今はまだ再生をしています。しかし、最近は、再生が遅いのです。……おそらく、じきにただの死体になるのでしょう」
 目を背けたくても背けられない真実。セスはとっくに気づいたのだ。
「……」
「ですから……ですからこれからは、私を食べてください」
「……え?」
「黙って私の肉を料理に使おうとも思いました。しかし、料理に使う量の肉を自分の身体から切り取れば、流石に再生に時間がかってしまいます。御嬢様は察しの良い御方です。きっと気づかれてしまうと思いました。それに……それに何より、黙って自分の肉を食べさせている事が貴女にバレてしまったら、怒られた上に、きっと嫌われてしまうと、思ってしまったんです。それならば、それならばいっそ、一切合切を打ち明けて嫌悪された方がマシだと、そう思ったんです」
「セス……」
「私だって、再生する身体を持っています。ですから、御嬢様に食べられても問題ありません」
「セスを、食べる……」
「嫌悪感を抱かれることを、覚悟して申します。私は、貴女に、食べられたかったんです。ずっと、ずっと……」
「セス……」
「ですから……ッ!」
「……うん。セス。分かった。分かったわ。私は、自分を受け入れる」
「……御嬢様」
「ねえ、セス、私がたまに、貴方の部屋に入っていたの、知っていたの?」
「ええ。ベッドに入ったときに御嬢様の匂いを感じる時が幾度かありましたから……それを知っていたので私は御客人を御送りする前に、ベッドの下の床蓋を外しておいたのです……申し訳ありませんでした」
「……そうだったんだ。ねえ、セス。それを知ったとき、嫌じゃなかった?」
「もちろん、嫌ではありませんでしたよ。大好きな御嬢様が私のベッドにコッソリと入っていることが嬉しくないわけないです……ヒヤヒヤはしましたがね」
「……あのね、セス。今からとても、気持ちの悪い事、言っていい? とても、とてもはしたない事よ?」
「……? 想像が出来ませんが、何でしょうか?」
「私ね、セスのベッドの中に入ってセスの匂いを感じていたのよ。そして、セスの匂いがするベッドカバーを、咥えたり、しゃぶったりしていたの。大好きな貴方の匂いが口の中に広がって鼻の奥に通っていくのが、たまらなかったの。そのまま飲み込んで私の体内に入っていかせることが出来ないことがとても悔しかったの……ね、気持ち悪いでしょ?」
「ッ! それは全く知りませんでしたが、嬉しくて嬉しくてたまらないです。貴女様に求められているようで……寧ろ、何故今まで気づかなかったのか過去の自分に問い正したいくらいです」
「うん、やっぱり私たちって、どこか変なんだわ……今振り返ってみると、私はずっと前から、貴方を体内に取り入れたかったのよ」
「御嬢様……」
「ねえ、セス? 大好きな大好きな貴方を食べ続けて、生き続けるのも、素敵な事だと思わない?」
「……御嬢様!」
「だから、ずっと隣にいてね。私の愛しいセス」
「……はい! はい! 約束致します! 私の愛しい御嬢様!」
「……ねえ、セス? この場で今すぐ食べさせて?」


「……ん」
 アグネーゼがセスの首筋に嚙みつくと、セスが甘い嬌声を上げる。
 それが楽しいのか、彼女は更に深く噛みつく。きっとセスの頸静脈はドクドクと鼓動している事だろう。
 彼女の歯と彼の首との接合部から真っ赤な液体が滴り落ちる。
 しばらくの間、二人は動かなかったが、アグネーゼが更にセスの首へと己が歯を深く刺した。
 そして、彼女は一気に噛みしめて顔を勢いよく首を大きく横に振った。
 ブチブチッと筋の繊維が千切れる音が微かに聞こえたかと思うと、セスの首は一部分が小さく抉れていた。
 セスは声にならないような声を出しながら口を大きく開け、パクパクと何度も閉口と開口を繰り返している。
 そんな彼を恍惚とした表情で眺めるアグネーゼの口周りは紅に染まり、閉じた口端からは少し太めの筋が飛び出ている。
 ああ、なんとも、美しい。
 セスが首を押さえながら頷くと、アグネーゼはゆっくり、ゆっくりと口内にいっぱいいっぱいに入っている肉を噛みしめて味わい始める。
 官能的な水音のようなものを立てながら。
 彼女の口角は見る見るうちに上がっていく。
そしてゆっくりと口の中のモノを飲み込んで、満面の笑みをセスへと見せた。
「美味しい。とっても美味しいわ! セス!」
「……ありがとうございます。御嬢様」
 そう答える彼の表情は『幸せ』そのものであった。


 母親的には『せめて火を通した方が……』とは思うのだが、この状況において、それは無粋だというべきだろう。
 この部屋は今、幸せに満ち溢れているのだから。



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