神殿の月

こうやまみか

42

「ご主人様……。こちらでございます」
 人の気配が全くしない荘厳な廊下は却って神々しさを増している。
 そんなことを思いながら早足で歩いて行くと、見慣れた従者が人待ち顔で佇んでいた。
「待たせてしまってすまなかった。ただ、良くここが分かったな、ロード」
 何となく声を潜めてしまったのは、従者とは名ばかりの腹心の部下でもあり、何でも相談出来る気安い仲でもあった。「あった」と過去形になってしまったのは、彼のせいではなくてキリヤ様の方が軍事的なことも国の情勢などにも詳しかった上に頭の回転が速いせいだった。
 掌の中の銀の額飾りを絶対に落とさないように、そしてさり気なさを装って仕舞いながらこの神殿のほぼ真ん中辺りで待っていてくれたことに内心驚いていた。
「それが、従者の控室で聞き耳を立てつつ待っていたのですが、最後の客人が帰った後しばらくした時にガストル様という神官の方がこちらで待つようにと畏れ多くも直々に参られたのです。私ごときのために……」
 大神官様と謁見の後にすげなく扱われたので――ちなみにファロスと同様にこの神殿に参ったのは初めてだった――そういうものだと思い込んでいたのだろう。
「ああ、それは聖神官長のキリヤ様の御計らいだろう。
 それはそうと、控室で何か収穫はあったのか?」
 他人の目がない今のような場所では、身分の差など忘れた会話を交わすのが常であったので、娼館帰りの時のような気安い会話はしたくない気持ちからだった。ただロードはそうは受け取っていないようなのが救いと言えば救いだが。
「これといって……。ただ、我が国も含めてですが戦さの前なので同盟の二国の言葉が小声で交わされるのは当然なのですが、何やら聞き覚えのない言語を話している人間がおりました。あの言葉の調子というか雰囲気には何やら聞き覚えがあるのですが……。そしてファロス様を待っている間ずっと考えていたものの、特定には至りませんでした」
 残念そうに肩を落とすロードを力付けるように背中を軽く叩いた。
「おいおい思い出すだろう、重要であれば……。それにロードが知らぬ言語ならば、皆知らない国の言葉だ。
 ロードの代わりと言っては何だが……」
 正面ではなく脇の入口に用意されていた馬に乗った後に言葉を続けた。
 いくら人の気配がないといっても中立地帯の神殿の中では憚られてしまう類いの話だったので。

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