神殿の月

こうやまみか

37

  キリヤが零した言葉があまりにも意外過ぎてファロスは心持ち身を乗り出した。
「――この国のご出身なのは先程伺いましたが、月の精のような美しさといい洗練された立ち居振る舞い、そして何よりも言葉の綺麗さから恵まれたお生まれだと勝手に思っておりました」
 キリヤは苦い笑みを艶麗な容貌に浮かべていた。
「誰にも生い立ちのことなど話したことはなかったが」
 キリヤ自身もファロスに漏らしてしまった言葉に――もしかしてファロスにだけは真実を言ってしまいたいという無意識の衝動に駆られたのかもしれない――内心驚いていた。
 れっきとした伯爵家の嫡男のファロスの言葉よりも雄弁な眼差しに少しでも憐れみとか見下す類いの光りが加わっていないことに安堵する己自身の気持ちが分からない。
 そして、憐憫の情のような眼差しの光りが有れば、即座に話を切り上げる積もりだったが、ファロスはそういう感じではなくて暖かく包み込むような光を黒い瞳に浮かべていた。
「私には物心ついた時から両親は居なかった。住む家ももちろんなくて、街の中の空いた小屋とか、廃業した商店とか家でまだ借り手が付いていないところを求めて彷徨っていた。
 食べ物を得るために、少し豊かな商いの店の下働きをしたり――と言っても子供なので出来ることは限られていたが――大工仕事を手伝ったり宿屋に着いたお客さんの足を洗う仕事などをしていた。
 商いの店では親切な主人と奥さんが字を教えてくれたな。
 宿屋の足洗いをしていた時に――今思えばこの神殿に仕えてはいるものの、俗人の恰好をして諸国を巡って色々な情報を集めてくる人だったのだろう――次から次へと足を洗わないと食事には有りつけないと焦っていた私を見て、旅籠の主人を呼んで過分の金子を渡した後に『この子に湯あみをさせて、その後私の部屋に来て食事を一緒にするようにと取り計らってくれ』と必死な感じで頼み込んでいた。主人は金子袋の重さを確かめるように振った後に『お客さん、ここは単なる宿屋なので食事は出せません。それに、いかがわしいことを許すとお上に知れたらウチの店が……』と釘を刺すように言ってくれた。当時は『いかがわしいこと』の意味は分からなかったが」
 この国は比較的温暖だし、庶民に課される税も余所の国に比較すれば安いのでいわゆる下町とはいえ、人情は厚い。だからキリヤ様もそういう「宿無し」生活が出来たのだろう。



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